大学職員になってもなお、子どもたちへの教育の道を諦めきれず、玉川学園で小学校免許状を取得するために、働きながら学べる「通信教育」受講の道を選んだのでした。…ここで救われたことは、月給18万をいただきながら、なおかつ、大学に籍を置きながら、資格を取るための単位を習得できたということです。拙者は、夏休み(8月)に入る前に、3教科6通のリポートを玉川大学通信教育部に送り添削していただきました。「B」の評価をいただき、単位認定試験受験の許可がおりた後、教科の単位認定試験を受けて合格し、6単位取得することができました。追加の単位取得は、夏休み中に行われる玉川大学での集中スクーリングと期間中行われる単位認定試験で補うことにしました。そして、集中スクーリング受講希望申請をするために、機関紙「玉川通信」を一読した時のことです。…「玉川学園寮をスクーリング受講生のために提供します!」…の項目に目が止まりました。…えっ?…玉川学園に寮があったの?…すごい!…宿泊費も安いと思い、早速申し込みました。…期間中のスクーリング受講証の他に、玉川学園寮の案内書も入っていました。1部屋4人泊まりでした。…集中スクーリング中に、どんな寮生活になるんだろう?…という思いを胸に、あっという間に8月になりました。特別休暇15日〔3週間(教職員が単位取得のため、休暇を申請した日数相当の期間を認定)〕をいただき、東京都町田市に行きました。到着して早々、入寮式があり、入寮の心得を入寮生全員で読み上げて、共同意識を持って過ごすことを自覚しました。…労作(ろうさく)〔入寮生が、開学時代から野原や原野を切り拓いてきた(教師も生徒同士も共に開拓精神を持って、生活拠点を拡大してきた学園創始者小原先生が名付け親)〕ということばは、この寮生活から産み出されたとのことでした。…そのような歴史にも触れていただきながら、夏の暑い期間中でしたが、充実した寮生活を過ごさせていただきました。…期間中の思い出話を5つ、お話すると…①同じ入寮生の中に、謡曲を趣味とする人が一人いて、その人が男女全寮生交流会の時のアピールタイムの時に『観世流「高砂(たかさご)」』を謡ったので、拙者は「おっ!…同じ入寮生に、流派は違うけど、謡曲を趣味にしている人がいるんだ!…」と思って、うれしくなったこと。②期間中のサークル活動で「合唱指導」に所属し、毎日のようにサークル仲間と玉川学園発行の「愛吟集」をもとに歌ったり、スクーリング受講生合唱団として閉講式の「栄光あれ」を歌ったりして謡曲の他の歌をたくさん歌ってきたこと。③入寮生仲間が、週末の外出許可を受けて…前年〔1983年(昭和58年4月)〕東京ディズニーランドが開園したので、行ってみないか!…などの誘いがあった中、拙者は「今週中に理科のリポート書き上げなければならないから、ごめん俺行けない…」と言って、行かなくて…後々悔やんだこと。(この時、行けなかったことで、後々25年以上も行けずに過ぎてしまいました。…当時、週末までまとめる理科のリポートは、特に翌週水曜日くらいまでまとめられたので、充分間に合い…ディズニーランドに行けないわけでもなかったものでした…)④玉川学園寮生活後半頃で、食堂兼集会所を寮生全員で床みがきをしたこと。(ここで、はじめて入寮生の共同体意識を実感しました…)そして、最後に⑤あるピアノの上手な同じ入寮生から、ピアノ1受講期間中、ビートルズの「レット・イット・ビー」を教えてもらったこと。(この曲は、未だに拙者のレパートリーになっています。…)夏休み期間中、全国の教師を目指す仲間が、玉川学園に集って、様々な経験ができた素晴らしさを感じ、満喫したのでした。…以上、玉川大学通信生編【その1】でした。…次回は、玉川大学通信生編【その2】をお送りいたします。では、また!…次回をお楽しみに!…喜多龍こと結城郁夫イックでした!…