『小説よりも奇なり。『決断①』』こんにちは。かつあきです。随分とご無沙汰していました。3か月ぶりの投稿です。この3か月の間に、私は大きな決断をしました。それは、自分が抱えていた、過去の負の遺…リンクameblo.jp

↑(前回の記事)


(前回のつづき)

その日、私は仕事のために車で移動していて、トイレに行こうと普段行かないコンビニ立ち寄りました。

トイレから出てみると、なんと、昔の友だちがそこにいたのです。

約2年ぶりの再会でした。2年前、彼は私に「いくえさんに洗脳されいる」と、変わろうとする私を受け入れずにいました。友だちだと思っていたけど、友だちというレベルも低かったことに気づかされた出来事でした。

私は、その場を離れようとすれ違いましたが、呼び止められました。

振り切ることができません。

彼は私に、

「謝りたい。今日、時間取ってくれないか?」

と言いました。私は振り切ることができずに、承諾しました。だけどそれは仕方なく承諾したのではなく、もう過去の自分とは違うということを、彼に示す時が来たのだと思ったからです。


その日、サロンを抜け出し彼と会いました。

友だちは、いろんなことを尋ねて来ます。それに対してすべて本心で答えました。そして、謝罪もありました。


外に出て修行をすることも話しました。

友だちは、悩みながらも、

「明日、俺の仕事を手伝ってみるか?」

と言ってくれました。

私は、それを受けました。


私は後ろめたさもあって、いくえさんや他のスタッフにうまく説明できず、正直に話そうとしたけど、伝わらず、結果サロンを抜け出したことで、またいくえさんの逆鱗に触れてしまいました。

だけど、私は決して、いくえさんを裏切るつもりもなく、ただ、その友だちからも逃げたくなかった。それだけだったのです。

そのことを何度も伝え、いくえさんはすべてを理解してくれました。

「あの時、行っておいで。と言ってあげられなくて、ごめん。」

その言葉を聞いて、私は自分の力不足をこれでもかと感じました。


次の日、私は友だちの仕事を手伝ってきました。

不安や恐怖はあったけど、そんなことは言ってられない。私は一生懸命、手伝いました。


久しぶりに、外で体を動かせたこと。

初めての環境にも対応できたこと。

誰かの役に立ったこと。


すごく清々しい気持ちになりました。

「どんな環境でも、できる。」

そう思えるきっかけを与えてもらえたと感じました。


ですが、友だちの心意気に甘えてばかりでは、過去の自分と変わらない。

友だちの仕事も技術職です。友だちにお世話になるなら、自分も有資格者になり一人前に仕事を取ることができなければ意味がありません。それができなければ、また共倒れになるだけです。

私は、整体を諦めたわけではなく、修行をするために外に出るのです。友だちのところに骨を埋めるわけじゃない。


次の日、自分の気持ちをLINEで伝えました。

返事は来ませんでしたが、本当に彼には感謝しています。


私は、外の世界へ飛び込めるんだ!と自信が持てるようになっていました。


ずっと心の奥に絡んでいた、友だちのこと。

それもこのタイミングで解くことができたことは、本当に嬉しかった。

それぞれの人生を全うしていけることが、本当の幸せです。



修行と同時に、自分の本業にも向き合って行きたいと、いくえさんと話し合いました。


整体をする中で、自分の強みは「矯正」です。もう一度、自分の技術を商品として売り出したい。

自分の人間性と自分の整体でみなさまに喜んでもらいたい。それが実現できるように、試行錯誤して行きたい。

自分のメニューを、30分の施術からリスタートさせました。


広い世界で、誰かの役に立ちたい。

働くということは、誰かの役に立つことです。

その幅を、自ら狭める必要はないのですから。



ちなみに、

私は手放す決断をしてから、体調がものすごく良くなりました。

子どもの頃から、よくしゃっくりをしていたのが、ピタリと止まりました。もしかしたらチック症状の1つだったのかもしれません。30年以上続いていたものが、ピタリと止まったのですから。

それから、寝ている時に夢を見なくなりました。睡眠が浅く質が悪かったことは、医者に言われていて、20年以上続いていたのですが、どうやら今は熟睡できるようになったようです。



決して失ったのではなく、私が手放した。

それによって、今まで得ることが出来なかったものを得ることができる。


これからも、応援よろしくお願いします!

