モントレーの山奥から心の叫び 8-- 「大工が本を出版したら」   4608字 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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8-- 「大工が本を出版したら」   4608字  2006

 

「徳さんの本はホンマニええ本です。

枕元に仏典のバイブルと並べて置いています。

朝に1回、晩に1回、恭しく掲げては、 

指に力を込めて、ページを開きます。

すると徳さんの熱いメッセージが目の前に広がります。

ありがとう、徳さん。

メッセージくれてありがとう。

何回も頭を下げます」。

「やりたいねん、諦めたらアカンねん」 

帯に込められた徳さんの男の生き様。

こんな本に出会えて嬉しいです。

本屋で並んでいる本、どけてでも徳さんの本前に

出したろうかと思うくらいです。

本の並んでいる場所や積み方で損しら、徳さんがかわいそうや。

店員さんに断らずに勝手に動かしたら怒られるやろうか。

でもそうしたくなるような熱いモンが徳さんの本にはあるんです。

人生渾身の力込めて生きてきた生き様。

ありあり浮かぶ文体。

涙なくしては読めません。

翻訳して、アメリカや中国、ヨーロッパ世界各地で

読み広めていってもらいたい。徳さんの人徳はワールドワイドなんや。

徳さん頑張れ!! 2版、3版、どんどん出してーな!!」

 

大工の私が本を出版するのも奇跡やと思っていたのに、

こんなすばらしい書評をもらうなんて、奇跡の連続や。

あともう1つ奇跡が起こったら、ワイは奇跡の人になりそうやなあ。

もう酒なんか飲んで酔っ払ってなんかいてられへん。

頑張って文章の勉強をして、エッセイの達人になれーというこっちゃ。

頑張らなくちゃやなあ。

これはえらいことでっせー、難儀なことでっせー。

でも本の副題のように「やりたいねん、諦めたらアカンねん」です。

 

アメリカで英語がわからず、見よう見真似で大工になって26年。 

仕事が終わったら毎晩浴びるほどバッドワイザーで晩酌をしていた私が

飲み過ぎで倒れ、ベッドの中で10ヶ月ほど文章の勉強をしながら書いて

出版した本 「フリムン徳さんの波瀾万丈記」文芸社への書評で一番私を  

感激させたのはこの書評でした。

文章の書き方も知らないノンベー((飲兵衛)で還暦近い大工の書いた本に          

こんなすばらしい書評が寄せられるなんて、想像もしなかった。

夢見たいな話です。

世の中はわからんことが多いです。

編集者が言うには、電車を汽車と書いたり、

述語を先に書いて後に主語を書いてあったりで、

ごつごつした文章らしき文章の編集に苦労したらしい

26年間も文章の世界とは違う大工の世界の人間ですから、

あまり手紙も書いたことがない、文法もようわからん。

日本を離れて32年近くなるのですから、難しい言葉も忘れてもうた。

堪忍してくださいと謝りたい。

 

そんな中学生程度の文章、いや小学校高学年生程度の文章で書いた私の自         

伝のネタがよかったのか、読む人好き好きなのか、

出版してから思いもよらぬ反響が続々と続いた。

中学校卒業以来40数年会っていない生まれ故郷喜界島の学校の同級生、

友達や恩師や、見ず知らずの読者から続々と手紙や、メール、小包、電話

が寄せられた。

それが日本に住んでいる人をはじめ、それが日本に住んでいる人をはじ

め、ニューヨーク、オハイオ、ニュージャージー、シアトル、ハワイ、

遠くはブルガリヤなどからまできた。

 

インターネットの力の凄さも実感したものです。

こういうことは私の人生で初めての経験である。

「本を出版するということ」はすごいことだなあと首を何回も回す感じで  

 

手紙やメールの内容もさまざまだった。

中学時代の恩師、花房先生は「徳さんの心の叫びだ」。

もう一人の中学時代の恩師、美島先生は「徳さん独特の文章がええ、

喜界島で徳さんほどいろんな経験をつんだ人はいない」。

そして、「波瀾万丈記」という私の唄まで作ってくれた。

恩師に唄まで作ってもらえる、これは私には前代未聞のことです。

やはり、喜界島のウヤフジのお陰です

ある人は「大工さんやのに、ようこれだけの文章が書けたねえ」。

「元気が出る、泣けた、面白い、唸りたくなる」。

「どんな金持ちになった人よりも、どんな大きな会社の社長になった人

よりも本の中に書かれた徳さんの人生はすばらしい」と私を有頂天にする

内容のものばかりです。

又私はすぐ有頂天になるのです。

そしたら、又嫁はんに怒られて、シュンとせんならん。

難儀な人間やねん。

 

