その日、車で移動していて、トイレに行こうと普段行かないコンビニ立ち寄りました。

トイレから出てみると、なんと、昔の友だちがそこにいたのです。

約2年ぶりの再会でした。

2年前、彼は私に「洗脳されいる」と、変わろうとする私を受け入れずにいました。友だちだと思っていたけど、友だちというレベルも低かったことに気づかされた出来事でした。

私は、その場を離れようとすれ違いましたが、呼び止められました。

振り切ることができません。

彼は私に、

「謝りたい。今日、時間取ってくれないか?」

と言いました。

私は振り切ることができずに、承諾しました。だけどそれは仕方なく承諾したのではなく、もう過去の自分とは違うということを、彼に示す時が来たのだと思ったからです。

 

その日、サロンを抜け出し彼と会いました。

友だちは、いろんなことを尋ねて来ます。それに対してすべて本心で答えました。彼からの謝罪もありました。

 

外に出て修行をすることも話しました。

友だちは、悩みながらも、

「明日、俺の仕事を手伝ってみるか?」

と言ってくれました。

私は、それを受けました。

 

私は後ろめたさもあって、幾重さんにうまく説明できず、正直に話そうとしたけど、伝わらず、結果サロンを抜け出したことで、また幾重さんの逆鱗に触れてしまいました。

だけど、私は決して、幾重さんを裏切るつもりもなく、ただ、その友だちからも逃げたくなかった。それだけだったのです。

そのことを何度も伝え、幾重さんはすべてを理解してくれました。

「あの時、「行っておいで。」と言ってあげられなくて、ごめん。」

その言葉を聞いて、私は自分の力不足をこれでもかと感じました。

 

次の日、私は友だちの仕事を手伝ってきました。

不安や恐怖はあったけど、そんなことは言ってられない。私は一生懸命、手伝いました。

 

久しぶりに、外で体を動かせたこと。

初めての環境にも対応できたこと。

誰かの役に立ったこと。

 

すごく清々しい気持ちになりました。

「どんな環境でも、できる。」

そう思えるきっかけを与えてもらえたと感じました。

 

ですが、友だちの心意気に甘えてばかりでは、過去の自分と変わらない。

友だちの仕事も技術職です。友だちにお世話になるなら、自分も有資格者になり一人前に仕事を取ることができなければ意味がありません。

私は、整体を諦めたわけではなく、修行をするために外に出るのです。友だちのところに骨を埋めるわけじゃない。

 

次の日、自分の気持ちをLINEで伝えました。

返事は来ませんでしたが、本当に彼には感謝しています。

 

私は、外の世界へ飛び込めるんだ!と自信が持てるようになっていました。

 

ずっと心の奥に絡んでいた、友だちのこと。

それもこのタイミングで解くことができたことは、本当に嬉しかった。

それぞれの人生を全うしていけることが、本当の幸せです。

 

 

修行と同時に、自分の本業にも向き合って行きたいと、幾重さんと話し合いました。

 

整体をする中で、自分の強みは「矯正」です。もう一度、自分の技術を商品として売り出したい。

自分の人間性と自分の整体でみなさまに喜んでもらいたい。それが実現できるように、試行錯誤して行きたい。

自分のメニューを、30分の施術からリスタートさせました。

 

広い世界で、誰かの役に立ちたい。

働くということは、誰かの役に立つことです。

その幅を、自ら狭める必要はないのですから。

 

 

ちなみに、

私は手放す決断をしてから、体調がものすごく良くなりました。

子どもの頃から、よくしゃっくりをしていたのが、ピタリと止まりました。もしかしたらチック症状の1つだったのかもしれません。30年以上続いていたものが、ピタリと止まったのですから。

それから、寝ている時に夢を見なくなりました。睡眠が浅く質が悪かったことは、医者に言われていて、20年以上続いていたのですが、どうやら今は熟睡できるようになったようです。

 

 

決して失ったのではなく、私が手放した。

それによって、今まで得ることが出来なかったものを得ることができる。

 

これからも、応援よろしくお願いします!

