先日、私にとって、大きな出来事がありました。

小学校のときの担任の先生に数十年ぶりに、お会いできたのです。

 

その先生は、私が5.6年生の時の担任で、本当によく叱られたのを覚えています。

 

それが本当に嬉しかった。

私を叱る目的は、『私のため』だったから。
 

誰かのために良い子にしないといけないとか、そんなことじゃなくて、のために叱ってくれたから。

 

 

その先生との思い出を、よく幾重さんにも話してきました。

そんな中、先日も、ふと先生のことを話したら、幾重さんが、

「会いに行こう!」

と言い出したのです。

 

え?え?心の準備が…あせる

 

「心の準備?そんなもん、いつでも準備しておかないと、チャンスは待ってくれないのよ?」

 

…こうなったときのテンポは凄まじく、そして、先生の情報もあれよあれよと入ってくるのです。

 

 

言い出してから、約2時間後には、先生と会う約束ができ、その場所へ向かいました。

もちろん、幾重さんも一緒に。

 

 

何か手土産を持って行きたいと、幾重さんに相談したら、

「花束とか、良いんじゃない?」

と、提案されて、確かにひらめき電球と、途中、花屋さんにも寄って準備は万端です。

 

先生の色は、黄色のイメージだから、花束も黄色のイメージで作ってもらいました。

 

ドキドキしながら、久しぶりの再会です。

 

そこには、変わらない笑顔の先生が。

「お久しぶりです。」

 

先生は、教員を退職され、今は行政でご活躍しているとのこと。

 

早速、幾重さんが、

「はじめまして。今、茜と一緒にサロンをやっていて、そこの代表をしております。

一緒に仕事をしながら茜のメンタルコンサルティングも、あわせてやっています。」

と、話し始めました。

 

今回、先生との再会の理由、そして、先生に私から伝えたい思いを、幾重さんの先導で進めていきました。

 

子どもの頃の、本当の胸の内。本音。

それを、話した時、先生は目に涙を滲ませて、

「そうやったん。。気づいてあげられなくて、ごめんね。。」

と。

 

私も、一緒に泣いてしまいそうで、先生の目を凝視できずに、ただ、過去の自分を先生に開示していきました。

 

私1人で、会いに行っていたら、きっと私はまた、自分を良く見せようと、瞬時に過去の自分に戻っていたと思います。

でも、幾重さんのおかげで、過去の私の本当の姿を、包み隠さず話すことができました。

 

大好きな先生だから、あの時、私自身を受け入れてくれた先生だから、嘘はつきたくなかった。

クズでバカで異常だった過去の自分を、さらけ出したのです。

 

 

先生は、

「そうやったんやね。もうそこまで振り切ってたんやね。そりゃあ、もっと若い時に、気づけて軌道修正ができてたら良かったな…とは思うよ。だけど、気づけたのが、今だったとしても、それは『気づけて良かった』と思う!まだまだこれからの人生を考えたら、今、気づけて良かったよ!」

と、今の私も、受け入れてもらえたのです。

 

それが本当に嬉しかった。

 

先生も、

「昔は、子どもたちみんな、呼び捨てだったり、ゲンコツしたりしてたよね(笑)」

と、話してくれたときに、幾重さんがすかさず、

 

「大丈夫です。今はわたしが、その100倍、ぶん殴ってますから!(笑)」

と、言っていました。(笑)

 

 

でも、その言葉は、ただの笑い話ではなく、またもや事実になってしまうのです…。

 

 

先生との再会は、本当に嬉しくて、良い時間を過ごすことができました。

先生にも、幾重さんにも、本当に感謝です。

 

 

そんな幾重さんに、私はまた、自分の不安をぶつけてしまう行動を取ってしまったのです。

 

お金の不安です。

売り上げだとか、なんだとか、自分の生活のことを考えると不安でしかたなくなり、それを同時に、幾重さんに攻撃するという、身勝手極まりない、そして、それこそ過去の自分に瞬時に戻ってしまったのです。

 

その醜態は、ほかの門下生の前でも。

それは今回も、幾重さんの狙いがあり、私の醜態を隠すことはせず、なおかつ、スタッフにも自分のこととして考えさせるのです。

 

