「だいたい本気で退社や離婚したい人は、相談なんかしないで、すぱっと思い切るわよね。相談するっていうこと自体、おかしいのよ。私はこういうふうにしたいのだけど、どういう段取りにしていいのかわからない、っていうのなら前向きな相談だけど、結局、あの人たちは、不満を持っているのは間違いないけれど、同じところをぐるぐる回っているだけなのよね。そこから出るのなら、自分が思い切ってジャンプしないとね。誰も悩んでいる沼から体を引き上げてくれるわけでもないし、自分で決めないとダメなのにね。それができないから、みーんなぐずぐずいつまでも沼の中で文句をいい続けて、それで一生終わるんだよね。まだ諦められる人は、それはそれでいいんだけど。」
 だからそれを切り捨てたあなたは幸せなのだと、クマガイさんはキョウコに言った。
 
 
            群ようこ 『れんげ草物語  おたがいさま』 より
 
 
 
 
 
ときどき相談というものをされる時がある。
人生の一大事で迷っていて人に相談するというのは、選択肢のどれかの方向に背中を押してもらいたいということなのか、と思うと責任を感じてしまう。
 
でも話を聞いていると、その人がどうしたいのかは何となくみえてくるし、話している間に考えがまとまってくることもあるし、ただ話を聞いてもらいたいだけだったのかもわかってくる。
 
 
相談するというのは、自分の味方だと思ってくれているということだから、選んだ先にあるその人の幸せを願いながら聞く。とにかく聞く。
 
 
 
 
私は相談しない人だ。
意識的にしないのではないようだ。生まれてから誰かに何かを相談したことがないから。
人生の一大事、たとえば離婚については前にも書いた。
 
 

 

 

 

 
人は何かを決める時、自分の中で考えたり悩んだり、つまり自分の中の自分と相談すると思う。
でもこの時の私は自分にも相談していない。
少なくとも悩んだり迷ったりした自覚がない。
ほとんど反射のようなものだった。
 
 
 
だけどもっと、人を頼ったり、助け合ったり、委ねたり、できたらいいのにと思うことがある。
人を信じ切ることができないせいか、人を煩わせるのいやなのか、関係が深くなりすぎるのを避けているのか、その全部なのか。
 
 
 
相談しないのは強さではあるけれど、それが正しいと思いすぎると、人の迷いや弱さに不寛容になりがちだ。
正しいことがエラいわけではない。
本当の味方を持っていないだけなのかもしれない。
 
 
 
 
 
株が弱るので全部切り花にしたクリスマスローズ
 
 
 
 
 
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