最近執着がやばいなー!って人はここへGO! | 【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

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身口意そろえて人生を味わい、
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そんなお手伝いをしています。
自分の体験からくる日々の知恵や目線をシェアしています。


執着は生きていたら時になにかと発生してくる
生理現象ものだと、わたしは捉えていますが
(風邪っぽいときに咳に絡む痰みたいなやつ)


心の風邪が長引いてずるずると引きずると
痰(執着)が絡んでいつもしんどい、
みたいな感じになると、色々とうまく
物事が流れずに辛いですよね。

 

お金への執着、恋愛の執着、
時間への執着、承認への執着。。。
色々ありますが
執着は、嫉妬にも代表されるように
なんだか粘着質なしがみつくイメージ。


 
ホメオパシーではラカシスという蛇の
レメディがあるように、

執着はこころに絡みついて
うまく動けなくなるようなエネルギーも
持っています。



 
これを持ってる方も、絡み疲れる方も
どちらも、ベタベタさんにくっつくので
生きる学びとはいえ、気持ちいいものではない
ですね。



(※生理現象にとどまる範囲の執着は
全然悪くなくてむしろ普通ににあると思います)





わたしも自分の執着と向き合う時を
何度も持ってきました。


愛情執着がひどくなると認知障害を起こして、
物事の捉え方がどんどん偏ってきますから
早めに気づいてゆければ幸せです。



執着が悪いのではなくて、
執着からこじらせるのが
苦しさを生むからです。



拗らせると、
本人はほぼ無自覚に【反応】で認知障害、
つまり起こる物事への
解釈の誤作動を起こします。


(軽いので有名なのは、ラインなどの既読スルーによっても「わたしへの愛がない」「わたしは愛されていない」「わたしは孤独だ」など自分への悲観的な見方で捉えてしまう、どんな言葉でも卑屈に捉えてしまう偏ったとても狭い視点で心身に害を及ぼすようなもの。詳しくは調べてね^_^)



視点がとても狭くなり、後から自分のことを
嫌いになったり、後悔したり、といった
自己卑下にもつながってしまうことが多いです。


そんなときは、絡まった心をほどいて
自己理解を深めてあげることが大切になります。




そんなときに、おすすめなのが
京都、三十三間堂の仏様オールスターズへの
参拝です。

わたしは、巡禮記の先達なので
こういった視点からの記事を書いてみます😊☘️



お写真はwikiより。中央の 千手観音様は圧巻。


最近執着やばいなーー!
なんかしんどいぞ!動きにくいぞ!
なんて人に(もちろんそうじゃなくても😊)
おすすめな、三十三間堂の仏様をご紹介します。


この方の前に立って静かに
手を合わせてみてください。

お写真「日本の仏像」より。

難陀(なんだ)龍王さまです。

同じく「日本の仏像」より。

沙竭羅(さから)龍王さまもおられます。

どちらも八大龍王さまのお一人です。




ここで、手を合わせて仏前に立ち、
祈りに来た旨のご挨拶をしてから
難陀龍王さまの目を見つめてみます。

まっすぐ、見つめられるかをまず
感じてみます。


仏像の目をまっすぐ見つめることって
素直に祈るほどにその仏様の気を
ダイレクトに感じる一つの窓口なので


それだけで心の中まで見せていく
ことになりますし、お掃除みたいな
感覚が始まることもあります。



今までの自分を振り返り(回向して)
関係性において、自分はどんなふうに
人と関わってきたのか、自分自身と関わって
きたのか、その姿勢そのものから
静かに感じてみます。