今回は門下生も、いろいろな意見をぶつけてきます。

私は、自分を正当化することばかりにとらわれて、噛み合いません。

 

その時に、門下生に放った私の愚言を幾重さんは、聞き逃さず、すぐさま鉄拳制裁が返ってきました。

 

自分でも、なんでそんなことを言ってしまったのか…、自分で自分のことがコントロールできない、ここまでメンタルコンサルティングを受けても、まだこうやって、自分の中のパラサイトがいとも簡単に動き出すのです。

 

「わかった?変わったつもりになってるだけ。どれだけメンタルコンサルティングをしようと、どれだけ本を読もうと、自分がやってる今の現状が、自分の実力だから。」

 

本当にその通りなのです。

 

 

自分が恥ずかしい。

また、自分が嫌になってしまう。。

 

幾重さんが遠くなります。。。

 

その時に、周りの門下生たちは、それまでと変わらない態度で、私を心配してくれるのです。

 

どう考えても、1000%私に非があるのに、そんな私を何事もなかったかのように、接してくれるのです。

 

「自分ならどうするか?」

 

幾重さんの普段からの問いを、みんなは、考え実践したのだとわかりました。

 

 

今回ばかりは、幾重さんの心を史上最悪に踏みにじってしまい、修復は簡単ではありません。

 

それでも、今回もたくさんの人が、助けてくれました。

応援してくれました。

 

戻ってきてくれた幾重さんは、

「自分の中にある嫌な部分、汚い部分は、誰にだってある。それに蓋をして、なくした気になっても意味がない。何も変わらない。見ないようにして逃げるんじゃなく、『うまく付き合っていく』にはどうしたらいいか?を考えること。その訓練も、メンタルコンサルティングだから。」

と、話してくれました。

 

 

お金の不安についても、小林正観さんの本に書いています。

 

幾重さんも、言います。

「今が自分にとってニュートラルなの。」

と。

この意味がわからないうちは、私のようにお金に翻弄されてしまうのだということが、よくわかりました。

 

 

私も、ここまでいろんな経験をさせてもらって、もうカッコつける意味もなくなりました。

 

「今が、自分の実力。」

この言葉が、今の私には腑に落ちます。

「過去と変わった」のではなく、

「過去はできなかった、自分のコントロールが出来つつある。」ということ。

 

自分を過信せずに、「今の自分」と向き合いながら過ごしていきたいです。

 

 

小林正観さんの本を読む中で、だんだんと小林正観さんに会いたいと思い、動画も検索している自分がいます。

 

「ありがとう。」を5万回唱える。という言葉がありますが、これをずっと数えているうちは、なかなか「ありがとう」に向き合えない気もします。大事なのは、回数ではなく、「ありがとう」以外の、妬みや愚痴などマイナスのエネルギーを考える暇もないくらい「ありがとう」に没頭しろという意味なのかもしれません。

 

 

さて、先日、幾重さんがブログの中で、

「お金は自分だけでなんとかしなきゃいけないものなのか?」

ということを綴っていました。

 

私も、それまでの人生は『お金が第一』と疑いもなく信じていました。

お金さえあれば希望は叶い、お金さえあれが信用される。本当にそう信じていました。

だから、整体院をやっていても、「お金」に踊らされ、「お金」についていくという選択を当たり前にしていました。

でも、幾重さんに、

「あなたは、誰に何を信用されているの?」

「あなたは、誰のどこに信用しているの?」

と、問われたときに、何も答えられませんでした。そればかりか、

「あなたは、本当に気持ち悪い。」

と、ハッキリ言われてしまいました。

 

ヘラヘラ笑って、自分の武器である施術さえ、「お金」のために安売りをして、誰のために?なんのために?全て「お金のため」だと信じて、偽物を掴まされ、丸裸にされ(いや、自ら丸裸になっていったのだと思います。)、楽しいことなんてないのに、楽しいと思い込み・・・あぁ、思い出すだけでも、気分が悪くなりそうです。。。

 

 

