夕方、買ってきたものをしまおうと、食品庫の扉を開けたとたん・・・

 

大きくて分厚いガラスの瓶(牛乳とか入れるお洒落なヤツ)がいきなり落ちてきて、

 

私の左足の親指を直撃・・・ポーンポーンポーン

 

 

 

痛~~いゲッソリタラータラータラー

 

 

 

その時はそれほどでもなかったものの

 

時間が経つほどにだんだん腫れて・・・

 

紫色になってきた。

 

 

 

明日から2日間、宮城県に出張だというのに、

 

まさかの骨折!?

 

 

取材だから、ライターの私が休めるわけもなく・・・滝汗

 

しかも、宮城出張の翌日から3日間は福岡行きの予定(セミナーや個人セッションetc.)もあって、超多忙なのに・・・。

 

 

あまりのタイミングの悪さに、なんかもう笑えてきたよ ニヤニヤ ぷぷっ

 

 

これで「厄落とし」にならないかなあ・・・ 

 

落としたのは、ただのだけどね ニヒヒ 

 

*「厄落とし」・・・自分の大切なものをわざと落として、今後やってくるはずだった「厄」を祓うこと。

 

 

 

いやいや、それどころか

 

災い転じて福となす・・・とか

 

禍福はあざなえる縄の如し・・・みたいに

 

次は思いがけない幸運がやってくるかもしれないよね ウインクチョキ

 

 

 

楽しみだ~!!

 

 

明日の朝はどうなっていることやら・・・

 ↓ ↓ ↓

今日からお盆ですね。

 

数年前までは、親戚と集まったり、家族でお墓参りをしてましたが、

この数年の間に私の周りでいろいろなことが変わっていき、

お盆初日の今日、私はひとりで家にいます。

 

でも、さびしくはありません。

自分の家という居場所で安らいでいて、

満ち足りているような感覚があります。

 

 

 

さて、話は少し変わりますが、

沖縄や鹿児島の離島(奄美群島)には

「洗骨(せんこつ)」という古い風習が残る地域があるそうです。

 

「洗骨」とは、文字通り、「(亡くなった人の)骨を洗う」という儀式。

 

沖縄や鹿児島の離島(奄美群島)では戦前まで土葬が主流で、

埋葬して3~5年経ったお骨を土の中から掘り出し、

海水やお酒で洗い清めてから、骨壺に入れてお墓に納めていました。

 

その時には島から出ていった人たちも帰ってきて、

親族みんなが集まり、「洗骨」の儀式を行うのだとか。

 

「洗骨」を行うことで、死者の魂が昇華され、

子孫を守ってくれるその家の守り神になると伝えられています。

 

これは自分の命を繋いでくれた祖先への感謝であり、

命のリレーというか、自分の命の源、ルーツへの回帰。

 

実際にはとても過酷な儀式ですが、

それを経ることで、遺された人たちが「自らを再生させる」という

意味合いもあるのかもしれません。

 

 

 

 

私にとって、過去のこと、両親のこと、特に父のことは

「地中の奥深くに埋めた遺体」のような感覚があります。

 

無意識という土の中に深い穴を掘って入れ、

上から何度も土をかぶせて、見えなくした遺体。

 

もう何十年もたって、土の上には落ち葉が積もり、

初めから何もなかったように草や木が繁っている深い森。

 

そんなイメージです。

 

 

だからなのか、

ビリーフチェンジのセッションでセラピストさんから

 

「若い頃のお父さんやお母さんを目の前のイスに座らせて」

「なんとなくでいいから、その時の自分に身をおいてみて」

 

と言われても、まったくそのイメージができません。

 

意識がスーッと遠のくような感じがあり、

感情は「無」になります。

 

 

そんな私ですが、一度、個人セッションの中で

「12歳の自分」のエネルギー?みたいなものを

初めて感じた瞬間がありました。

 

隣のイスに座らせた「その子」から立ちのぼってきたのは

ものすごく強烈な拒絶のエネルギーでした。

 