随分とご無沙汰していました。

3か月ぶりの投稿です。

 

この3か月の間に、私は大きな決断をしました。

それは、自分が抱えていた、過去の負の遺産を自ら切り離し、手放す決断。

 

幾重さんと出会ってなければ、世間体を優先して失うことを怖がり、手放すことから逃げていた一生を送っていたと思います。

もっと言えば、自ら命を絶つ選択をしていたと思います。

 

いくえさんは、

「無くなるんじゃなくて、自分から手放すってことよ。」

と言いますが、過去の私はその意味すらわからなかったはずです。

『運動』とは、運を動かすと書きます。

運を味方につけるには、動かないといけないのです。

 

私は自分の抱いていた偶像にやっと気付いたのです。

「ラクして稼ぎたい。」

「ただ、お金持ちになりたい。」

その偶像を抱えた背景には、

「自分は、ずっと周りからバカにされている。」

という思いがあったからです。

私のいた環境は、何かにつけて「お金」でした。

お金をたくさん持っている人が偉い。お金をたくさん稼いでる人が凄い。

お金を持つ人の、その裏舞台など想像もしていませんでした。

ただお金を持つことに憧れていた私は、お金は降って湧いてくるくらいの感覚で、ただお金持ちに追いつこうと、追いついたフリをしていたのです。

 

そんな自分にやっと気付いたのです。

…いや、もしかしたら、気づきたくなかったのかもしれません。自分の抱いていたものが、偶像だなんて認めたくなかっただけかもしれません。

 

手放すことが怖くなかったと言うと嘘になります。だけど、そんな私をバカにする人はいませんでした。

バカにするどころか、応援してくれました。

周りのみんなからも「良かったと思いますよ!」

と受け入れてくれました。

 

 

10月末の岐阜出張に、私は行きませんでした。いや、行けませんでした。

サロンの経営状態を考えると、2人で動くよりも、幾重さん1人で動く方が出費を減らせます。

これまでも、決して経営状態が良いわけではなかったけど、私の経験を積むため、そして私という人間を知ってもらうために、幾重さんが連れて行ってくれていたのです。

 

私は毎回、それが楽しみでした。だから行けなかったことの寂しさが頭を埋めます。そして、置いて行かれた私を、周りは嘲笑っているのではないかと、思考が傾くのです。

本当に、自分の中にいるパラサイトは厄介です。そして、そのパラサイトをコントロールできない自分が何よりも厄介です。

 

そんなパラサイトに、ここでも侵されてしまった私は、出張に行った幾重さんに対して、サロンの業務を止めてしまうような発言をしてしまったのです。

 

 

いくえさんから、何度も何度も発言の意図を聞かれますが、正当な意図なんてありません。自分の勝手な思考を、正当化する過去のクズに逆戻りしていたのです。

 

私は逆戻りしても、幾重さんは逆戻りしませんでした。

「この期に及んで、まだそんなレベルでしか生きられない人間は、わたしに必要ない。」

幾重さんは、私を追放しました。 

 

すぐさま、ホームページからも私の名前は削除され、SNSも外されました。

 

私は、その瞬間、すべてを失ったことに気づいたのです。

負の遺産を手放したことで0にできたのです。それなのに、自分で自分をマイナスに置いてしまいました。

 

私は何をやってるのか…

私は何がしたいのか…

 

今までに感じたことのない喪失感と恐怖と、自分に対する不信感。

もう、私は2度と幾重さんのそばに居れない…。

 

 

そんな時でも、他の門下生が個人的に連絡を取ってくれます。何度も私の思いや思考を確認してくれます。

 

後から聞いたことですが、みんなは、幾重さんに「追放するのは待って欲しい」と直談判をしてくれていたそうです。

 

幾重さんは、スタッフの気持ちを汲み、留まったそうです。

 

 

幾重さんから連絡が来ました。

「どうしたいの?」

私は、

「もう、そばにいる資格がないと思う。」

と答えました。

 

 