幾重さんと一緒に仕事をしだしてから、まだ、お金に恵まれているという自覚はありませんが、お金以外で、たくさんの奇跡を体験しています。

サロンにお越しいただく方が、いろんなお土産を持ってきてくれるのです。

1人で整体院をやっていた頃は、こんなことほぼありませんでした。

珍しい、食べ物や飲み物が、結構な頻度でいただけるのです。もう本当に嬉しくて嬉しくて。

 

それから、サロンのテラスに、幾重さんのお友だちが、お花を植えてくれるのです。信じられないと思いますが、自発的に無償で。考えられますか?私は考えられなかったです。おかげで、サロンからのテラスの眺めは最高です。

 

施術もすごく楽しいのです。クライアントさんとのお話も楽しいですし、心やカラダの変化が見れるのも、私自身の勉強にもなります。

ですが、施術以外でも、本当にそういった奇跡が当たり前に起こっているのです。

 

 

先日、とある動画の中で(確か、堀江貴文さんの動画だったような・・・)、こんな言葉がありました。

 

「お金がなくても、その人に信頼があれば、お金やいろいろに困ったときに助けてもらえる。だから、お金ってそんなに躍起になって求めなくてもいいんですよ。お金を第一に求めるってことは、『自分には周りからの信頼がない』といっているようなものなんですよ。」

 

このブログの前半の内容は、まさしく『誰からも信用されていない人』のドキュメントですよね。(笑)

Rolandさんも、とある番組で、「やめておいた方がいい男の特徴」として、

「絵画の絵ではなく、額縁を褒める奴は、やめといた方がいい。」

と話していました。

「俺の乗ってる車が・・・」とか、「俺のつけている時計が・・・」とか、自分が主語にならない奴はやめた方がいいということです。

 

「俺はお金がある。」

と、威張っている時点で、ヤバい奴なのです。

これも、幾重さんに、

「は?だから何?そんな奴は、中身が空っぽのピーマンと同じ。」

と言われたことがありましたが、全くその通りだったのです。

 

『信頼はお金では買えない。信頼には必ず心が付いてくるから。』

幾重さんの言葉です。

お金の信用は、お金のあるなしで、どうにでも変動します。しかし、心の信頼はなかなか変動しないのです。

 

信頼を得るには、自分の生き様で勝負するしかないのです。

ありがとうの奇跡を起こすために。

 

 

 
 

先日、とある方にご縁がありました。

その方は、いくえさんの『スピリチュアル座談会』にお越しくださったのですが、お知り合いの方に誘われて来たそうで、よくわからないまま、参加したような感じでした。

 

いくえさんも、

「退屈なお時間にならなければいいな」

と、笑いながら始めたのですが、なんのなんの、その方はいくえさんの話をすぐ理解したようで、いろんなお話もしてくださいました。

 

その方から、『小林正観』についてのお話がありました。

名前は知っていましたが、特段、具体的には知らなかったので、すぐに調べました。

そして、気になった本をすぐに購入して、読みました。

 

 

読んでみると・・・

全部、幾重さんが話してくれたことばかり。

「え?これも?」「また、これも?」

 

この2年間、幾重さんが話してくれたことだからこそ、この本を読みながら、どれも納得するのです。

 

小林正観さんに限らず、いろんな人がいろんな話をしていて、その情報が入ってきます。

ほとんどが、幾重さんが言っていることと同じことを言っているのです。

 

小林正観さんの言葉に、以下のような言葉がありました。

『見方が変われば自分が変わる。見方が変われば世界が変わる。』

『幸せは目の前にある日常であり、それを「幸せ」と感じる心があるかどうか?』

『何事も実践しなければ意味がない。』

これらの言葉と、同じ意味のことを幾重さんも話してくれていました。

 

 

そして、「努力」についてのお話もありました。

小林正観さんは「努力することをやめたのだ」と。

努力が悪いわけではなく、その努力をすることで不平不満や愚痴やごちゃごちゃするものが湧いて出てきて、感謝が出てこなくなるくらいなら、努力なんてしないほうがいいということです。

 

これも、幾重さんが言うことと同じなのです。

幾重さんは、よく、

「あなたが幸せならそれでいいのよ。」

と言います。

 

