10時過ぎに兄から電話が入る。
母の隣家の方から「毎朝開く雨戸が今日は閉まったままなので気になって」と連絡があったと。
固定にも携帯にも電話が繋がらない。
何かあったのかもしれない。




母の家の鍵を持つ私の娘が車で15分くらいのところに住んでいて、行ってもらえないか聞くと、仕事中だが11時くらいなら抜けて見に行けると言ってくれた。
娘と話しながら、前に土曜日に病院に行ってたことがあったと思い出し、病院と同じ事業所のケアマネさんか病院に直接聞いてみようと電話を切った時、兄からまた電話があった。
義姉も土曜日だったら病院かもと言ったらしく、病院に電話したら「いま診察待っておられます」と。




ああ、無事でよかった…
今日はほっとしたが、こういうことは増えてくるだろう。
来月は兄家族とうちの家族が久しぶりに全員集まるので、みんなで話をしようと思う。
母自身は今回のことも、エアコンをつけてと言ってもなかなかつけないことも「そんなに心配せんでええから。もうアカンかったらアカンでええねん」と言う。
義母も昨年家の中で倒れて額を切り手首を骨折した時、救急車も呼ばず病院が開く時間までじっとしていた。
「もうこれで死ぬんやったら死んでもええって思ったんよ」と言っていた。





自分はまだその年齢でないけど、想像すると2人の気持ちもわからなくはない。
なるようにしかならないのだ、ということ。
24時間見守っていることはできないのだし、エアコンや救急車を選ばない自由はない、なんて言えない。




でも家族はセイフティネットを考える。
一日でも長く元気でいてほしいから。
私はこのところ、母と同居することを選択肢の一つに入れ始めてる。
平たく考えて、それが最良の手ではないと思う。
母にこちらに来てもらっても、私が行っても、どちらにしても。
思い付きで言えることではないから今は胸の内だが。
その考えが出てきたことは無視できないと思う。




午後からは別件でケアマネさんから連絡があり、母は明日から夕食のお弁当宅配をお願いすることになったとのこと
1年ほど前はそんなんいらないと言っていたのにこのところ食事を作るのが大義になってきたようだ。
一日一回配達で安否確認もしてもらえるし、いろんなおかずを食べられるのはいいと思う。
少しずつ母の生活が変化している。




細川貂々 著

『親が子どもになるころに』


折しもこういう本、みんながんばってる










ランキングに参加しています
よろしければバナークリックをお願いします
にほんブログ村 その他日記ブログ 60代女性日記へ