2-- 「ディス・イズ・アメリカ」1868字 12-2-2011
私の息子は大学卒業証書と一緒に嫁までも大学からもらってきた。
アメリカの大学は勉強するだけのところではなさそうである。
フリムン徳さんにはあまり気に入らない嫁だったから結婚に反対した。
彼女が初めて家に来た日、うちの嫁はんが料理の手伝いを頼んだ。
気が利かない、トロイ、不器用や。
おどおどしながら、時々きれいな白い歯を出して笑おうと頑張っている。
息子は彼女のきれいな顔と白くて奇麗な歯に惚れたのかもしれない。
株式会社「フリムン徳さん家」のマニフェストに「立派な嫁の見つけ方」がなかったのを悔やんでいる。
喜界島で農業、大阪で商売、南米パラグアイで農業、アメリカで建築業を営んできた株式会社「フリムン徳さん家」の嫁として頼よりなさそうであった。
彼女は親の面接試験では不合格だった。
嫁はんと私は、息子のこの結婚に猛烈に反対した。
「あんな嫁をもらったら、お前は苦労するぞ」。
「どうか日本語のわかる日系の嫁をもらってくれ」。
この二つを株式会社「フリムン徳さん家」のマニフェストにして頑張った。さらに、マニフェストに付け加えた。
「私達、親が死んでも、お前とお前の嫁にはこの土地28エーカー(約3万坪)と家はやらない」とまで脅した。
でも私達は息子に敗北した。
悲しそうな顔をして、言いにくそうに、片言の日本語で、背の高い息子は嫁はんと私を見下ろしながら言う。
「もう彼女のお腹にはベイビーがいる」。
「なにーっ、ベイビー??????」
親の私達はどうすることもできなかった。
「もう彼女のお腹にはベイビーがいるんだ。
私達の血を引く孫がいるんだ。」
気に入らない嫁だけど、「ベイビー」という言葉を「孫」に置き換えた途端に、この結婚に反対することができなくなった。
続けて、息子は英語と日本語をごちゃ混ぜにしながら、殺し文句を言いよった。
「パパ、俺と彼女には財産は要らない。
遺書に、孫にやると書いたらいい。
参りましたんや。
私達は孫ができる前に、「じじばばバカ」にさせられましたんや。
難儀なことやのう。
隣の家の娘ステファ二ーの場合も似ている。
中学校、高校の頃は両親の言うことをよく聞く、おとなしい、賢い娘だった。
ところがその彼女が大学に入ってから「大変身」した。
唇には穴が開き、リングがぶら下がった。
新しい男友達もできた。
おまけにその彼は小さな二人の子持ちだ。
それを聞いたステファニーの両親は仰天した。
当分の間、娘に電話もしなかった、会いも行かなかったと言う。
ようやく諦めて、平静な気持ちになった両親はある日、大学のある町へ娘とその男友達に会いに行った。
そこには二人の子供に囲まれ幸せそうな娘の姿があった。
そして、子供のかわいらしさに心を奪われた。
次に娘に会いに行った時は、二人の子供共々、川でボート遊びを楽しんだと言う。
まだ経験したことのない、おじいちゃん、おばあちゃんの役割を味わった。
まだ結婚をしてない娘は大学に行きながら、母親の勉強もしていると目を細めて言う。
アメリカでは離婚するのも再婚するのも朝飯前。
一度離婚してから再婚するとどちらもやさしく、辛抱強くなるという。
そして、再々婚も多いし、再々々婚もある。
三度目の結婚は “まあ、なあ” と受け取られるが、四度目になると “ちょっと”がついて、“まあ、ちょっと、なあ”という具合になる。
こうなってくると、いちいち親が子供の結婚にかまってはいられない。
どうしても子連れの再婚も多くなってくる。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんは、息子や娘の結婚やその相手には気をもみながらも、孫とは親密になっていく。
血を引いていなくても孫は孫。かわいくてたまらず、目に入れても痛くないと思うようになる。
結婚は本人同士がするもので、ジジババは孫と結婚する感じである。
“孫”という字はダイヤモンドよりも、自分よりも大事な魔法の字のようである。
そして誰にも盗まれたくない宝物である。
息子から送られてくる孫の写真を見るたびに、会いたくなってたまらない。
そのうちアメリカの大学を卒業すると、卒業証書と、嫁とベイビーまで授与されるようになるかもしれない。
大学からもらってきたベイビー、いや孫は賢いに違いないと思わなければならない。
なぜかと言うと、産まれた時に大学を卒業しているのですから。
えらい世の中です。
でも私はこれが「ディス・イズ・アメリカ」と思うようにしている。