琉球政府のパスポート | 沖縄の神んちゅ 周音(あまね)

沖縄の神んちゅ 周音(あまね)

今帰仁城の神官「祝女(ノロ)」の末裔。
私の先祖は首里城勢力に攻められ落城し
身分を隠し生き延び術式を伝承してきた。
幼少時代から
神のメッセージ(チャネリング)を
受け取り伝えては大人たちを驚かせていた。
現在、横浜中華街で沖縄独特の霊占術を鑑定してます。

私の宝物の1つです!



4才の時  初めて本土へ行った際に
発行して貰ったパスポートです。




戦後  アメリカの支配下にあったので

当時は外国と同じ扱いだったんですよね。






母方の祖母と一緒に
叔父に招かれて行きました。


初めての日本(本土)へ行く際に

母は
「日本へ行ったら生水は飲まないで」と
言いました。


沖縄は  どちらかというと硬水なので  
軟水を飲むと
お腹を壊すからというのです。


港から船が出港して  紙テープが切れた時に

子供ながらに 胸が  じぃーん  ときました。


当時、船だと3日くらいかかったらしい。


退屈で仕方なかったのも記憶にあります。


そして
日本で驚いたのは   銭湯

私の家にはシャワーがあったので
銭湯は初めての体験でした。

銭湯の帰りに冷たい牛乳を飲んで
美味しかったのを覚えてます。


それと上野公園に行った時

叔母が100円玉を渡してくれて

「好きなもの買っておいで」と
言ったのですが

沖縄ではドルだったので

お金の価値が判らず

売店のオバちゃんに
「これで何が買えますか?」と
聞きました。


オバちゃんは、
「100円だと  これが買えますよ」と

差し出したのは



日本のお金で初めて買ったのが
「えびせん」だったのです。


でも
沖縄には  「えびせん」はなかったので
沖縄に持って帰りたいと
祖母に言うと

祖母は
「沖縄にもあるから食べなさい」と
言われたので   そこで全部食べました。



しかし、沖縄に戻っても
「えびせん」はなかった(>_<)


沖縄へ帰る時は  飛行機でした。

雲を見た時に  興奮して
「雲だ   わたアメみたいな雲だ」と
はしゃいでいた私。  


たぶん、うるさかったんだと思います。

祖母に
「静かにしていないと飛行機が落ちる」と
言われた後は記憶がないので


じっと静かにしてるうちに
寝てしまったののでしょうね
(結構、単純な子供だったかも)


いつも
「私が死んだときは
棺桶に入れて欲しいな」と
娘には頼んであるものなんです。