 喜界島の私の小野津村の先人達の新聞に載った記事を送ってくれた、

田畑幸之信さん。

もっと勉強して、ええエッセイを書くようにと沢山の本を送ってくれた瀬戸さん、岡崎さん、池原さん。

私の住んでいるブラッドレーの山の中は日本食がないだろうとラーメンや、漬物、梅干、日本のお菓子を送ってくれた、タコマのケイさん、ジョージアの中曽根さん、ロスの池原さん。ホンマニありがとうございます。

 

 サンディエゴに住む公子さんは珍しいのを送ってくれた。

送られてきたのは嫁はんと私の下着類。

その下着の中にはお金も入れてくれていました。

なんと親切なお方。

涙が出るほど、嬉しかったです。

どうして、私達のサイズがわかったのですかと聞いたら、本の中の私達の写真を見てサイズを考え出したという。

凄い方です。

そのはずです、彼女はサンディエゴで長年、お茶、お花、踊りの方の着物を縫っていた洋裁、和裁のプロです。

今年11月に20数年ぶりに日本へ帰るので、私はみやげ物に悩んでいた。

ある日本の有名な経済学者がアメリカから日本へのみやげ物は「ジェット機と、バスタオル」しかないと何かに書いていた。

少ない身体障害者年金で精一杯の生活の私にはどちらも出来ない。

 

 日本のテレビで、「褌が静かなるブーム」というのに閃いた。

トレビアという番組で褌のことが出た途端に東京の三越で褌の売上が2倍になったという。

そのことを公子さんに言うと、ゆかた地が1反あるからと、ゆかた地で2枚の法被と10枚の褌を早速縫って送ってきてくれた。

しかも丁寧に、糊のきいたゆかた地の褌では股ずれするからと洗いなおして縫ってくれている。

私は今その褌をして日本の昔を楽しんでいる。

これは秘密でっせー。

まだ見たこともない会うたこともないお方がこんなにも行き届いた親切をしてくれる。

私の書いた本の内容のどこが読む人の心を動かすのか不思議でなりません。

やはり喜界島のウヤフジ〈ご先祖〉のお陰です。

 

 このようにして、この頃、会ったこともない、見たこともない親切な友達が増えつつある。

日本人は嫁はんと二人だけの山の中の村ブラッドレーに引っ込んだら、歳をとるにつれ、友達は減っていくはずだが、私は本の出版のお陰で見ず知らずの友達が増えている。

お蔭さんで嬉しい、楽しい日が増えてきている。

ありがたいことです。

本を出版してもうすぐ3年にもなるのに増えつづけている。

私の本を自分のかわいい孫のように手に乗せて顔を寄せて頬ずりしたくなるほどです。

 

オレンジカウンティーに住んでいる山本リンダさんからの電話にも驚かされました。

一瞬あの有名な歌手のリンダさんかと大喜びしたのですが、ハワイでガイドをしている時につけた芸名だそうです。

見ず知らずの彼女が私の電話番号を探した方法が面白い。

私の本の中に「話の聞き屋さん」という章がある。

私は病気で倒れて大工仕事が出来なかったので「ベッドで寝ながら出来る仕事」を思いついた。

話の聞き屋さんだ。

あなたの悩みを聞いてあげます。胸がスーッとするまで聞いてあげます。女性に限る、30分20ドル、805-472-9373本間聞久造(ホンマに聞くぞう)と書いたページの電話番号に、通じるか通じないかとかけてきたのだ。

「もしもし、話の聞き屋さん、本間聞久造です」と言うと「通じた、通じた、」と大喜びであった。

 