こんにちは。かつあきです。


随分とご無沙汰していました。

3か月ぶりの投稿です。


この3か月の間に、私は大きな決断をしました。

それは、自分が抱えていた、過去の負の遺産を自ら切り離し、手放す決断。


いくえさんと出会ってなければ、世間体を優先して失うことを怖がり、手放すことから逃げていた一生を送っていたと思います。

もっと言えば、自ら命を絶つ選択をしていたと思います。


いくえさんは、

「無くなるんじゃなくて、自分から手放すってことよ。」

と言いますが、過去の私はその意味すらわからなかったはずです。

『運動』とは、運を動かすと書きます。

運を味方につけるには、動かないといけないのです。


私は自分の抱いていた偶像にやっと気付いたのです。

「ラクして稼ぎたい。」

「ただ、お金持ちになりたい。」

その偶像を抱えた背景には、

「自分は、ずっと周りからバカにされている。」

という思いがあったからです。

私のいた環境は、何かにつけて「お金」でした。

お金をたくさん持っている人が偉い。お金をたくさん稼いでる人が凄い。

お金を持つ人の、その裏舞台など想像もしていませんでした。

ただお金を持つことに憧れていた私は、お金は降って湧いてくるくらいの感覚で、ただお金持ちに追いつこうと、追いついたフリをしていたのです。


そんな自分にやっと気付いたのです。

…いや、もしかしたら、気づきたくなかったのかもしれません。自分の抱いていたものが、偶像だなんて認めたくなかっただけかもしれません。


手放すことが怖くなかったと言うと嘘になります。だけど、そんな私をバカにする人はいませんでした。

バカにするどころか、応援してくれました。

周りのみんなからも「良かったと思いますよ!」

と受け入れてくれました。



10月末の岐阜出張に、私は行きませんでした。いや、行けませんでした。

サロンの経営状態を考えると、2人で動くよりも、いくえさん1人で動く方が出費を減らせます。

これまでも、決して経営状態が良いわけではなかったけど、私の経験を積むため、そして私という人間を知ってもらうために、いくえさんが連れて行ってくれていたのです。


私は毎回、それが楽しみでした。だから行けなかったことの寂しさが頭を埋めます。そして、置いて行かれた私を、周りは嘲笑っているのではないかと、思考が傾くのです。

本当に、自分の中にいるパラサイトは厄介です。そして、そのパラサイトをコントロールできない自分が何よりも厄介です。


そんなパラサイトに、ここでも侵されてしまった私は、出張に行ったいくえさんに対して、サロンの業務を止めてしまうような発言をしてしまったのです。


それは、他のスタッフもいるグループLINEの中で発しました。


いくえさんから、何度も何度も発言の意図を聞かれますが、正当な意図なんてありません。自分の勝手な思考を、正当化する過去のクズに逆戻りしていたのです。


私は逆戻りしても、いくえさんは逆戻りしませんでした。

「この期に及んで、まだそんなレベルでしか生きられない人間は、わたしに必要ない。」

いくえさんは、私を追放しました。 


すぐさま、ホームページからも私の名前は削除され、SNSも外されました。


私は、その瞬間、すべてを失ったことに気づいたのです。

負の遺産を手放したことで0にできたのです。それなのに、この追放は自分で自分をマイナスに置いてしまいました。


私は何をやってるのか…

私は何がしたいのか…


今までに感じたことのない喪失感と恐怖と、自分に対する不信感。

もう、私は2度といくえさんのそばに居れない…。



そんな時でも、他のスタッフが個人的に連絡を取ってくれます。何度も私の思いや思考を確認してくれます。


後から聞いたことですが、スタッフたちは、いくえさんに「追放するのは待って欲しい」と直談判をしてくれていたそうです。


いくえさんは、スタッフの気持ちを汲み、留まったそうです。



いくえさんから連絡が来ました。

「どうしたいの?」

私は、

「もう、そばにいる資格がないと思う。」

と答えました。



いくえさんが岐阜から帰ってきたタイミングで、直接会って話をしました。

私は、自分が抱える寂しさを言葉にすることができずにいたことに気づきました。

ずっと昔から抱えてきた寂しさを、「寂しい!」と言葉にできずにいたことを知りました。


寂しいということを、何かカッコつけることで誤魔化し、綺麗な自分でいようとしていたのです。


岐阜に行けなかったことを「寂しい」と言えばきっと済んだことです。

だけど、「寂しいと言っても、何も報われない。」と決めつけて、寂しいと言うことすら諦めていたのです。寂しい気持ちを理解してもらいたい、共感してもらいたい、それだけできっと心は癒されるのに、私はずっと昔から、それを諦めていたのだと思います。