人は、自分を変えたいだとか、変わりたいだとか、簡単に言います。私も含めて。

あたかも、別人のごとくなってやろうくらいの勢いで。

 

そのくせ、幾重さんのコンサルを受けると、自分が苦しくなってごちゃごちゃするものが湧いてきます。

終いには、幾重さんに反抗したり、嘘をついたり・・・

 

そして、幾重さんに、

「あなたが、今のままで幸せならそれでいいのよ。わたしのコンサルを受けることで、あなたがただ辛くなったり、わたしに不満が出てくるなら、コンサルなんて何も意味がない。わたしに不満が出てくる時点で、あなたは『今が幸せです。』と言っているのと同じ。」

と、言わせてしまうのです。

 

やらされてやってることで、目に見えるところは上達したとしても、心が育つことはないのかもしれません。

 

 

「眉間にしわを寄せて。それで幸せな人、見たことないわ。」

と、幾重さんは言い放ちます。

 

幸せになることを望んでいるのに、眉間にしわを寄せる。なんとも矛盾したことなのだと、今なら理解できます。

2年前までは、理解できなかったです。

 

 

最近は、幾重さんがこんな話をしてくれました。

「あなたがわたしのコンサルを望んだ時に、わたしは『あぁ、無一文になる。』とわかったのよ。

だって、実際、あなたにお金があろうとなかろうと、あなたはわたしの言葉を理解できなかったわ。

2人でやり始めて、それなりの売り上げを出したからって、あなたの心が育ったか?それは別の話だった。

お金があっても、いつも別のところで問題が残っていた。

なんなら、お金があれば、あなたはわたしの言葉を受け入れることが難しかったかもしれない。

だったら、お金のことは後回しで、先に「心」に集中した方が、問題は早く片付くと判断した。

お金があったら10年はかかってた。

きっと今でも、嘘をついたり、騙したり、その場限りの言葉が蔓延してた。

土台がきちんとできていないのに、どんなにお金だけあっても、絶対に幸せにはなれないことだけは、わかっていたから。

あなたから、嘘をつく心が無くなったわけじゃない。

「嘘をつく」「騙す」「その場限りの言葉を放つ」これらが消えてなくなったわけじゃなく、これらを使わない選択ができるようになってきた。

そんなものを選択しなくても、十分に生きていける術を身につけてきたんだと思う。

お金がない崖っぷちの時に、そんなのを使わずに生きていけるなら、お金があるときにも使わずに済むし、使う必要がない。

お金がない時にそれを使う人は、お金があっても、それを使う。なぜなら、その人は『そういう人』だから。

その選択肢を使わずに過ごせるようになったあなたに、わたしは「使ったらいいのに」と意地悪なことををするときがある。

それでも、今のあなたは、腹を立てたり拗ねたり、トンチンカンなことをしなくなった。

それを使わない理由を何度も何度も話してくれるようになった。

この訓練ができていたら、わたし以外の人から同じことをされても、きっと同じように向き合えると思う。

嘘をつかず、騙すことなく、本当に思っていることを伝えられると思う。

わたしの訓練が一番、きついから。

あなたがあなたの優先順位を自覚しておかなきゃ、最後は自分でしか自分を守れないから。」

 

そして幾重さんは、こう続けました。

 

「わたしも、お金がない自分を情けなく思うこともあったけど、でも、お金のない一方で、こうやって1人の人間と向き合って、1ミリでも成果が出たならそれは誇らしいと思ってる。お金に目もくれずやってきたからこそ、10年もかからずにそれなりの答えが目に見えてきた。」

 

この言葉の中に、どれだけの覚悟が詰まっているのか。

ここまで向き合ってもらえている私は、本当に幸せです。

 

お金が無くても、幾重さんは眉間にしわが寄らないのです。お金が無いからといって、幾重さんから笑顔が無くなることもないのです。幾重さんはいつも機嫌が良く、自分の機嫌をちゃんとコントロールできるのです。

当たり前なことですよね。でも、それができる人がどのくらいいるでしょうか。

「お金がないからこそ、得ることもたくさんある。」

 