「私は悩みじゃなく、徳さんと似た私のフリムン人生を聞いてください」と話し、後ですぐに聞き料20ドルを送ってくださいました。

彼女と旦那さんは先日友達の私のファンという夫婦共々、わざわざブラッドレーの山の中の砂漠まで来てくれた。

なんとお土産にもらったのが昔なつかしい湯たんぽだった。

この湯たんぽは私には最高のお土産になった。

ここ山の砂漠は日中はめちゃくちゃ暑いが、夜になると冷え込む砂漠の気候だ。

コンピューターの机の下に湯たんぽを置いて足裏を暖めながらエッセイの勉強に励んでいる。

ストーブの暖かさと違う湯たんぽの暖かさは母親のぬくもりを思い出す。

山本リンダさん、おおきに、ありがとうございました。

 

ロスアンジェルス郊外に住む木戸さんは小学生の頃喜界島の早町小学校の担任の台司三代ニ先生のことが出ていると感激して、この山の砂漠まで池原さんと未完成の家に泊りがけで来てくれた。

その台司先生とは私が一番好きな美代ねえ〈私のおばさん〉の旦那さんである。

まさに奇遇である。ロスの大工をしている金ちゃん〈本沢金八郎〉さんは、今までの人生で本を読みかけて最後まで読んだ試しがないが、徳さんの本はついに最後まで読みきった、と感激して、金子さんと一緒に大きなハマチ1本、沢山のマグロのトロ、鯖、焼酎を持ってきて未完成の家で祝宴をあげて泊まって帰って行った。

 

まだある、ロスでガーデナをしている井手尾さんは趣味で料理の名人道場六三郎の本で料理の勉強をしているという。

彼は、料理の材料、豆腐、肉、やさい、を切り込んで、調味料も手作りで、焼酎、酒、いっぱい持ってきてくれて何回も祝宴をあげて泊まっていってくれる。

自然の中の未完成の家での祝宴はストレス解消になるという。

私にとっては酒が飲めておいしい本格的な日本料理が食べられるから、天国に行った気分にしてくれる

 キャンプのベテランの彼に生まれてはじめて、リノ、ラスベガス、デスバレーとキャンプに連れて行ってもらったのも私の人生の大きな歴史になった。

こんな出会い、やめられるかいな。

いろいろな出会いがいっぱい出来つつある。

 

人間の出会いには凄いことが起きることもある。

それが起きてしまった。

私のエッセイの産みの親TVファン誌の社長〈竹内〉さんの紹介で安いコンピューターを譲ってくれた金子さんは私に連続の驚きを与え続けている。

なんと彼はロスアンジェルスで私の本を400冊以上も売り続けている。

それがまとめてではない、皆さん違う人に売ってくれているから驚きだ。

彼は本屋さんの何十倍も売ってくれている。

彼のセールスのポイントは200名以上の人の誕生日を覚えていて、暇の許すかぎりその日にハッピーバースデーの電話を何十年もかけ続けているのだ。

まさにセールスの達人としか言いようがない。

「フリムン徳さん応援団ロス支部」も発足させて、「フリムン徳さんアメリカ便り」を応援団の皆さんに毎月1回配信することも彼のアイディアだ。

運命の出会いとは怖い。

 

日本のフリムン徳さん応援団70名、ロス支部99名、ブラッドレー支部46名アメリカ日本合計で215名に「フリムン徳さんアメリカ便り」を毎月1回インターネットや手紙で配信している。

もうすぐ第24号が配信される。

まだ沢山の方から励ましのメールや手紙、小包をもらいましたが、紙面が足りそうもないのでお許しください。

皆さん、ホンマニ、おおきに、ありがとうございました。

これからももっとフリムンになって我が道を行くでエッセイの勉強に頑張ります。

 

フリムン徳さんも62歳になりました。

ヤケ-タムンジャ !!(えらいこっちゃ)

でもまだ、私は死ねん。

私には人生最後の夢がある。

「フリムン徳さんの波瀾万丈記」文芸社1,260円を、

ベストセラーにすることです。

おかげさまでもうすぐ第4版も増刷かと思います。

私はアメリカから喜界島を有名にしたいのです。

廻し読み大歓迎ですけど、たまには

皆さんのお知りあい一人にだけ「フリムン、買うてーな」と声をかけてもうたらうれしいです。

皆さんの清き御一票をお願いします。  2006年