私は、いくえさんの元を離れたくない。

イクエシキで活動したい。

いくえさんから追放されることは、ものすごく寂しいこと。

それが自分が蒔いた種だとしても、寂しいこと。


私はいくえさんに訴えました。


いくえさんは、こう言いました。

「あなたを追放しようとしても、周りがそれを許さなかったわ。あなたは1人じゃない。そして、あなたの居場所はここにある。あなたがそこにいなくても、あなたの席は無くならない。周りが無くそうとしないから。

あなたを理解しようと、あなた自身を受け入れようと努力している人が存在してる。わたしとの2人だけの世界じゃない。あなたを取り巻く環境は、もっと広い。それを忘れないこと。」


本当にその通りでした。

私は仲間に謝りました。

みんな、

「一緒にがんばりましょう!」

と言ってくれました。


私は、イクエシキに留まることができました。


さて、実情、サロン経営はひっ迫しています。

いくえさんのブログにもあったように、

「共倒れ」

という状況は、その通りです。

厳しい状況なのは、私だけではなく、サロンも同じです。


いくえさんから提案がありました。

「みんな、これまで、わたしの元で基礎を学び、土台を積み上げる訓練をしてきた。それって、スポーツで言えば、チーム内でAB戦をしてきたのと同じこと。AB戦だから、ゲーム中にストップして基礎を確認することもできた。だけど、それだけじゃ実力はつかない。わたしは、基礎的な土台作りはだいたい一周したと思っている。これからは、外に出て、他のチームと練習試合なり対外試合なりを繰り返すことで、実力をつけていく時期に入ったと思ってる。

今後の目標を達成するためにも、外での修行もしてきてほしい。

その間、わたしはこのサロンを立て直す。」


他のスタッフも納得して、早速、新たな課題に取り組みました。

私も、そのつもりです。…そのつもりのはずなのに…


…やっぱり、怖い。


新しい環境や、新しいことに1人で飛び込むことにものすごい恐怖と不安が襲い掛かります。

気持ちはあっても、なかなか踏み出せない…。


今まで、整体しかしてこなかったという負目、

過去に組織の中でうまくやれなかったという負目、

できるフリだけで、中身が伴ってない過去の自分の負目。

そんなことばかりが、頭を占めます。

それでも、いくえさんと相談しながら、応募しましたが、今度は断られるばかり。

また、自分に自信が持てなくなります。


そして、

「どうしたら、ラクにお金を得ることができるか?」

という思考に気づけば戻っていっていたのです。


そんなとき、いくえさんに、こう言われました。

「あなた、本当のお金持ちを知らないでしょ?」

と。


どう言うことかというと、いくえさんのブログにも書いています。いくえブログより『お金持ち』



「お金持ちは、お金を生み出せる人間に投資するのよ。お金を生み出せない、そんな脳も行動力もない人間には投資しない。闇雲にお金のない人間にお金をあげたりはしない。10万でも20万でも自力で生み出せる人間を応援するの。なぜなら、お金のほとんどの人間も、そうやってきたから。

わたしの父親もそう。だから、わたしがうまくいってないことは薄々感じてても、仕事の話はしない。お金の話もしない。わたしもまだまだ事業のことで親と対等には話せない。だから喜んで親に会いに行かない。わたしだけじゃない。みんなそうやって人知れず闘ってるの。なぜなら、本当のお金持ちを知ってるから。お金持ちはみんな、お金を生み出す方法を持ってるから。あなたも自力で生み出そうとしないと、一生、お金持ちからは相手にされないわ。

そして、なんでこのサロンが共倒れしたのか、わかる?」


私は答えられませんでした。


「人間性よ。あなたにその価値があったか?

