少しずつ状態が悪くなっていた母。
数日は夜も穏やかに眠るようになっていた。
これからまた状態が悪くなるかもしれないから、落ち着いている間に夜の泊まり込みを一旦やめることにした。
5日間くらい泊まり込みをやめていたけど、ある日なんかいつもと様子が違うような気がした。
具体的にどうと言われてもはっきりこうとは言えないけど、ずっと付き添ってきた私にはわかる。
『今夜からまた泊まろうかな』と姉に伝えたら、姉も何か感じていたのか「そうしてもらえる?」と。
最近顔を横に向けないと舌根沈下で呼吸がしんどそうだった。
2時間ごとに看護師さんが体位変換していった後に、またきちんと顔を横に向くように体位を整えて一晩過ごした。
呼吸が苦しそうになることもなく、穏やかに一晩を過ごせた。
夜中も時々声を出したりしていたし、朝は顔を拭いたりすると「イヤ、イヤ」と言ったり、返事をしてくれていた。
10時の検温で血圧がやっと測れて、55/。
その後はもう測れなくなった。
尿もほとんど出なくなった。
尿が少ししか出なくなって数日経っていたけど、点滴量は多いままでむくみが目立つようになってきていた。
点滴の量を減らしてもらえませんかとお願いして減らしてもらった。
その日は定期の検査の日で、採血とレントゲンが入っていた。
看護師さんでは最近は採血が無理になっていたので先生が採血してくださっていた。
先生が準備をして部屋に入っていらっしゃったときに
『もう採血しなくてよくないですか?』と言ったら
「俺もそう思う。やめようね。」と言ってくださった。
もう母に残された時間は少ないことはわかっていたから、痛かったり辛かったりすることはしたくなかった。
『レントゲンもキャンセルしてもらえますか?』と先生にお願いしてすべての検査をキャンセルしてもらった。
今更採血して、検査データが悪くても何にもできないんじゃする意味もないし、母が痛い思いをするだけだから。
『もう痛いのはおしまいにしようね、お母さん』そう母に声をかけた。
触ると「痛い」と言っていたので、もともと血圧は低いからもうちょっとは大丈夫かなと思いつつも心配で
『血圧が下がってきたから、午前中の内に来た方がいいかも』
と姉に連絡をした。
いつも少し震えるように動かしていた母の手を握って、ずっと『お母さん』と声をかけ続けていた。
ふと、母の体の力がふっと抜けた。
手を握り返すことも声掛けにも反応してくれなくなった。
心電図の波形にも変化が見られた。
慌てて姉に連絡したら「今病院に向かっているから」と。
ここの病院に勤務している姪にも連絡して『ばあちゃんが危ないからすぐ来て!』と伝えた。
姪っ子が急いで駆けつけてくれた。
姪っ子と母に声をかけていると、心電図が延び始めた。
70だった脈が40台になった。
『お母さん、ごめん。いっぱい頑張ってきたけど姉ちゃんが来るまで頑張って!』
と母に声をかけ続けた。
姉が病室に駆け込んできたときには、脈は30台になっていた。
姉と『お母さん』と呼び続けたけど、それからしばらくして母は穏やかに息を引き取った。
苦しまず、穏やかな最期だった。
ずっとつけ続けていたASVのマスクを外し、やっと母の顔がきちんと見れた。
やっとマスクからも解放されたね。
最後まで頑張らせてごめんね。
姉ちゃんを待っててくれてありがとう。
ずっと頑張ってきたね。
ほんとにすごく頑張ってきたね。
先生も「親子でよくがんばりました」って言ってくださったよ。
何度も何度も危機を乗り越えてきてくれてありがとう。
苦しい思いもいっぱいしたけどやっと解放されたね。
もう頑張らなくていいよ。
今まで一緒に過ごせて、幸せだったよ。
大好きだよ、お母さん。
何度も何度も母に頑張ったねとありがとうを伝えた。