 

小林正観さんの本の中に、

「長い目で見ると、すべてが幸せだったと気づく。」

という言葉があります。

 

私と幾重さんは、前世からの繋がりがあると、『スピリチュアル座談会』で、幾重さんが話してくれました。

今世での、幾重さんとの出会いも、私のこれまでの人生も、すべて必要なことだったと、私は2年前から話を聞いています。良いとか悪いとかどうでもよくて、すべて必要なことでしかない。その一瞬を切り取れば、良い悪いと判断したくもなりますが、人生を前世から含めて長編小説として見て行けば、良い悪いよりも、とにかくドラマチックなのだと。

 

幾重さんがやっていることは、とにかく壮大なことなのです。

あれから、数日が経ち、私の中の意識も、それまでとはだいぶ変わってきたように思います。

 

一言で言えば、

「自分と向き合う」

ということを、より真剣に考えるようになったと思います。

たった数日間で何が変わるんだ!?と思うかもしれませんが、私にとって『パラサイト』という事実は本当に衝撃でした。

 

幾重さんが、

「あなたが甘いと言うよりも、あなたの中でパラサイトを無法地帯にしていることが問題。」

と表現してくれたことで、私は自分に責められたという反発よりも、客観的に自分を見ることができたように思います。

 

 

先日、初めて門下生全員で、幾重さんと西寒多神社に参拝に行きました。

突然、幾重さんが言い出したことに、みんな喜んで参加しました。

そのあと、カフェでコーヒータイムとなったのですが、だいたいこうなった時は、幾重さんの話が面白くて、数時間は平気で談笑することになるのです。

色んな物事を、色んな側面から考えて分析をして、それを面白おかしく話しながら、めちゃくちゃ考えさせられるのです。

 

幾重さんは、スピリチュアリストですが、決してスピリチュアルに偏らないのです。

神や天使や龍のことを話すことはあります。でも、「だからなに?」とも言います。

『これだけしておけばいい』とか『あそこに行けばいい』など、そんな浅はかなことは絶対に言いません。

『あなたはどうしたいの?』ということを追求するのです。

自分の人生は、自分で切り拓いていくものだから。

 

私にもこの2年間、決して「嘘をつくな」とは言われていないのです。

 

「わたしは、嘘をつかれることが嫌い。でも、嘘をつかなきゃいけないこともあると思う。それならそれで、その嘘を事実にするくらい努力してほしい。それができないなら、嘘をつく意味はないと思う。中途半端に嘘をつきたいなら、その時は、わたしと関わらないところで、そうして欲しい。」

というふうに言われてきました。

ここまで言われていても、人間は自分の価値観で相手を図るものなのだと(これも、幾重さんがいつも言うことです。)、自分も例外なく、ここに当てはまるのだと知りました。

 

 

少し時間があったので、私は幾重さんを誘って、本屋に行きました。

私は、本を読むことが苦手です。ですが、本を読みたいという衝動が起きるのです。

そして、購入して満足するというシナリオに陥るので、いくえさんに付いてきてもらうのです。

今回も、4,5冊手に取って、いくえさんに相談しました。

その中で、幾重さんが1冊を指して、「これなら読めると思うよ。」と言ってくれました。

 

『知識ゼロでも楽しく読める!人間関係の心理学』齊藤勇 著

 

これは、本当に読みやすかったです。

これを読んだら、もっと幾重さんと会話ができるようになるのではないかと思うくらい。

そう言うと幾重さんから、

「早急に読んでほしいわ(笑)」

と言われてしまいました。

 

 

その中で、印象的だったのは、

『思い込みの激しい人の心理』です。

 

思い込みとは、幾重さんの言うパラサイトです。

     

この思い込みのことを心理学的に『認知の歪み』と言うそうで、『認知』とは物事の捉え方(考え方)で、この捉え方(考え方)が極端に偏り歪んでしまうと、現実を正確に認識できない状態になるということだそうです。

 

本文には、【10パターンの認知の歪み】も記載されていて、「心のフィルター」や「すべき思考」など、自分に当てはまるものがたくさんありました。

 