あなたにその代金を支払ってもいい!と思ってくれる人が、その人数だった。ということ。

あなたがそれを認めなきゃ、この2年半の時間は無意味になる。

それは同時に、わたしにも同じこと。あの時、あんなポンコツを相手にするわたしに、多くの人が失望した。どうなることか、しばらく様子を見ることに専念されたのよ。

それをわかってて、わたしは挑んだ。一切誤魔化さずに今まで来た。だからこの共倒れも想定内。」


いくえさんがこの2年半を経て伝えたかったことは、ここにあったのかと思いました。


人生の土台だけじゃなく、それが「お金」にも繋がっていること。

お金がないことがコンプレックスでいる以上、そこからは抜け出せない。お金を生み出す方法を見つけることが大事なんだと。人間がクズでは、到底それを理解できない。犯罪に手を染めて終わり。

だから、いくえさんは、コツコツと時間と労力をかけて、私にその土台を作ろうとしてくれた。

「共倒れ」にも意味があると、私はやっとその本質がわかりました。


「外に出て実力をつける」

この意味も必要性も、わかった気がしました。



自信なんてないのが当たり前。

今から実力をつけていくのだから。


私は、自分の思考をコントロールして、外に出て修行する決心をしました。


そんな時に… 

(↓つづく)
『小説よりも奇なり。『決断②』』(前回からのつづき)その日、私は仕事のために車で移動していて、トイレに行こうと普段行かないコンビニ立ち寄りました。トイレから出てみると、なんと、昔の友だちがそ…リンクameblo.jp




こんにちは!かつあきです。
 
最近、いくえさんと話すのは、このこと
『自分に何ができるか?』
ということばかりです。
 
これまで2年間、私は、自分の成長のため、いくえさんのメンタルコンサルティングを受けるという自己投資をしてきました。
そのことは、これまでのブログにも書いています。
 
2年が過ぎ、ようやく自分の心に本当の意味での余裕ができてきたように思います。
なぜ、そう思うか?
 
実際、収入に余裕はありません。
サロンの売り上げ自体も決して良いわけではありません。
(正直、収入は余裕すらありません。それは、いくえさんも同じです。)
 
今までの私なら、お金がないことが怖いから、借入するのですが、借入することだって本当は怖くて、
「今月こそは!」
と、収入だけの目標を漠然と掲げては、淡い夢を見るような、脳内お花畑と、怖さを誰かのせいにするだけのポンコツでした。
 
いくえさんにも、この負のエネルギーをぶちまけたこともあります。
(その時は、その10,000倍のブーメランになって自分に返ってきました。ショボーン)
 
 
でも、今は、『怖くない』のです。
そりゃ嫌ですよ。お金ことはまとわりつきますからね。だけど、無いものは無いのです。無暗に怖がっていたって解決するわけではないのです。
 
1人で独立してから、収入を考えない日はありませんでした。10年経ちました。結局、収入は増えていません。
 
でも、命を取られるわけじゃない。
そして今は、収入のない私を、バカにしてくる人は、私の周りにはいません。
 
以前は、収入のない私をバカにしてくる人たちが当たり前に存在していました。
きっと私も、私よりお金に困っている人を指差して、バカにしたい!と思ってたのだと思います。
何の疑問も持たず、それが正義で、お金がすべてだと思っていたのだと思います。
ちょっと収入があると、威張り散らして泡のように溶かすだけ。自己投資をして、武器を手に入れるなんて考えは、1ミリもありませんでした。
 
 
その「ポンコツなクズから、抜け出すのに2年かかった。」というのが、正しい表現かもしれません。
 
この間に、もし収入が増えていたら、お金ばかりに意識が行って、ポンコツなクズからは抜け出せていなかったと思います。
 
 
今は、収入がない事実の経験を通して、自分のマインドと照らし合わせる作業を行っているのだと思っています。
 
 
収入は増えてないけど、環境は確実に良くなっています。
ということは、きっと今のお金がない状況が一生続くこともないと思うのです。
 
だって、応援してくれている方々が、確実に存在しているから。
 
その方々のために、私ができることは何か?
 