幾重さんが岐阜から帰ってきたタイミングで、直接会って話をしました。

私は、自分が抱える寂しさを言葉にすることができずにいたことに気づきました。

ずっと昔から抱えてきた寂しさを、「寂しい!」と言葉にできずにいたことを知りました。

 

寂しいということを、何かカッコつけることで誤魔化し、綺麗な自分でいようとしていたのです。

 

岐阜に行けなかったことを「寂しい」と言えばきっと済んだことです。

だけど、「寂しいと言っても、何も報われない。」と決めつけて、寂しいと言うことすら諦めていたのです。寂しい気持ちを理解してもらいたい、共感してもらいたい、それだけできっと心は癒されるのに、私はずっと昔から、それを諦めていたのだと思います。

 

私は、幾重さんの元を離れたくない。

幾重さんから追放されることは、ものすごく寂しいこと。

それが自分が蒔いた種だとしても、寂しいこと。

 

私は幾重さんに訴えました。

 

幾重さんは、こう言いました。

「あなたを追放しようとしても、周りがそれを許さなかった。

あなたは1人じゃない。

そして、あなたの居場所はここにある。あなたがそこにいなくても、あなたの席は無くならない。周りが無くそうとしないから。

あなたを理解しようと、あなた自身を受け入れようと努力している人が存在してる。

わたしとの2人だけの世界じゃない。

あなたを取り巻く環境は、もっと広い。それを忘れないこと。」

 

本当にその通りでした。

私はみんなに謝りました。

みんな、

「一緒にがんばりましょう!」

と言ってくれました。

 

私は、留まることができました。

 

 

幾重さんから提案がありました。

「みんな、これまで、わたしの元で基礎を学び、土台を積み上げる訓練をしてきた。

それって、スポーツで言えば、チーム内でAB戦をしてきたのと同じこと。

AB戦だから、ゲーム中にストップして基礎を確認することもできた。だけど、それだけじゃ実力はつかない。

わたしは、基礎的な土台作りはだいたい一周したと思っている。

これからは、外に出て、他のチームと練習試合なり対外試合なりを繰り返すことで、実力をつけていく時期に入ったと思ってる。

今後の目標を達成するためにも、外での修行もしてきてほしい。」

 

他のスタッフも納得して、早速、新たな課題に取り組みました。

私も、そのつもりです。…そのつもりのはずなのに…

 

…やっぱり、怖い。

 

新しい環境や、新しいことに1人で飛び込むことにものすごい恐怖と不安が襲い掛かります。

気持ちはあっても、なかなか踏み出せない…。

 

今まで、整体しかしてこなかったという負い目、

過去に組織の中でうまくやれなかったという負い目、

できるフリだけで、中身が伴ってない過去の自分の負い目。

そんなことばかりが、頭を占めます。

 

そして、

「どうしたら、ラクにお金を得ることができるか?」

という思考に気づけば戻っていっていたのです。

 

そんなとき、幾重さんに、こう言われました。

「あなた、本当のお金持ちを知らないでしょ?」

と。

 

 

「お金持ちは、お金を生み出せる人間に投資するのよ。

お金を生み出せない、そんな脳も行動力もない人間には投資しない。

闇雲にお金のない人間にお金をあげたりはしない。

10万でも20万でも自力で生み出せる人間を応援するの。

お金持ちはみんな、お金を生み出す方法を持ってるから。

あなたも自力で生み出そうとしないと、一生、お金持ちからは相手にされないわ。」

 

お金がないことがコンプレックスでいる以上、そこからは抜け出せない。

お金を生み出す方法を見つけることが大事なんだと。

人間がクズでは、到底それを理解できない。犯罪に手を染めて終わり。

だから、幾重さんは、コツコツと時間と労力をかけて、私にその土台を作ろうとしてくれた。

 

「外に出て実力をつける」

この意味も必要性も、わかった気がしました。

 

 

自信なんてないのが当たり前。

今から実力をつけていくのだから。

 

私は、自分の思考をコントロールして、外に出て修行する決心をしました。

最近、幾重さんと話すのは、このこと
『自分に何ができるか?』
ということばかりです。
 
これまで2年間、私は、自分の成長のため、幾重さんのメンタルコンサルティングを受けるという自己投資をしてきました。
 
2年が過ぎ、ようやく自分の心に本当の意味での余裕ができてきたように思います。
なぜ、そう思うか?
 
