母が亡くなって、四十九日まで土日の休みは供養と、姪の子供が泊まりに来ていたこともあり、一人になることはほとんどなかった。

 

 

今日が母が亡くなって初めての平日のお休み。

朝、いつもよりゆっくり目に起きて朝食と家事を済ませ、お墓へ行った。

 

 

納骨室前のロウソク立ての入れ物をずらした時、レールに土が入り込んでいたのが気になっていてお掃除したかった。

納骨の時に取り除ける分だけは取り除いてきたけど、ちゃんとしてこなかったのが気になって仕方なかった。

 

 

お墓の花立の水が少なくなっていて、お花がもう元気がなくなっていた。

すぐに水を入れかえて、「ちゃんとしてない娘でごめんね」と両親に謝った。

 

 

 

家から近いから、四十九日が過ぎた後は仕事前にお墓参りに行こうかと思っていたけど、お墓に行ったら泣いて仕事にならなくなりそうで我慢していた。

 

 

きれい好きの両親に申し訳なくて、納骨室前の土をきれいに取り除き拭き掃除を済ませ、お参りしてきた。

 

 

家に帰り一人で過ごしていると、何をしていいかどう過ごしていいかわからなくて、母の部屋と仏間を行ったり来たりウロウロして、『お母さん お母さん』と呼びながら号泣してしまった。

 

 

介護中は、いつも自宅で母と一緒だったし、入院中も毎日病院に通っていたから、自分のことに使う時間ってほとんどなくて、いつも母のことばかり考えて暮らしていた。

 

 

病院に居ても「何時ごろ来る?」と母から電話がかかってくるのがお決まりで、何か欲しいものを聞いて、差し入れを買って病院に行き、母と数時間過ごしていた。

 

 

母が生きていた頃も、こうやって一人で過ごす時間はあったけど、居なくなって過ごす時間は訳が違う。

母はどこにもいなくて、母のためにしてあげられることがなくて、たただただ寂しくて、悲しくて。

 

 

母と共に過ごした時間が長すぎて、一人の時間の使い方がわからない。

 

 

四十九日が過ぎたら片付けたらいいよって言われていた母のものも、思い出が強すぎて、母の持ち物すべてがいとおしくて片付けられないし捨てられない。

 

 

父の時は母と一緒に片付けたなあ。

その時はどんな気持ちで片付けたんだろう。

母はどんな気持ちだったのだろう。

 

 

私は一人じゃ何にもできない。

両親が支えてくれたから生きてこれたんだなってつくづく感じる。

 

 

 

いつになるかわからないけど、気持ちの整理がつくまで、母の思い出と共に暮らしていきたい。

片付けはしようと思える時が来たら、その時にしよう。