整体を通して、カラダの不調を改善することも、その1つです。
 
私自身のことを打ち明けることで、誰かの役に立っているかもしれないと思って、このブログを書いていることも、その1つです。
 
整体以外の、サロンのイベントや、サロンに拘らず誰かのオファーに答えたり、お手伝いをしたり。
 
自分ができることが増えていけば、きっと誰かの役に立つことができるはず。
 
 
2年前までは、整体だけやってれば良い!という考えでしたが、今は、整体はもちろん、その他に何ができるか?というマインドで、日々過ごしています。
(ホント、過去の自分をぶん殴りたいDASH!)
 
 
自分のお金のことばかり考えて過ごすのではなく、誰かの役に立てるには?と考えながら、今日も過ごしています!
 
 
 
そんな、私をここまでコンサルしてくれている、いくえさんが作った、オリジナルTシャツ、一緒に着ませんか?
 
いくえさんに直接会うのは、勇気と覚悟がいるかもしれませんが、Tシャツを着ることで、いくえさんのエネルギーを感じれるとしたら、どうですか?爆笑

 

 

イクエシキプロダクションで、[ダンシングドラゴン]というオリジナルブランドがありまして、そこでの販売となっております。
 
Tシャツの背中部分に、龍の絵が描かれています。
これは、いくえさんの娘さんが(当時11歳)、自分の頭の中にいた龍を描いたもの。
左の袖に[ikueshiki]の文字が入っています。
 
着るだけで運気が上がる⁉️着るパワースポット‼️
 
として、絶賛発売中です!飛び出すハート
 
 
 
 

こんにちは!
かつあきです。

先日、海水浴に行ってきました。
とは言っても、休暇だったとか、そんな理由ではありません。

代表のいくえさんは、自分の子どもの経験に、毎年7月に海水浴に連れて行きます。
いくえさんは、日焼けするのも、水に濡れるのも、苦手です。(平泳ぎはできるそうです。)


だからといって、自分の価値観で子どもの経験を奪ってしまうのは違うと、年に一度、海水浴に連れて行ってるのです。

今年も、子どもたちのリクエストもあり、海水浴に行くことになりました。
「かつあき先生も、一緒に行かない?」
・・・
私は、断りました。

「え?なんで?一緒に行こうよ!」
・・・
何度も誘われるので、半ばイラつきながら了承しました。

でも、
「海には入らない。普段着で行くし。バナナボートなんて、しない。」
と、なんやかんやと注文をつけました。


それでもいくえさんは、
「なんで、普段着なの?」
「バナナボート、乗ってみたらいいやん?」
と、何度も誘ってきます。
・・・
わたしは、最初こそ不機嫌な様子でいましたが、日にちが近づいてくるにつれ、だんだんと『その気』になってきました。
それも、いくえさんのあの手この手が、上手いんですよ。
決して、おだてられるわけではありません。
私の真意を突いてくるのです。

「海水浴、ほとんど行ったことないんやろ?バナナボート、乗ったことないんやろ?だから、経験するのが楽しいんやん?」
と、何度も何度も言ってきます。

そうです。私は川遊びは経験あっても、海水浴はほとんどありません。
大分って、海にも面していますから、海水浴場はあちこちあります。だけど、難癖つけては、自分は経験してこなかったのです。
子どもの頃だって、野球ばかりやってましたから、野球以外の経験なんてほぼほぼないのです。

だから、
『失敗したくない』
が、また自分の全身に絡みついてくるのです。

スタッフのみゆきさんともよく話すのですが、彼女も私と似た境遇で育てられたようで、『知らない』ことは『失敗』だと変換するそうです。
これ、すごくわかります。
知らないと、バカにされる。だから、知らないことに関わろうとしない。知らないことに関わったときに、「こんなことも知らないの?」揶揄される。怒られる。
私の場合は、これに加えて、徹底して偏っていたので、知らないことも『知ってる』と平気で嘘をつくのです。
救いようのないポンコツですが、それも自分なりの生き抜く方法だったのです。

今回の海水浴も、結局、自分が経験がないことを、いくえさんはともかく、いくえさんの子どもたちにもバレることが、嫌だったのです。

いくえさんの家族とは、面識もあり、受け入れてくれてると思っています。でも、受け入れてくれてる度合いが、どんなものか、やっぱり自信がないんですよ。
「は?バナナボート乗ったことないん?」
そんな言葉を投げかけられたら、どう切り抜けていいのか、わからない…。もう不安しかないのです。この不安が、怒りに変わってしまうかもしれない。自分をコントロールできるだろうか…。

