青春時代にその人の中にあったものは、

今も必ずある。

息をひそめているかもしれないけれど、

出番を待ってうずうずしているのだ。

 

            吉本ばなな 「人生の旅をゆく 3」 より

 

図々しいかもしれないが

18歳の自分の感受性を失っていないと思っている。

すり減っているだろうが、あるにはある。

 

感受性とか書いてること自体が図々しい気もするけれど

ブログを書くくらい図々しいのだから仕方ない。

 

 

58歳の今は58歳の感受性を持っているけれど

それが18歳の自分のものと別なのではなく、

内包している、と感じる。




 

さっきテレビでクラーク博士の

「Boys,  be  ambitious」には「like  this  old  man」という続きがあると言っていた。

「少年よ、大志を抱け。この老人のように」なのだと。

 

子どものころは大人は生まれた時から大人なのだと思っていたが

当然ながら誰にも幼少時や青春と呼ばれる時期があることを知ってからも

おなじ一人の人間なのに大人になると全てが変わってしまうように思っていた。

 

58歳になって、自分の中に

18歳も28歳も38歳も居ることに驚いている。

そしてなぜかその中でも「18歳」を他よりも強く感じるのだ。

 

 


58歳は18歳を内包している、なんて

18歳の時の自分が聞いたら「なんのこと?」となったと思う。

58歳なんて想像もできない年齢だったし、目の前に58歳の人が立っていても目に入らないくらい興味もなかった。

そして100年前なら半分くらいの人が亡くなっていた歳だ。



でも別に「いつまでもお若い感覚で」とか

「ギラギラされてますね」とか揶揄されるようなことでもなくて

やっぱり人は経てきたことの上に重なって生きているので、簡単に全部がなくなったり入れ替わったりしないというだけのこと。




大志、とは言えないかもしれないけれど、今もなりたい自分があり、

傷つきやすく青臭く、

時に喜びや怒りにほとばしる血潮を感じる瞬間だってあるのだ。

図々しくて申し訳ないが、あるのだ。

 

知らなかった。

 

 

 

 

 

 

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