「絶対に思い出さない!」

「何も感じない!」

 

「押し付けないで!」

 

拒絶と共に、大人に対する強い怒りのようなものも感じました。

 

次に養成講座内で、みんなの前で公開セッションを受けた時は

さらに頑なで、拒絶のエネルギーが強くなっていました。

 

大人になった私が

「これからもっと幸せになるために過去と向き合おう」と決め、

そこに向かって行動もしているのだけど、

それに対して、12歳の私は「絶対、嫌だ!」と徹底抗戦している。

 

そんな感じでした。

 

膠着した無言の時間が流れ・・・

 

セラピストの先生は

「(セッションを)続けるか、やめるか、自分で選んでいいんですよ」

と言いました。

 

大人の私は、

「みんなも見てるし、ここは『がんばります!』と言うところだよね」

と頭の中で一瞬、思いましたが、

「その子」からは

「絶対、絶対、嫌だ。こんなところで感じない!」って

拒絶のエネルギーがさらに強まったのを感じました。

 

12歳の子どもがそれほど嫌がっているものを

大人の私が無理強いすることなんてできるでしょうか。

 

私は

「今日はもうここでやめます」と伝え、

その日のセッションはそこで終わりました。

 

残ったのは、

強い疲労感と、どうすることもできない無力感。

 

でも、これは何度か受けたセッションの中でも

記憶に残る印象的なセッションでした。

 

12歳の子が生き延びるために持つと決めたビリーフ

「感じてはいけない」。

 

それがどれほど強いものだったのか、

この時に初めて気づきました。

 

 

深い深い穴に埋めて、上から土をかぶせて

なかったことにした昔の記憶や感情。

 

それを掘り起こすのは容易なことではありませんが、

私もそろそろ、私なりの「洗骨」をしなければいけない

時がきているのかもしれないなあと思います。

 

土の中に埋めっぱなしにしていたものを掘り起こし、

丁寧に洗って、納めるべきところに納めて弔う「洗骨」。

 

ものすごく辛い作業だと思うけど、

その先には何か清々しいものが待っている気がします。

 

ビリーフチェンジセラピーなどの心理療法で

「過去の自分と向き合う」というのは、

この「洗骨」の儀式を行うようなものなのでしょうね。

 

本物の幸せを感じるためには、避けることのできない

通過儀礼なのかもしれません。

 

 

 

あ、そういえば、今回の記事を書くにあたり、

「洗骨」についてネットで調べていたら、

 

ガレッジセールのゴリさんが監督した映画

その名も 「洗骨」 が今年の2月に完成し、

来年(2019年)2月に一般公開されるという

情報に出会って、ちょっとびっくりしましたびっくり!

 

映画「洗骨」

 

これもシンクロですかねキラキラ

 

私もぜひ観に行こうと思います。

前回、めちゃくちゃネガティブなブログを書いてから1週間あまり・・・。

 

今の私は、軽やかでありながらも落ち着いた心境で、

進む方向がわからなくなって、ぐるぐる迷走していた、あの時の自分とは

ずいぶん心持ちが変わっているような気がします。

 

 

8月7日の金星の天秤座回帰、8月8日のライオンズゲート、

8月11日の獅子座新月&部分月食・・・といった

宇宙的な流れとか、星々の配置なども関係しているのかもしれませんけどお月様星流れ星

 

 

「なんとかして自分をネガティブな世界から引き上げよう」と

(頭で)がんばろうとしていた時にはどうにもならなかったのに

 

「もうこのままでもいいや・・・」とあきらめた(受け入れた)頃から

周りの状況が変わり始め、それとともに私の心が緩んでいきました。

 

 

 

この1週間、いろいろなことがあったけど、

一番大きかったのは、

人との語らいと、受け入れ・受け入れられるという体験でした。

 

 

ただ楽しいだけのおしゃべりではなく、

表面的に合わせるだけの会話でもなく、

 

 

魂と魂の対話。

 

 

私が感じていること、思っていることをそのまま伝え、

相手もそこで感じたこと、思ったことをそのまま伝えてくれる。

 

