細い紐のようだった不安が
今は太くて硬いロープのような感触になり、
胃ではなく肺を締め上げているようだった。
この感じは覚えがある、と伸輔は思った。
黙っていればそのままなかったっことにもできたのに、
言葉にしてしまったことで顕在化する。
自分のせいでもあるが妻が加担することで悪化する。
そうして取り返しがつかなくなるのだ。
いつのことだったろう ― いや、自分の人生は
そういうものばかりでできているような気がする。
井上荒野 「ママナラナイ」 『檻』より
小説は男が自分では漠然としていた肺の不調を
明らかな病として自覚し、妻にも指摘される部分。
言葉にしていなくても「在る」のだけど
言葉として意識していなければ「無い」ものとしていられる。
感情についてもそれはよく起こる。
人に対して「好き」という感情は自覚しやすい。
「嫌い」は年齢的なこともあるかもしれないが
心の中で浮遊しているだけで掴めていないことが多い。
でもある日突然、言葉になる。
「私、あの人が嫌いだ」
「嫌い」が顕在化する瞬間、
数少ないがたしかにあった。
そして誰かにそれを知られたと分かったら
「あの人を嫌いな私」が
なおはっきり顕れてしまう。
後戻りできなくなる。
井上荒野のこの短編集は
物語として心に残るというより、自分の
どちらかというと負といえる部分を引っ張り出されて
「あるよね」と差し出されるような、
そんなシーンがいくつかあった。