そして、この本に書かれていることは、全て幾重さんにいつも言われてる言葉でした。

 

幾重さんに、

「この本に書いてあることを、いつも考えているのか?」と尋ねたら、

 

「そうだよ。あなたの言動や行動はどんな価値観から生まれたことなのか、その価値観にはどんな心理が絡んでいるのか、あなたのこれまでの人生を視ながら、あなたの心も視ながら。

ただ、あなたにこの知識がない分、この知識をあなたにぶつけても、暖簾に腕押し状態。

あなたからの喧嘩を買うなら、わたしが幾分、あなたのレベルに合わせなきゃいけないと思う。

周りに話すときも、こういった知識などを取り入れて分析しながら話してるよ。」

 

と、言われました。

 

「あー。なんて自分は偏った時間を過ごしていたのか…」

幾重さんでさえ、スピリチュアルに偏らず、幅広い観点から、物事を捉えようとしているのに。

私は、あたかも「自分が正しい」と、知識なんてさらさらない、ただの裸の王様気取りでしかなかったのだと。

 

過去は変えることはできませんが、

未来は変えることができるはずです。

 

過去をなかったことにするのではなく、

過去から積み重ねてきた、このパラサイトと、今からの未来は、闘っていくことが、いまの私にできることなのですから。

 

先日、幾重さんがInstagramで、私が幾重さんのマネージャーという立場から離れるという節の言葉がありました。

その文面を読まれた方の大半は、私のことを応援してくださっているように感じました。ですが、やはり、幾重さんのことを知っている方々は、違和感を感じたと思います。

 

 

私は幾重さんに嘘をついていました。

それも、この2年間ずっと。

 

私は、過去との決別をするために、幾重さんの特別コンサルを受けることを望みました。そして、自分の価値観を広げ、選択肢を増やし、思考を変えていく訓練をずっとしてきたつもりでした。

ですが、それでも、「このくらいでいいや。」「これは関係ない。」と、過去の私のままでいる自分がいたのです。

それは、自分にとって都合のいい価値観で、幾重さんの人生を賭けたこのコンサルを平気で無視したようなことなのです。

 

実は、幾重さんからは、1年も前から、勘づかれている節はありました。

幾重さんなりの、注意警告を出してくれていたのですが、私はそれも「嘘」で突っぱねていたのです。

 

このブログでも何度も書きましたが、幾重さんには必要な情報が必ず届きます。それでも私はまだ、幾重さんを「騙せてる」と勘違いしていたのかもしれません。

 

この嘘が、事実となった時も、幾重さんはその事実となる情報を私の目の前で手にしまた。

幾重さんが注意勧告をしてくれる度に言われてきた言葉通りの事実が、そこにありました。

 

「結局、言った通りだよね。」

と、責められるのは必至です。

ですが、ここで私の癖が、またしても出てくるのです。

 

「それは、犯罪ではない。」

「嘘じゃない。」

「裏切ったわけじゃない。」

この期に及んで、この状況でもクズのような言葉が次から次に出てくるのです。

 

幾重さんが、

「そりゃね、あなたがやってきたことは犯罪でもない。でも、わたしは傷ついた。あなたの人生だから、あなたがしたいようにすればいい。ただ、『過去との決別』なんてことは言わない方がいいよ。あなたは自分の都合のいいところだけを変えたいだけで、過去と決別したいわけじゃない。」

と、そう言って、私の前から去っていきました。

 

私は、何としても幾重さんに許しを得たいと思い、LINEして謝りましたが、当然、簡単にはいきません。

幾重さんから、真を突く言葉が返って来ます。

本当なら自分の反省を何度でも伝えていくべきです。でも、私が打つLINEは、今度は自分のことを擁護する言葉ばかり。

 

これも、いつものことなのです。

頭の中ではわかっているのに、外に出す言葉は、真逆になってしまう。

幾重さんに対して、ガチャガチャとしたLINEを送ってしまうのです。

それに対して、幾重さんからは、その10000倍の内容のLINEが返ってきます。

 

