私は、2016年のオリンピック開催地選考のとき、都議会議員でした(都が招致することを決定したときは、都議ではありません)。都議会民主党は、オリンピック招致に条件をつけて賛成していましたが、招致失敗後の分析をし、招致費用についてさまざまな角度から追及を続けました。なぜ10分間の宣伝VTR3億円もかかるのか、自治体に配布した助成金が意図のよくわからないイベントに使われていたり、教材に使われているのはいかがなものか等々。国立競技場については、改修をすればよいとし、都民目線での情報公開をして説明責任を果たすことが必要であるとしていました。



私が当選する前の2006年時にも、「オリンピックを理由とした過大な社会資本整備は行わないこと」をはじめ6項目の申し入れをしていました。


ご存知の通り、新国立競技場の当初の建設費は1300億円。起用されたデザインそのままでゼネコンが見積もると3000億円を超えました。文科省やJSCは、最大8万人収容の観客席のうち可動式の15000席分を取り外し可能な仮設席にし、開閉式屋根の設置は五輪後に先送りする費用圧縮案を提示し、調整の結果、総工費は2520億円となり、有識者会議で承認されたのです。


新国立競技場だけではありません。都内各地で建設されるさまざまな競技施設も後利用をしっかり考えて必要なコストを算出しなくてはなりません。何か他の目的の代替施設にできるのか、それとも取り壊したほうがよいのか。周囲の環境問題は大丈夫なのか。その上で建設コストは妥当なのか。


2020年の開催地決定のときは、現職ではなかったので、外から見ているのみでしたが、都関係者と都議会関係者が常に「レガシー(遺産)」という言葉を使い、オリンピック開催後の施設の再利用などについて熱心に視察等を重ねていたことを知っています。

それだけお金をかけて「レガシー」について海外視察などをしてきた都や都議会がこの膨大な総工費の新国立競技場に賛成し、分担金を負担するのは、やはりおかしい。知事はじめ関係者は都民の目線を常に忘れず、引き締めて取り組んでほしい。