顔を忘れた時には その1(雲を見て)
こんばんは
私のブログにお越し頂き、ありがとうございます。
五感六感センスアップコーディネーター&万葉集セラピストの
いくちゃん こと 幾島健司です。
万葉集には日本人の優れた感性の原点があります。
万葉集を使って五感・六感をセンスアップして、安心で楽しく生きるヒントをゲットしましょう。
本日は太陰太陽暦で5月1日です。
ハイ、いつも通りのふつ~の日でございます(笑)
さて、今日は月曜日。今週の万葉集をご紹介しますね。
我が面の 忘れむしだは 国溢り
(あがおもの わすれむしだは くにはふり)
嶺に立つ雲を 見つつ偲はせ
(ねにたつくもを みつつしのはせ)
** 巻14 3515 詠み人知らず **
(現代語訳 : 私の顔を忘れるような時には 国中に湧き上がる嶺の立つ雲を見ながら 私を思ってくださいね)
現代語訳で、意味はスッとわかると思います。
私は最初、雲の形に私の顔が似ている時に思い出してねっていう歌かと思いました(笑)
でもそうではなくて、湧き上がる峰雲が二人の思い出の象徴なのかなと思い直しました。
二人でこんな光景を見ながらデートした思い出。
そうすれば、忘れている彼女の顔も思い出すかもしれませんね
この時代は、その国を代表する山(たとえば、常陸の国なら筑波山)の峰に立つ雲は霊魂や氣を表すそうです。
国中の人々の霊魂や氣が集まってきて、雲になるという考え方なのでしょうかね。
科学的には疑問の湧くところですが、素敵な考え方だと思います
さて、この歌は巻14に載せられているので、東歌(あずまうた=東国の人々が詠んだ歌)です。
この詠み手の夫(彼氏)は、旅の空にいるはずでした。
現代と違い、この時代の旅は死と隣りあわせでした。
こんな道を歩くのですからね
長閑そうに見えるこの歌ですが、心の奥にすごく心配している想いがあったはずです。
おそらくこの男性は防人か、庸(この時代の税の一つ)などの労役を果たすために都へ向かったかどちらかでしょう。
いろんな労役や兵役があったようですが、二人が会えない距離になったことは確かでしょうね
あなたが見ている山の嶺雲に私の魂が行っているから、二人は一緒よ~
そんな想いを込めて詠まれた歌のような氣がしてきました。
あ、長くなってきたので その2 に続きます。
ご紹介したこの歌を声に出して読んでみませんか
忘れていた素敵な何かを思い出すかもしれません!
ではでは、また~
今日も読んでいただいてありがとうございました