葬儀の朝、『おはよう、お母さん』といつものように声をかけるけど、棺の中の母から返事はない。

 

 

いつも「おはよ」って言ってくれてたのに、もう母の声を聴くことはないんだ。

それでも、母がおはよって言ってくれそうな気がして、現実を受け止めることが出来ていない私がいた。

 

 

姉たちが一旦自宅に帰ったので、斎場には私と姪の子供たち三人。

子どもたちが賑やかに走り回るのを、コケないように、けがをしないように見守るのが精一杯だった。

 

 

それでも、斎場内に一人ポツンと居る母がなんだかかわいそうで、棺の側に行っては母に話しかけたり、棺の蓋をずらして母の顔を触ったりしていた。

 

 

 

午後になり葬儀が始まり、また母とのこれまでのことを思い出して涙が出てきた。

 

 

出棺前、棺にみんなでお花をたくさん入れた。供花をたくさんいただいていたので、棺はお花が溢れそうなくらいいっぱいになった。

『今まで食べれなかった分いっぱい食べてね』と母の大好きだったお寿司も入れた。

 

 

 

私と姪と姪の子供たちからの手紙と、お通夜が終わった後、姪・甥・姪の子供たちとみんなで折った折り鶴と飛行機も入れた。

 

 

折り紙を買ってきた姪と甥に『何折るの?』と聞いたら、

「ばあちゃんが天国に行けるようにみんなで鶴を折ろうと思って」

と。

 

 

ホント、お母さんは孫たちに愛されているね。

お母さんが孫たちに愛情いっぱい注いだからだよ。

 

 

お花と鶴と飛行機でいっぱいになった棺の蓋が閉められ出棺。

自宅の前を通ってくださって、火葬場に向かった。

 

 

火葬場で一番辛いこと。それは、スイッチを押すこと。

父が亡くなった時、母がなかなか押せないで、押した後泣き崩れたことを思い出した。

今回はそれは私がしなきゃならなくて・・・。

 

 

母の肉体が無くなる、もう触れることが出来なくなる。

そう考えたら、スイッチなんて押したくなくて、私も一緒に火葬してほしい。お母さんと一緒に居たい。そう思った。

 

 

それでも、その時はやってきて・・・。

私はスイッチを押してしまった。

 

 

火葬が済んだ母の遺骨。

その中に心臓の人工弁とペースメーカーがあった。

母の心臓をずっと支えてくれてありがとう。

 

 

「ばあちゃんを焼かないで」と言っていたひ孫のRも一緒に骨を拾ってくれた。

骨壺に入った母を抱いて自宅に帰った。

まだ、温かい。

 

 

さっきまであった母の体がなくなって、骨になった。

もう母は居ないんだ。

寂しさと悲しさが溢れてきた。

 

 

母の介護をして、看取って、私の人生の役目はもう終わったような気がする。

一人身だし、子供もいないし、両親を看取れたから私の人生悔いはない。

 

 

 

母とずっと一緒に過ごしてきたこの数年。

母が居ない生活がこれからの私に耐えられるのだろうか。