サントリー創業者となった鳥井信治郎氏の、力強く夢に向かっていく物語。
サントリーの山崎蒸溜所は、京都からJRで大阪へ向かう途中で近くに見ることができる。
私にとっては見知った風景だが、こういう物語を読むとそれはただの風景ではなく、鳥井信治郎という人の生きた証だと思えてくる。
伊集院静さんの筆致は読みやすくて、「静」という名前のイメージとは対照的に思えるような熱があって、それから大阪弁が自然できれいだった。
(それだけでもポイント高い!)
信治郎が子供の頃の大阪の様子なんて、自分はその時代を生きていないのに、情景がなんだかノスタルジーを伴って迫ってくる感じがした。
さて、大阪の商人の次男に生まれた信治郎は、13歳の時に薬問屋に丁稚奉公に出る。当時、商人の子供としては奉公に出るのは当たり前のことだった。
大阪には、今の武田薬品、田辺薬品、シオノギ製薬の前身である大店があり、
また、あの松下幸之助さんが丁稚奉公をしていた頃から信治郎を尊敬していたなどの関わりを知ると、大阪は本当に商人の町で日本経済を支えていたんだなあ(今も)と感じる。
また奉公先は近江商人の系譜で「三方よし」の精神が生きているなど、そういうところでも身近に感じられて単純に嬉しかった。
信治郎は、奉公先では先輩のいじめにあったりもするが、気にせずよく働いて上の人に見込まれ、旦那様がチャレンジしていた「洋酒に味を似せた飲み物」造りを手伝うようになる。
(当時の洋酒は薬のような扱いだった)
しかしそこからスムーズに今のサントリーの前身へと店を大きくし…とはいかないわけで、というのもやっぱり味を真似するだけでは本物に程遠いものしか出来なかったのだ。
やがて20歳となった信治郎は、奉公をやめ、商売を始めたいと考えるが、さて何を扱うか?
新しいもの好きだった彼は、他と同じものをやっていても勝機は掴めないと考え、
当時広がり始めていた西洋風の生活様式に今後の商売チャンスを見出すのだった。
信治郎が素直でよく観察していて、いじめなど屁でもなく、若いうちから少しずつ店の信頼を得ていく様子は頼もしい。
まるで秀吉の足軽時代を見ているような楽しさがあった。
起業してから、さらに山も谷もあるはずだから、これからのお話がさらに面白いだろうと期待!
洋酒造りに本格的に取り組むのはまだこれからだけど、その頃既にビール製造を始めてじゃんじゃん売れていた先進の会社がある中で、どんなふうに洋酒の分野を開拓し、独自の地位を確立していくのか興味深い。
(続く)