実際、収入に余裕はありません。
 
今までの私なら、お金がないことが怖いから、借入するのですが、借入することだって本当は怖くて、
「今月こそは!」
と、収入だけの目標を漠然と掲げては、淡い夢を見るような、脳内お花畑と、怖さを誰かのせいにするだけのポンコツでした。
 
幾重さんにも、この負のエネルギーをぶちまけたこともあります。
(その時は、その10,000倍のブーメランになって自分に返ってきました。ショボーン)
 
 
でも、今は、『怖くない』のです。
そりゃ嫌ですよ。お金ことはまとわりつきますからね。だけど、無いものは無いのです。無暗に怖がっていたって解決するわけではないのです。
 
1人で独立してから、収入を考えない日はありませんでした。10年経ちました。結局、収入は増えていません。
 
でも、命を取られるわけじゃない。
そして今は、収入のない私を、バカにしてくる人は、私の周りにはいません。
 
以前は、収入のない私をバカにしてくる人たちが当たり前に存在していました。
きっと私も、自分よりお金に困っている人を指差して、バカにしたい!と思ってたのだと思います。
何の疑問も持たず、それが正義で、お金がすべてだと思っていたのだと思います。
ちょっと収入があると、威張り散らして泡のように溶かすだけ。自己投資をして、武器を手に入れるなんて考えは、1ミリもありませんでした。
 
 
その「ポンコツなクズから、抜け出すのに2年かかった。」というのが、正しい表現かもしれません。
 
この間に、もし収入が増えていたら、お金ばかりに意識が行って、ポンコツなクズからは抜け出せていなかったと思います。
 
 
今は、収入がない事実の経験を通して、自分のマインドと照らし合わせる作業を行っているのだと思っています。
 
 
収入は増えてないけど、環境は確実に良くなっています。
ということは、きっと今のお金がない状況が一生続くこともないと思うのです。
 
だって、応援してくれている方々が、確実に存在しているから。
 
その方々のために、私ができることは何か?
 
整体を通して、カラダの不調を改善することも、その1つです。
 
私自身のことを打ち明けることで、誰かの役に立っているかもしれないと思って、このブログを書いていることも、その1つです。
 
整体以外の、誰かのオファーに答えたり、お手伝いをしたり。
 
自分ができることが増えていけば、きっとまた誰かの役に立つことができるはず。
 
 
2年前までは、整体だけやってれば良い!という考えでしたが、今は、整体はもちろん、その他に何ができるか?というマインドで、日々過ごしています。
(ホント、過去の自分をぶん殴りたいDASH!)
 
 
自分のお金のことばかり考えて過ごすのではなく、誰かの役に立てるには?と考えながら、今日も過ごしています!

先日、海水浴に行ってきました。
とは言っても、休暇だったとか、そんな理由ではありません。

代表の幾重さんは、自分の子どもの経験に、毎年7月に海水浴に連れて行きます。
幾重さんは、日焼けするのも、水に濡れるのも、苦手です。(平泳ぎはできるそうです。)


だからといって、自分の価値観で子どもの経験を奪ってしまうのは違うと、年に一度、海水浴に連れて行ってるのです。

今年も、子どもたちのリクエストもあり、海水浴に行くことになりました。
「茜も、一緒に行かない?」
・・・
私は、断りました。

「え?なんで?一緒に行こうよ!」
・・・
何度も誘われるので、半ばイラつきながら了承しました。

でも、
「海には入らない。普段着で行くし。バナナボートなんて、しない。」
と、なんやかんやと注文をつけました。


それでも幾重さんは、
「なんで、普段着なの?」
「バナナボート、乗ってみたらいいじゃん?」
と、何度も誘ってきます。
・・・
私は、最初こそ不機嫌な様子でいましたが、日にちが近づいてくるにつれ、だんだんと『その気』になってきました。
それも、幾重さんのあの手この手が、上手いんですよ。
決して、おだてられるわけではありません。
私の真意を突いてくるのです。

「海水浴、ほとんど行ったことないんでしょ?

