一隅を照らす | 【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

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こんにちは!
うずめカフェ・巡禮記の松本育子です。


数年前の真冬のこと、
天台宗大僧正の
堀澤祖門さんのお話を聴きに、
比叡山まで上ったことがありました。


(現在は三千院門跡門主になっておられます。)


12年籠山行をされた方で、当時でおそらく
85歳であられたと思います。


とても大変な修行をおさめられた
お坊さんなのに、
終始ニコニコして柔らかな雰囲気で
お友達に「門ちゃん」と呼ばれ
満面の笑みで話しておられました。


ワクワクした無邪気なお顔があまりに
楽しそうで、嬉しそうで、


思わず見ているこちらにも
「なんか、いいなぁ〜ほっこりする」と
自然と笑みがこぼれました。


この方の、この芯があるのに柔らかい佇まい、
親しみがあるのに境界線がクリアな心地よさは
どこからきているのでしょうか。





約1,200年前に、伝教大師、最澄さまにより
開かれた比叡山延暦寺は天台宗の総本山。


宗祖の最澄さまは、
すべての人間は誰でも
仏になる(悟りを開く)ことができる


と説かれました。


その教えのベースとなるのが


「一隅(いちぐう)を照らす、
これ則(すなわ)ち国宝なり」


の言葉に集約されていると思います。


人は、いま、ここで
自分の命のままに懸命に生きれば、
"一隅を照らす"ことができる灯となる。


簡単にまとめると、
一人ひとりの灯は小さいが、
それぞれの輝きがたくさん集まれば
国中が明るく照らされる…皆が幸せな
世の中になってゆく、という教えです。





それを導く立場の最澄さま。
一人ひとりが灯を輝かせ悟りを得るためには
導きは、多様である必要があります。


色んな人がいるし、人の数だけ
いろんな角度の観え方があるからです。


宗派を超えた救いの道を
学び続けた最澄さまは、


皆がそれぞれ「一隅を照らす」ことが
出来るよう、


比叡山にいろーんな幅広い仏教が学べる場を
つくられました。


日本仏教の母山と言われ
多様な宗派のルーツであるゆえんです^ ^


ここを訪れて、この教えに触れたひとは


まず、凝り固まった価値観や概念、
パターン化しやすい考え方などが、
和らぐのを感じるのかもしれません。


一隅を照らすということは
自分自身を見つめることになるし
同時に全体を見渡すことにもなるからです。


小さな視野に凝り固まっていたら、
それはできないので、
自ずと、心の新陳代謝を促されます。


そして、柔らかく、芯のある豊かさが
つくられていくのでしょう。





自らの光で「一隅を照らす」。
わたしは、この光を
祖門さんに見たのでした。


祖門さんが無邪気に笑うと
こちらまでにこーっとしてしまう。


この一瞬に幸せが伝播したのは
祖門さんが高僧だったからではなくて


祖門さんが祖門さんのままで
ただ、幸せの中におられたから。


悲しい、くるしい、腹がたつ、切ない、
いやだ、たのしい、大好き、心地いい、


その繰り返しの中で、自分が何かを
得ようとしないでいるときに
ふとやってくる、


「ただ、幸せだ」と感じるひとときが
今にシンプルにあるとき、 


それは一隅を照らす光になって
あなたの前の人にも波紋します。


以心伝心
まさに光の速さで伝わってゆくんです。


誰かと何かと一緒にそう感じられたら、
幸せはもっと大きくなりますね。





比叡山延暦寺を訪れるとき、
凡夫であるわたしは


シンプルに、ただこんなふうに、
最澄さまの説かれたその祈りや願いの土台に
触れに行きたい、と思うんです。


「多様さを尊ぶ」という
その優しさがもたらすものは
あらゆる自分の側面も丸ごと包める視点です。


意識的に
待てる力ともいえますし
ほっとける力とも言えます。


そうして個々のシンプルな光で
この世が照らされていくならば
すごく素敵だと思うのです。


知識や採用した様々な歴史的見解の眼鏡を
いったん外して、


一隅を照らす と伝えた賢者の視点に、


そっと手を合わせて触れてみませんか。
比叡山延暦寺、雪のお参りもまたよしです。


巡禮記 うずめカフェ 松本育子

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