そして、そのままの相手を受け入れ合う。

 

そういう対話をしていると、

時間は瞬く間に過ぎていきます。

 

時間がいくらあっても足りない気がするし

話したいことが無限に湧いてくる気がする。

 

相手の性別や年齢や社会的立場や職業といった属性は

まったく関係なくなるんです。

 

 

この数日間、

私はいろんな人と「魂と魂の対話」をすることができました。

 

鹿児島で、

 

福岡で、

 

佐賀で、

 

そして、直接会ってはいないけど、

ラインやメッセンジャーやメールやfacebookで。

 

 

そういう対話をしていると、

相手に対して、無条件に「愛おしい」という

気持ちが湧いてくるんですね。

 

それと同時に

相手が私に対して同じような気持ちを

感じていることも感じ取れるのです。

 

 

そしたらね、

心がゆらゆらと不安定に揺らいだり、

出口を探してぐるぐる迷走することが

少しずつ少しずつなくなっていきました。

 

ネガティブループがとまらなかった時の私は

単純に「愛が足りない」状態だったんだと思います。

 

本当は、「足りない」のではなく、「あると感じられない」だけなんですがねニヤリ

 

 

子ども時代、

「本当の自分」を受け入れてくれる人がまわりにいなくて、

どんな私であっても無条件で愛してくれる人はいなくて、

(それ自体が思い込みなのかもしれませんけど)

 

その時のさびしさ、孤独感、無力感が

私という人間の一部(いや、大部分かな?)になっていたのです。

 

 

でも、今の私はあの頃の私とは違います。

 

 

私はもう無力で孤独な子どもではありません。

 

 

今の私には

魂と魂の対話ができる人がたくさんいます。

 

「そのままのあなたでいいよ」と

受け入れてくれる人がたくさんいます。

 

私も、その人たちを同じように受け入れています。

 

 

また揺らぐ日があったり、引き戻される日があったりするんでしょうけど、

 

それでも・・・

私はひとりじゃないし、無力ではない。

 

それが事実だということを、そろそろ受け入れていこうかと思いますニコニコ

 

このところ感情のコントロールがうまくできなくて、苦しい日々が続いている。

 

頭では「養成講座も終わったし、これからは自分でがんばっていこう」

と思うのだけれど、どういうわけか気持ちが沈んで仕方がない。

 

カラダは疲れてるのに、頭の方は変に覚醒して、

なかなか寝付けないことや、早朝に目が覚めてしまうことも多くて・・・。

 

身の置きどころがなくて、右向いたり、左向いたり、赤ちゃんみたいに丸くなったり、大の字になってみたり、呼吸に意識を向けてみたり。

 

それでも、眠れない時は眠れない。

 

今朝も目覚ましの鳴る時間の1時間半も前に目が覚めてしまい、

お布団の上で

「勝手にシンキングタイム」が始まっちゃった。

 

ネガティブループがとまらない!

(昔、「ロマンティックが止まらない♪」って歌があったよね)

 

それがあんまり苦しくて、傍らにあったスマホを取り、

ついつい入れてしまった検索ワード。

 

「生きるのが辛い」

 

 

ちなみに、

「生きるのが」と入れると、

キーワード入力補助(予測変換)で出てくるのが、

 

「生きるのがめんどくさい」

 

「生きるのが苦しい」

 

「生きるのが怖い」

 

「生きるのがしんどい」

 

・・・といったネガティブワードばっかり。

 

それくらい、生きることが大変だと感じてる人が多いってことだし、

ついつい検索しちゃう人も多いってことだよね・・・と思ったら、

一瞬だけ孤独感が和らいだ。

 

 

でね、話を戻して

「生きるのが辛い」で検索してみたら、

 

最初にあがったのが

 

「生きるのが辛いんじゃなく、辛い生き方をあなた自身が選んでいるのではないですか・・・?」

 

というブログタイトルだった。

 

 

 

はあ・・・・・・

 

 

そうですよ。そのとおりですよ。

 