そしてそれをどうしてゆきたいのか。


どんなところが苦しくて
執着している一番根っこのところは
どんな恐怖があるのか。


何を得ようとしていて
何を失うのが怖いのか
正しいか間違ってるかのジャッジは
おいといて、感じてみます。



龍王さまの前で内観します。
内観とは、心の中を自分で見てみること。
何を考え感じていて、何にとらわれているのか
仏様の前で見てみる時間です。





なんやらかんやら、言い訳やらも出ますが
落ち着くところまで見てみると
孤独が怖いとか、対処出来ないことが怖いとか。
結構大きなテーマが出てきたりします。


幸せという価値観が実は
ものすごく偏っていたことに気づいたり
もっと、もっと得ようとしすぎて
大事な体や身近な存在とのすり合わせが
できてなかったことに気づいたりもします。



そこで感じて欲しいのは、
ご自身の生身の感覚です。
身体の感覚も大切に感じてみましょう。
どんなところが痛むのか、きゅっとなるのか。
またはモヤモヤしてるのはどのあたりなのか。


すぐに解決しようとせずに
その曖昧さも感じてみる、のです。
それが、何にも定義付けられない
他の誰でもない自分の感覚なのです。


仏様の愛はカタチの恩恵もあるので、
言葉がわからなくても万人に
信仰できる慈愛があります。


なので仏様の前でうまく
言葉にしなくていいから、手を合わせて
そのご仏徳を感得させていただくのですね。




難蛇なんだ龍王さまであれば、
その水の恵をもたらす清き流れの
潔さと、力強い仏法の守護の力を、
手を合わせて感得「感じて得る」する意です。



どんな人も手を合わせられるように
衆生を救う仏が仏像としておられて、
そのお智慧を感得できるように
場が開かれています。




そこで感じたことは自分への深い理解となり、
前よりちょっとだけでも視点が広がって
また違う一歩を踏み出すことができます。


だって執着するほどの感覚を自分に一番
わかってほしかったはずだから。



きちんとした仏法の修めをされた方が
特別なやり方と真言などで仏様に拝み
お伝えするのとは違って、


私たち普通の人に開かれた祈りの場では
カッコつけたり誰かの言葉で代用するんじゃなく
生身の、自分の感覚で、祈ること感じることを
大切にしたいなと思います。



それが、仏様への誠実さというか

こんなのが今のわたしの心なんです、
感得させてもらえてありがとうございます。

っていう不要な纏のない祈りの姿だと思います。
それは同時に、自分への誠実さになります。

↑大弁功徳天さま「日本の仏像」より。



できるだけその時プライドとか
あいつが悪いとか
そういうのをポイして、仏様の前では
アホに素直に祈るほど、いいと思います^_^




自分の心を回向して心地いいように
生きてゆこうとする人には、


もうそれだけでも、
ものすごく大切な祈りの時間になって
仏様のお智慧を感じるかもしれません。




後々の暮らし、毎日のなかで
龍王さまや祈った仏様方からの
お智慧だなぁ!ありがたい!
って感じることも出てくると思います。



執着がちょっとゆるんで、動き出せる
ようになったりとか。


自分の感覚がすこし理解できて
それでも生きてることが
愛おしくなったりとか。


仏さまに手を合わせる時点で
そういうアンテナを素直に張ってるので
ちゃんと、感じられます。


そして、ここは千手観音さまたちがたくさん
オーケストラみたいに中央の千手観音さまの
元に集まって、いろんな仏様が共に
動いておられるところなので、


わかりやすく、柔らかく、
心のことも体のことも和音をもって
導いてくださるような感じもあります。
仏の、功徳というものが伝わるんです。


 
だから、ご供養の祈りも、できます。

魔和羅女さま「日本の仏像」より。



三十三間堂の仏像の数々は、ほんとうに
どの仏様も見入ってしまうほど繊細で
お力を感じる仏様たちがずらり。
拝む人が絶えず、何時間でも居てしまうところ。


どうぞ、ご自身の行きたいときに
手を合わせに訪れてみてください。


リクエストいただけたら巡禮記
でもご案内しますね^_^



巡禮記
うずめカフェ  松本育子

「日本の仏像」より。帝釈天さま、東寺の帝釈天さまもイケメンですが、ここの帝釈天さまもやっぱりステキです😊💕



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