バナナボート、乗ったことないんでしょ?

だから、経験するのが楽しいんじゃん?」
と、何度も何度も言ってきます。

そうです。私は川遊びは経験あっても、海水浴はほとんどありません。
海水浴場はあちこちあります。だけど、難癖つけては、自分は経験してこなかったのです。
子どもの頃だって、野球ばかりやってましたから、野球以外の経験なんてほぼほぼないのです。

だから、
『失敗したくない』
が、また自分の全身に絡みついてくるのです。

知らないと、バカにされる。だから、知らないことに関わろうとしない。知らないことに関わったときに、「こんなことも知らないの?」揶揄される。怒られる。
私の場合は、これに加えて、徹底して偏っていたので、知らないことも『知ってる』と平気で嘘をつくのです。
救いようのないポンコツですが、それも自分なりの生き抜く方法だったのです。

今回の海水浴も、結局、自分が経験がないことを、幾重さんはともかく、幾重さんの子どもたちにもバレることが、嫌だったのです。

幾重さんの家族とは、面識もあり、受け入れてくれてると思っています。

でも、受け入れてくれてる度合いが、どんなものか、やっぱり自信がないんですよ。
「は?バナナボート乗ったことないん?」
そんな言葉を投げかけられたら、どう切り抜けていいのか、わからない…。

もう不安しかないのです。

この不安が、怒りに変わってしまうかもしれない。

自分をコントロールできるだろうか…。

それでも、子どもたちは、私が一緒に行くことを快諾してくれ、幾重さんが、私が海水浴の経験がないことも、事前にちゃんと話してくれていたようです。
それどころか、子どもたちの方が、
「バナナボート、怖い!落ちたくない!」
と、全く乗り気じゃなかったことに、ビックリしました。(笑)
「過去に乗って、落とされて怖かった!」

とか、周りの人がどうではなく、自分の気持ちを言葉にして、
「みんなが乗ったとしても、自分は乗らない!撮影係になるよ!」
と、言っていました。

怖がる人を周りが揶揄することもなく、自分がどうやって楽しむか?と、それぞれの楽しみ方を持っていました。


私は、やっぱり経験してみよう!と思い、バナナボートを予約しました。(幾重さんも道連れです。(笑))


いざ、乗ってみると、楽しくて楽しくて爆笑
なんでこんなことに、あんなに葛藤していたのか?と思うくらい、あっさり楽しんでいる自分がいました。

『バナナボートに乗りたいか?乗りたくないか?』
ではなく、
バナナボートが初めてということで、周りからの評価ばかりを気にしていたのです。

 

私は絶叫アトラクションも苦手です。だから、バナナボートも正直、ビビっていました。この『ビビる』ことも、『失敗』なのです。揶揄されるかもしれないから。

 

本当に面倒くさい人間なんですショボーン

それで、40歳まで生きてきました。

 

自分のことをいちいち揶揄する、バカにしてくる人は、実は一部の環境でしか存在しないことも、少しずつ理解できてきています。

 

それまでは、私も、その一部の環境にいたから、バカにされ続け、その反感で、また誰かをバカにし続け、さらに平気で嘘を並べては、それが自分を守る手段だと思い込んでいただけなのです。

 

その環境から出てみると、みんな、人をバカにするほど暇じゃないんですよ。

 

人をバカにして、蹴落として、自分さえ良ければ良いなんていう世界は、一部の環境なんですよ。

優しいフリして、全て損得勘定で動いているような人や環境って、実は、一部なんですよ。

 

類は友を呼ぶ

ってことなんですよ。本当に。

 

この2年間、その環境を抜け出し、今の環境で過ごす中で、わざわざバカにされたことあったかな?と考えました。

・・・

なかったです。

 

