出版の自由もガス抜き? | MACを武器にIT社会で生き残るオンナ起業家のブログ

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広告業一本で、真面目に働いてきたアラフォー女子です。
12年間個人事業主として会社経営していましたが、
不況で吹き飛んでしまいました!
変化する社会では、真面目だけでも足りないな〜と、MACで情報化社会を生き抜きます。

この1年間、ジャーナリストという人たちに
触れ合う機会に恵まれました。

そこで得た結論は「ジャーナリストと学者は似ている」ということ。

ジャーナリズムは事実主義で、
見たものが真実。

事実主義に陥ると
木を見て森を見ず。
全体を見失って近視眼的になってしまいます。

ショウペンハウエルは言います。
「我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。」
「つねに乗り物を使えば、ついには歩くことを忘れる。
しかしこれこそ大多数の学者の実状である。
彼らは多読の結果、愚者となった人間である。
なぜなら、暇さえあれば、いつでもただちに本に向かうという生活を続けて行けば、
精神は不具廃疾(ふぐはいしつ・心身に著しい障害を有すること)となるからである。」
「学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙を啓き、その前進を促す者。」



また、トクヴィルは言います。

「人が固く信ずるのは深く考えずに決心するからである。異議が生ずると疑いだす。

だが、ときにはあらゆる疑いを克服するに至り、
今度は、真理を偶然、手探りに捉えるわけではなく、正面からこれを見据え、
まっすぐにその光に向かって進むのである。


人が最初の段階にあるときには、出版の自由があっても、
深い考えなしに固く信ずる習慣はなお長い間変わらない。

ただ出版の自由のために、
深い考えなしに信ずる対象が毎日変わるだけである。


だから、ある一つの時点では、人間精神は依然として知的地平線の一点しか見ていない。
ただ、この点がしじゅう変わるのである。」



ある意味で「出版の自由」という美名の下で
全体を見えなくする「ガス抜き」効果があるのかもしれません。


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