そして、幾重さんは、世間体を気にしないという強みがあります。

徹底して特別コンサル内の扱い、決して2人だけの話にはせずに、周りの人も巻き込みます。

それでも、私のプライバシーを守ってくれる優しさがあり、それも感じるのに、それでも私は、相変わらずなのです。

 

幾重さんの周りの人たちは、どんなに私が原因でも、私を除け者にしたり、私を否定したりすることはありませんでした。今回だってそうでした。

「大丈夫?」や「お茶でも飲んで落ち着いて」など、誰一人、私を『悪者』にしてくる人はいませんでした。

 

それもすべて、幾重さんが、周りの人たちに、何度も何度も私のことを話してくれて、幾重さんが一番に全力で私を向き合ってくれたから。だから、私のこともこうやって応援してくれるのです。

 

 

その間に、幾重さんがInstagramで、私を「独り立ちさせる」と宣言しました。

そりゃそうです。私はずっと、幾重さんに隠れて、自分勝手なことをしていたのですから…。

勝手に1人で、過去と同じレールを歩いていたのですから。

 

 

 

幾重さんからのLINEがぷつりと途切れました。

独りの時間が異様に長く感じます。

どうしようもないけど、私は幾重さんに会いに行きました。

 

 

焦る自分を必死に抑えながら、幾重さんに話しかけました。

 

 

幾重さんは、穏やかな口調で、

「あなたが嘘をついたことが、良いか悪いかなんて、わたしにはわからない。

嘘をついてでも、あなたが続けたかったことで、本当は過去との決別なんてしたくなかったのに、わたしの特別コンサルが、その域を超えていただけかもしれないじゃない?

あなたに無理をさせていただけだったのかもしれない。

わたしが勝手にあなたに期待していただけで、それは、ただあなたを苦しめていただけなのかもしれない。

わたしが傷ついたことは事実。

でも、それもわたしがあなたに、できもしない課題を与えていただけなのかもしれないよね。」

と言いました。

 

私の価値観では、この言葉でさえも「責められている」ように感じてしまうのです。

でも、そうじゃなく、幾重さんは、違う観点を持ってきて私に話してくれているのです。

私を責めているのではなく、この事実を府に落とすための場所を探してくれているのです。

 

 

 

幾重さんは、※【マズローの欲求5段階説】を用いて、私を分析しました。

「あなたはこの中の「社会的欲求」の部分で満たされていないのかもしれない。

例えば、子どもにとって家族(家庭)は、一番の受け入れられたい場所。愛情を感じ、安心も感じられる場所でもある。家族に本音を話して、受け入れてもらったり、励ましてもらったり、自分を認めてもらえる場所としてありたい。

そこから、友人や、家族以外への欲求とつながるのだと思う。これらが満たされて、次の承認欲求に繋がっていくのだと思う。」

 

幾重さんは続けます。

 

「あなたは、その欲求をしっかり満たされて消化していると自分でも自覚できていないんじゃない?

わたしは、あなたからいつも「怖い」という思いを感じるのよ。

「怖い」から、自己防衛に走るんじゃない?

何が怖いのかって、「自分の居場所がなくなること」が。

自分が安全に過ごせる場所。

自分を無条件で受け入れてもらえる場所。

あなたにとってわたしは、自分を理解して受け入れてくれる「場所」でもあるんでしょ?

そのわたしから、何が原因だろうが、「責められる」ことに怖さを感じるんじゃない?

居場所がなくなることも怖い。と、同時に、『自分がバカにされる』ことも怖いんじゃないかな?

 

怒られる

否定される

バカにされる

居場所がなくなる

安心できない

安全ではない

この『刷り込み』が「怖さ」となって、あなたをパニックにさせてるんじゃないかしら?」

 

私は、ドキッとしました。

 