自分で「選んでいる」んです。辛いと感じることを。

 

わかってますよ。

 

自分で自分を「辛い世界」に置いているってことも。

 

 

 

 

でもね、わかってても、頭では理解しても、

「辛い世界」に自分の身を置くことをやめられない時もあるんだよ。

 

そんな時に、「あなたが自分で選んでいる」と言われるのは、

傷口をぐりぐりされるようで、余計に辛くなるんだよ・・・。

 

 

もちろん、

「自分で選んでいるのだから、自分で変えられるんですよ。」

っていうのが、この人の伝えたいことなんだろうし、

「だからこそ、希望はあるんですよ」ということなんだろうけど、

 

それでも、早朝に布団の上でその言葉を見た瞬間の私は

 

「今、あなたが辛い世界にいるのは、あなたのせいですよ。」

 

って言われているように感じてしまい、とても苦しくなったのです。

 

メンタルが落ちている時というのは、ものの捉え方もつくづくネガティブで、自分でも手に負えないなあ・・・。

 

 

ますます落ちかけた時、目に入ったのが別の人のブログタイトル。

 

「今、生きるのが辛い人へ。大丈夫だ。オレも辛いぞ。」

 

 

「大丈夫だ。オレも辛いぞ。」

 

なんだろう・・・。この言葉になぜかとてもホッとした。

 

クリックして中身を読むと、なかなかにパンチの効いた言葉が。

 

 

「『この世は地獄だな』って思ってるのはキミだけじゃないぞ」

 

 

「人生について考えすぎても逆効果です。どうぜバカなんだから

考えても無駄」

 

 

はてなブログの人気ブロガー「自由ネコ」さんのブログだった。

 

 

布団に寝転がったままスマホで見てたら、不思議と力が抜けていった。

 

どうせこの世は地獄だし。どうぜ私はバカだし。

 

「どうせ」って言葉はあまりよい意味では使われないけど、

どうしても前向きになれない時は、「どうせ・・・」って開き直ってしまうと、意外と楽になるものね。

 

 

 

で、次に開いたページでじわーっと心に入り込んできたのがこの言葉。

 

今、現在進行形で人生に絶望している皆さん、お疲れ様です!

今日も一日、私と一緒に迷いましょう!

 

私はアナタを助けないし、光の元へと導きもしません。

ただ一緒に、迷うだけです!

 

この真っ暗闇のトンネルの中、つまづきながら、迷いながら、アナタと一緒に踊るだけです!

 

人生に必要なのって、「答え」とか「真理」とか、そんな大それたものなんかじゃなくて、一緒に泣いたり笑ったりしてくれる存在、人生を共有してくれる存在なんじゃないか?

 

今、そんなふうに思いました。

 

自由ネコさん「自分みたいな人間、生きててもしょうがない、って思うなら、ブログでも書いてみたらどうだ?」より

 

 

 

「ただ一緒に、迷うだけ」

 

本当に本当に辛くて、しんどくて、苦しい時、

そばにいてほしいのは、そういう人なのかもなあ・・・と思いました。

 

 

何かができるとか、

すごいスキルがあるとか、

たくさんのことを学んで、習得してるとか、

 

そんなことは関係なくて、

 

「ただ一緒に迷ってくれる人」。

 

 

これ、簡単なようで一番むずかしいなあと思う。

 

 

人は苦しんでいる人を見た時、

ついついその人を「救おう」としてしまうからね。

 

でも、「救いたい」っていうのは、「ちょっと上から」だよね。立ち位置が。

苦しんでいる人と同じ位置にはいないもんね。

 

それはその人のすごい優しさから来るものだし、

もちろん、無意識のものなんだけど。

 

ほら、心が傷ついている時って、

転んだりして皮膚が傷ついている時と一緒でさ、

すっごく敏感になっていて、

普段は何でもないことがすっごく沁みたりするでしょう?