でも、過去の記憶が蘇って、

『また、バカにされるんじゃないか?』

と、自分で自分を脅しているだけなんですよね。

 

海水浴の帰りは、子どもたちが、

「楽しかったなぁー」

と言っているのを聞いて、またホッとしました。

 

何か楽しませないといけないんじゃないか?と、

そこでも、自分で自分を脅していましたから。

 

でも、子どもたちは、それぞれ、自分で自分を楽しませていました。

 

帰りの車の中で、幾重さんが、とある方の記事を読んでいました。

 

[エネルギー持ち]を目指す!

 

自分のことばかりじゃなく、周りの人も喜ぶことを選択してこそ、本当の豊かさを手に入れる。ってことだそうです。

 

幾重さんは私に、

「あなたも初めての経験がたくさんできたし、子どもたちもきっと満たされる時間を過ごせたし、お金はないけど、気持ちはとても満たされていて、良い時間だったと思う。」

と、言いました。

 

私も、自分の経験が、誰かの役に立つかもしれないと思い、このブログを書いています。

何もしなければ、何も考えなければ、何も書けません。

 

40歳で初めての経験が、それがたかが海水浴やバナナボートであっても、しっかり魂を磨く経験となったと確信しています。

 

 

いくえさんは、海水浴すらも、ただの休暇ではなく、メンタルコンサルティングの一部として、実行しているから、本当にすごいと思います。

先日、私にとって、大きな出来事がありました。

小学校のときの担任の先生に数十年ぶりに、お会いできたのです。

 

その先生は、私が5.6年生の時の担任で、本当によく叱られたのを覚えています。

 

それが本当に嬉しかった。

私を叱る目的は、『私のため』だったから。
 

誰かのために良い子にしないといけないとか、そんなことじゃなくて、私のために叱ってくれたから。

 

 

その先生との思い出を、よく幾重さんにも話してきました。

そんな中、先日も、ふと先生のことを話したら、幾重さんが、

「会いに行こう!」

と言い出したのです。

 

え?え?心の準備が…

 

「心の準備?そんなもん、いつでも準備しておかないと、チャンスは待ってくれないのよ?」

 

…こうなったときのテンポは凄まじく、そして、先生の情報もあれよあれよと入ってくるのです。

 

 

言い出してから、約2時間後には、先生と会う約束ができ、その場所へ向かいました。

もちろん、幾重さんも一緒に。

 

 

何か手土産を持って行きたいと、幾重さんに相談したら、

「花束とか、良いんじゃない?」

と、提案されて、確かに!と、途中、花屋さんにも寄って準備は万端です。

 

先生の色は、黄色のイメージだから、花束も黄色のイメージで作ってもらいました。

 

ドキドキしながら、久しぶりの再会です。

 

そこには、変わらない笑顔の先生が。

「お久しぶりです。」

 

先生は、教員を退職され、今は行政でご活躍しているとのこと。

 

早速、幾重さんが、

「はじめまして。今、茜と一緒にサロンをやっていて、そこの代表をしております。

一緒に仕事をしながら茜のメンタルコンサルティングも、あわせてやっています。」

と、話し始めました。

 

今回、先生との再会の理由、そして、先生に私から伝えたい思いを、幾重さんの先導で進めていきました。

 

子どもの頃の、本当の胸の内。本音。

それを、話した時、先生は目に涙を滲ませて、

「そうやったん。。気づいてあげられなくて、ごめんね。。」

と。

 

私も、一緒に泣いてしまいそうで、先生の目を凝視できずに、ただ、過去の自分を先生に開示していきました。

 

私1人で、会いに行っていたら、きっと私はまた、自分を良く見せようと、瞬時に過去の自分に戻っていたと思います。

でも、幾重さんのおかげで、過去の私の本当の姿を、包み隠さず話すことができました。

 

大好きな先生だから、あの時、私自身を受け入れてくれた先生だから、嘘はつきたくなかった。

クズでバカで異常だった過去の自分を、さらけ出したのです。

 