それでも、子どもたちは、私が一緒に行くことを快諾してくれ、いくえさんが、私が海水浴の経験がないことも、事前にちゃんと話してくれていたようです。
それどころか、子どもたちの方が、
「バナナボート、怖い!落ちたくない!」
と、全く乗り気じゃなかったことに、ビックリしました。(笑)
過去に乗って、落とされて怖かったとか、周りの人がどうではなく、自分の気持ちを言葉にして、
「みんなが乗ったとしても、自分は乗らない!撮影係になるよ!」
と、言っていました。

怖がる人を周りが揶揄することもなく、自分がどうやって楽しむか?と、それぞれの楽しみ方を持っていました。


私は、やっぱり経験してみよう!と思い、バナナボートを予約しました。(いくえさんも道連れです。(笑))


いざ、乗ってみると、楽しくて楽しくて爆笑
なんでこんなことに、あんなに葛藤していたのか?と思うくらい、あっさり楽しんでいる自分がいました。

『バナナボートに乗りたいか?乗りたくないか?』
ではなく、
バナナボートが初めてということで、周りからの評価ばかりを気にしていたのです。

 

私は絶叫アトラクションも苦手です。だから、バナナボートも正直、ビビっていました。この『ビビる』ことも、『失敗』なのです。揶揄されるかもしれないから。

 

本当に面倒くさい人間なんですショボーン

それで、40歳まで生きてきました。

 

自分のことをいちいち揶揄する、バカにしてくる人は、実は一部の環境でしか存在しないことも、少しずつ理解できてきています。

 

それまでは、私も、その一部の環境にいたから、バカにされ続け、その反感で、また誰かをバカにし続け、さらに平気で嘘を並べては、それが自分を守る手段だと思い込んでいただけなのです。

 

その環境から出てみると、みんな、人をバカにするほど暇じゃないんですよ。

 

人をバカにして、蹴落として、自分さえ良ければ良いなんていう世界は、一部の環境なんですよ。

優しいフリして、全て損得勘定で動いているような人や環境って、実は、一部なんですよ。

 

類は友を呼ぶ

ってことなんですよ。本当に。

 

この2年間、その環境を抜け出し、今の環境で過ごす中で、わざわざバカにされたことあったかな?と考えました。

・・・

なかったです。

 

でも、過去の記憶が蘇って、

『また、バカにされるんじゃないか?』

と、自分で自分を脅しているだけなんですよね。

 

海水浴の帰りは、子どもたちが、

「楽しかったなぁー」

と言っているのを聞いて、またホッとしました。

 

何か楽しませないといけないんじゃないか?と、

そこでも、自分で自分を脅していましたから。

 

でも、子どもたちは、それぞれ、自分で自分を楽しませていました。

 

帰りの車の中で、いくえさんが、とある方の記事を読んでいました。

 

[エネルギー持ち]を目指す!

 

自分のことばかりじゃなく、周りの人も喜ぶことを選択してこそ、本当の豊かさを手に入れる。ってことだそうです。

 

いくえさんは私に、

「あなたも初めての経験がたくさんできたし、子どもたちもきっと満たされる時間を過ごせたし、お金はないけど、気持ちはとても満たされていて、良い時間だったと思う。」

と、言いました。

 

私も、自分の経験が、誰かの役に立つかもしれないと思い、このブログを書いています。

何もしなければ、何も考えなければ、何も書けません。

 

40歳で初めての経験が、それがたかが海水浴やバナナボートであっても、しっかり魂を磨く経験となったと確信しています。

 

 

いくえさんは、海水浴すらも、ただの休暇ではなく、メンタルコンサルティングの一部として、実行しているから、本当にすごいと思います。

 

そんな、いくえさんのブログ、日々綴り

 

 

 

もご覧ください。

 

私のInstagram @mental_physical_therapy も、よろしくお願いしますびっくりマーク

 

 

こんにちは。

かつあきです。

 

今、高校野球の地区予選が行われていますね。

ついつい観てしまうのですが、過去の自分とは思いは全く違います。

過去の投稿のブログにも書いていますが、私は野球にすべてを注いだ学生時代を過ごしていました。その内容も何一つ疑問も抱かず、まるでロボットのように周りの大人の言いなりになっていました。