 

ちょっとした言葉や表情から、本人すら気づいていないものを

感じ取ってしまったりするんだよね。

 

 

心の傷って、目に見えないからね・・・。

 

人のが見えないのはもちろんのこと、

自分の傷でさえ、どうなっているのかよくわからないから

どうにもやっかいだ。

 

検査で数値も出ないし、CTやMRIで画像診断できるわけじゃないし。

 

いつまで治療したら、完治するかなんて、誰にもわからないしね。

 

 

私、今、心のことを学んだり、個人でセッションを受けたりして、

「心の古傷を根本的に治療する」という土俵の上には

乗っているのだとは思うのだけど、

 

痛みがどんどんひどくなってきている気がするし、

「ほんとに治るのかな。98%の治癒率の治療法で周りのみんなが次々治っていったとしても、私は残りの2%になるんじゃないかな」って

不安が消えなくて、前よりつらくなってる。

 

自分だけが取り残されていくようで、さびしくてたまらない。

 

 

それもこれも、まさにビリーフが思わせていることで・・・

 

「事実ではない。」

 

 

ならば、「幸せな世界にいることを選ぼう!」と決めて

友だちと美味しいご飯を食べたり、

温泉でたくさんお話したり、

アーユルヴェーダのオイルマッサージを受けたり、

海でゆったり過ごしたりしてみたけれど・・・

 

 

やっぱり、ネガティブループが止まらないショボーンタラー

 

先週の日曜日、ビリーフチェンジ「プロセラピスト養成講座」が

修了した。

 

あれから約1週間。はやいなあ・・・。

 

最終日は受講生10人に対して、いつもの3人の認定講師の先生に加えて棚田先生も駆け付けてくださり、なんとも贅沢な顔ぶれに。

 

同期のメンバーや先生方とは泣き笑いを共にし、同じ釜の飯を食べていつの間にか家族のようになっていた。

 

★受講生は顔出しNGの人もいるので、おみあしだけ照れ 

 

5か月間、毎回、鹿児島から新幹線で通った福岡。

 

1度の遅刻も欠席もせず、コンプリートできたのは

ある意味、奇跡だったなあ!

 

実は今回の福岡行きの数日前、2年前に脳幹出血で倒れて入院中だった義母の容体が急変し、「もしかして・・・」という状況に。

でも、義母はがんばって持ち直してくれた。

 

このメンバーと一緒に卒業したかったから、本当にありがたかった。

 

 

最高に素敵な先生たちの笑顔に囲まれて、

しあわせな卒業の瞬間キラキラ

 

ところが、ところが・・・

 

鹿児島に帰ってからのこの1週間、

なんだかもう、わけもわからず苦しくなってしまったのですショボーン

 

 

「私なんて、やっぱりダメだ」

 

「私なんて、変われるはずがない」

 

「私はみんなとは違う」

 

養成講座を受けても、セッションを受けても、

結局、自分は何一つ変わってないんじゃないか・・・。

 

馴染みのある感情がグルグル、グルグル頭の中を駆け巡ってた。

 

 

ひゃ~!なんだろう、これはガーン

 

「成功を感じてはいけない」ビリーフですか??

 

「楽しんではいけない」ビリーフですか??

 

手放したと思ったのに、まだあったとですか??(by ヒロシ)

 

 

一周回って、また振り出しに戻ったような徒労感タラー

 

これといった理由もないのに、なぜこんな気持ちになるの?

 

わけのわからないネガティブ感情に翻弄された1週間でした。

 

 

 

でもね~、よく考えてみれば、何十年も強く握りしめていたビリーフが

そう簡単に手放せるはずがないんだよね。

 

なんとかこの世界で生き延びるために、必死でギューッと握り続けてきたんだもの。

 

それを「もう要らないから、手放しなよ」って言われても、

自分でも「もう要らないから、手放したい」って思っても、

そう簡単には捨てられないんだよね・・・。

 

だから、仕方ない。

 

すぐには変われない自分もゆるそう。

 

 

ほら、棚田先生も書いてくださったじゃないの。

 

「日の出前が一番暗い(かも)

 

 

  養成講座は終わったけど、 ここからがきっと私の始まりおねがい