さらに、続けます。

「一緒にいたいけど、バカにされたくない。

一緒にいたいけど、対等じゃなくなるのが怖い。

思ってもないことを言って、相手を攻撃しないと、なんとしても勝たないと、『また、バカにされる。』『また、ダメな奴だと言われる。』

だから必死に必死に自分を守ろうとする。

そんな自分も本当は嫌で、自己嫌悪だってある。

でも、自分の自己嫌悪に気づかれたら、そこに付け込まれて、またバカにされるかもしれない。

だから、そんな様子も必死に隠してしまう。無限のループにいつも陥って嫌になる。

嫌になるのに、嫌だと言えない。

そんな自分が苦しくて、また嫌になる。

だから、過去は全部逃げてきた。そうするしかなかった。

でも、わたしからは、逃がしてもらえない。

何度も何度もどこまででも突いてくる。

わたし以外なら、逃げて知らん顔してれば、いつのまにか、元通りになっていたのに、わたしはそれを許さない。

わたしから逃げたら、元通りはない。

そんなこともわかっている。

でも、どうしたらいいかわからない。わからなくて苦しい。

わからないのに、わからないと言ったらバカにされてしまうかもしれないという怖さが、また自分を守る行動になってしまう。

『私の気持ちなんて、どうせ誰もわからない。』

『私の気持ちなんて誰もわかるわけない。』

その諦めが、『私は、人の気持ちがわからないから。』という、あなたの口癖に変換されてる。」

 

その通りだと思いました。

 

 

「誰だって最初は、自分が優しくされて、初めて人に優しくできる。

自分の気持ちが無条件で受け入れられた経験をして初めて、人の気持ちを無条件で受け入れることができる。

どんなに些細なことでも、自分が満たされているという自覚があって、初めて人に分け与えることができる。

自分が満たされないと、本当の愛(無条件の愛)なんてわからないよ。誰だって。

相手が喜ぶことをすることも大事。

だけど本当に大事なのは、自分こそが本当に心から喜ぶこと。

それは、感情の極みを体感してこそ、相手も喜ばせることができるのだと思う。

どんな場面でも、心を揺さぶれれて感情が極まったら、自然と涙があふれてくる。喜怒哀楽、どんな感情でもね。

だから、やっぱり、心とカラダは繋がっている。そして、思いと行動は繋がる。

 

自分の頭の中にあるものが『刷り込み』なのか『自分の意思』なのか、細かく選別していかなきゃならない。

それも、あなたの肚の中ですることであって、どんなにわたしが手を加えても、その『刷り込み』のパラサイトが棲みついているうちは、パラサイトに邪魔をされて、パラサイトが偽りを繰り返すだけだと思う。

あなたの肚の中に、パラサイトが棲みついているのか、もう、あなた自身がパラサイトに染められて、あなたがパラサイトなのか、本当のところはわたしにはわからない。

それでも、わたしは、まだ、あなたの意思で、そのパラサイトを肚の外に吐き出すことができるんじゃないかと思ってる。

思っていることと真逆のことをしてしまうのも、パラサイトが原因だと考えれば、それがわかっているのにやってしまうということは、もうパラサイトに染められてしまって、あなた自身がパラサイトになりつつあるのかもしれない。

それでも、わたしは、まだ肚の中からそのパラサイトを吐き出すことができるんじゃないかと思ってる。

あなた自身がパラサイトかもしれない。でも、それが確定してしまうまでは、わたしは信じたい。

 

あなたが、自分の中でパラサイトを自由にさせているのか、パラサイトに対して「必要ない」と闘うのか。

今までは、前者だった。今回も前者だった。これからは、後者であってほしい。

『過去との決別』とは、あなたが、自分のパラサイトとちゃんと闘って、勝ち進むこと。それだけよ。最初から。

あなたが甘えているというよりも、あなたが自分の中のパラサイトを甘やかせて無法地帯にしてるだけ。」

 

 

自分の中のパラサイト。

とても踏に落ちました。

 

もう、これ以上、私は幾重さんの前で、パラサイトをさらすことはしたくないと心から思いました。

漠然とした生きづらさ。

ただの発達障害・・・?

幾重さんは「後天性の可能性がある」とずっと言っていましたが、この話を聞いてきっとそうなのだと思いました。

 

 

 

今回、パラサイトというものに、気づかせてもらえたことは、私の大きなターニングポイントかもしれません。

 

 

(その後の話し合いで、私の思いを受け入れてもらい、統括マネージャーとして、もう一度努めさせてもらうこととなりましたのでご報告します。)