「祓い清め」ってなんでしょう?
という質問を今日のお参りでいただきました。
わたしは、祓い清めの恩恵というのは
自分の生きてきた今の瞬間までの
全ての過去に対して、ひとまずでもいい、
「ここまでの人生を精一杯生きてきたんだな。」という納得ができること。
だと思っています。
納得がいったんできた人が
次にとる行動や選択肢は
自ずから、幸せを分かち合うものに
なってゆくと思うからです。
そこにさらに「ありがとう」が湧いてきたなら
いいも悪いも誰にもわからんけれど
とにかく私は私でよかったなぁって
ありがたいなぁと誤魔化しなく思えたなら、
本当に素晴らしいことだと思います。
"よかったことにしよう"っていうのは
世の中たくさんあるけれど、
ほんとにお腹から湧く瞬間の感謝は
ぶっとんで気持ちいいので建前など凌駕します。
自然に湧く瞬間をじんわり大事に味わうのが
いいなぁわたしは思います。
自然なありがとうは、必ず周りの人へも波紋していって「おかげさま」をたくさん発見でき、さらにありがとうが湧きやすい感度が増します。
今日の上賀茂神社下鴨神社のご先達では、
「祓い清めは、それぞれの今日、
今からの行動や、選択肢に乗っかってきます」
というお話をしました。
これまでの人生へのひとまずの納得(→そこからの自然に湧く感謝ならば、個々に味わう"ありがとう"の想いの拡がりも含めて)
それが毎瞬間息をするようにできる人もいるし
難しいチャレンジに感じる人もいる。
だから人によって、自分にとっての
祓い清めを受け取っていくシーンは
みんなちがうと思います。
ある方は、自分の芸事を磨くレッスンの中に。
ある方は、トライしてみる事業のなかに。
ある方は、勇気を持って中断する決断だったり
ある方は、改めて家族として大事に暮らすことだったり。
その地道な一歩ずつに、祓い清めが
今日の優しい雨のように降り注いできて、
一歩ずつ間違えても失敗しても
やがての納得や感謝につながっていく。
そんな気がしています。
「いつだって再スタートできるよ」
「ここからの行動や選択を大切にしていこう」
「何回失敗しても、ここからの一歩ずつに
祓い清めがあるよ。」
「これまでの納得をやがて1つずつ感謝に変えて、自分の人生を安らけくしてゆこう」
「そうして阿呆のように笑えることが増えれば
目の前の誰かも幸せにできるよ」
今日のお参りでこんなメッセージを
たくさん感じました。
夏越しの大祓という
暮らしのリセットができる節目として
静かに手を合わせて杜や川を歩き
自然の中でお参りできる習慣があるのは
とても嬉しいことだなと思いました^ ^
長文読んでくれて
ありがとうございます😊
夏越しの大祓のお参りによせて。