いくえさんからは、

「あなたがやってきたものは野球じゃない。今後は野球をやっていましたなんて、言わないことだね。」

と言われてしまい、最初は意味すら分かりませんでしたが、のちに理解しました。

『野球のルールだけは知っていたけど、やってる人間はポンコツ。それを野球だと言うなら、本当に野球をやっている人に失礼だよ。』

だということです。人間性がまったく成っていない。いくえさんに対する返答ひとつひとつも人間的なレベルが低すぎたのです。

大人の言いなりでしかないから、チームプレーの意味さえ理解してなった。いくえさんからは、

「あなたエースだったんだろうけど、わたしからしたら、マスターベーション投法としか思えない。」

とぶった切られました。

そこに疑問すら持たず、38歳になるまで意気揚々と過ごしていたのです。

 

いくえさんに出会ってから、今日まで時は過ぎ、たくさんの本も読みました。今では、あの時言われた言葉の意味がわかります。

甲子園の本戦にも足を運び、強豪校の試合を目の当たりにもしました。

当時、自分が正しいと思い込んでいた野球は、明らかに間違っていたし、勝つためにの練習なんてしていませんでした。

学生の頃の野球は100%指導者に従います。指導者によって得るものも失うものもあるのだと痛感しています。それは親子でも同じで、親の価値観の中だけの環境で過ごしていることは、子どもにとって失うこともたくさんあるのだと、痛感しています。

 

先日、サロンで使用していたグラスを割ってしまいました。

いくえさんが持ってきてくれた琉球グラスだったのですが、割った瞬間、葛藤が生まれましたが、私は、

「あ、割ってしまった。」

とつぶやきました。

すぐ近くにいたいくえさんから、どう責められてしまうのか・・・私の葛藤はそこにありました。

 

「大丈夫?」

いつもの口調で、いくえさんは言います。

「うん。」

葛藤はまだ消えません。

 

「大丈夫よ、また家から持ってくるわ。」

この言葉で、私の葛藤は消えました。

割ってしまった、ミスをしてしまった、責められる、嫌な時間が始まる・・・本当は自分が割ったことなんて言いたくない・・・。

こんな葛藤が本当に始まるのです。

人生の中で責められてばかりだと、責められている事実だけに意識が行き、責められることを回避しようと、人のせいにしたり、割ってないと嘘をついたり、こんなことが本当に脳内で起こるのです。

 

でも、責められなかった。

 

私と同じことをスタッフの1人が話します。とてもよくわかる!と。

 

いくえさんは、

「形があるものは壊れる可能性がある。壊してほしくないなら、使わなければいいだけのこと。ここで使いたいと思って使ったんだし、良いじゃん。割ろうと思って割る人の方が少ないでしょ。」

と、言いました。そして、

 

「だからわたし、片付けることも手伝わないのよ(笑)だって、特別なことじゃないから。グラス1つ割ったくらいの片づけは、普段の片づけとなんら変わらない。それを、大騒ぎする必要がどこにあるのかわからない(笑)。」

と言いました。確かにその通りだと、私もスタッフもうなずきました。

 

起きた不慮の事故に対して大騒ぎしすぎ。確かにそうです。

大騒ぎされて、傷ついた心は何を思うか?

大騒ぎした奴の、粗さがしをするのです。

 

こうやって意地の悪い人間は作られていくのだと、自分を振り返りました。

 

物事を、どう捉えるか。

それは、その人の価値観の広さによるものだと。

 

価値観を広げないでいることは、本当に損なのだと感じます。

 

野球ばかりしていても、人間はポンコツのままなのです。

野球で得たことが役に立つのは、野球以外の場面です。ということは、野球以外の場面を多く経験しておかないと、野球で得たことすら、その意味すら想像できないのです。

 

経験がないことを想像するのは難しいです。

いくえさんの話も、経験が少ない私たちにとっては、想像すらできないことがたくさんあります。そして、わかった気になっていて、いざという時に全く違う答え合わせになって、びっくりするのです。

 

いくえさんの元で、たくさんの「当たり前」の「特別な経験」をしてきました。

 

それがあるから、今になっていくえさんの話が、想像できるようになってきています。

 

価値観は訓練すれば必ず広がります。

広がった時、同じ景色も、違って見えるようになるのです。