 

先生は、

「そうやったんやね。もうそこまで振り切ってたんやね。そりゃあ、もっと若い時に、気づけて軌道修正ができてたら良かったな…とは思うよ。だけど、気づけたのが、今だったとしても、それは『気づけて良かった』と思う!まだまだこれからの人生を考えたら、今、気づけて良かったよ!」

と、今の私も、受け入れてもらえたのです。

 

それが本当に嬉しかった。

 

先生も、

「昔は、子どもたちみんな、呼び捨てだったり、ゲンコツしたりしてたよね(笑)」

と、話してくれたときに、幾重さんがすかさず、

 

「大丈夫です。今はわたしが、その100倍、ぶん殴ってますから!(笑)」

と、言っていました。(笑)

 

 

でも、その言葉は、ただの笑い話ではなく、またもや事実になってしまうのです…。

 

 

先生との再会は、本当に嬉しくて、良い時間を過ごすことができました。

先生にも、幾重さんにも、本当に感謝です。

 

 

そんな幾重さんに、私はまた、自分の不安をぶつけてしまう行動を取ってしまったのです。

 

お金の不安です。

売り上げだとか、なんだとか、自分の生活のことを考えると不安でしかたなくなり、それを同時に、幾重さんに攻撃するという、身勝手極まりない、そして、それこそ過去の自分に瞬時に戻ってしまったのです。

 

その醜態は、ほかの門下生の前でも。

それは今回も、幾重さんの狙いがあり、私の醜態を隠すことはせず、なおかつ、スタッフにも自分のこととして考えさせるのです。

 

今回は門下生も、いろいろな意見をぶつけてきます。

私は、自分を正当化することばかりにとらわれて、噛み合いません。

 

その時に、門下生に放った私の愚言を幾重さんは、聞き逃さず、すぐさま鉄拳制裁が返ってきました。

 

自分でも、なんでそんなことを言ってしまったのか…、自分で自分のことがコントロールできない、ここまでメンタルコンサルティングを受けても、まだこうやって、自分の中のパラサイトがいとも簡単に動き出すのです。

 

「わかった?変わったつもりになってるだけ。どれだけメンタルコンサルティングをしようと、どれだけ本を読もうと、自分がやってる今の現状が、自分の実力だから。」

 

本当にその通りなのです。

 

 

自分が恥ずかしい。

また、自分が嫌になってしまう。。

 

幾重さんが遠くなります。。。

 

その時に、周りの門下生たちは、それまでと変わらない態度で、私を心配してくれるのです。

 

どう考えても、1000%私に非があるのに、そんな私を何事もなかったかのように、接してくれるのです。

 

「自分ならどうするか?」

 

幾重さんの普段からの問いを、みんなは、考え実践したのだとわかりました。

 

 

今回ばかりは、幾重さんの心を史上最悪に踏みにじってしまい、修復は簡単ではありません。

 

それでも、今回もたくさんの人が、助けてくれました。

応援してくれました。

 

戻ってきてくれた幾重さんは、

「自分の中にある嫌な部分、汚い部分は、誰にだってある。それに蓋をして、なくした気になっても意味がない。何も変わらない。見ないようにして逃げるんじゃなく、『うまく付き合っていく』にはどうしたらいいか?を考えること。その訓練も、メンタルコンサルティングだから。」

と、話してくれました。

 

 

お金の不安についても、小林正観さんの本に書いています。

 

幾重さんも、言います。

「今が自分にとってニュートラルなの。」

と。

この意味がわからないうちは、私のようにお金に翻弄されてしまうのだということが、よくわかりました。

 

 

私も、ここまでいろんな経験をさせてもらって、もうカッコつける意味もなくなりました。

 

「今が、自分の実力。」

この言葉が、今の私には腑に落ちます。

「過去と変わった」のではなく、

「過去はできなかった、自分のコントロールが出来つつある。」ということ。

 

自分を過信せずに、「今の自分」と向き合いながら過ごしていきたいです。