681—電車の中の人間観察は忙しい | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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「電車の中の人間観察は忙しい」

 

40年近く住んでいたアメリカから日本へ戻ってきて1年半ほど過ぎた。アメリカのドライバーライセンスを日本のに切り替えようとしたが、駄目だった。

奈良県橿原市の車両局へ行き、一番初めに聞かれたのが「失神したことがありますか」「はい2年前に死んで2日間三途の川岸に立っていました」

「それでは、もう免許証は切り替えられません」

アメリカで車を足にして生活していた私には、片足をもぎ取られる思いであった。

 

でもそれがよかったように思えてきた。

もし私が日本のドライバーライセンスを取っていたら、必ず事故を起こしていたと思う。テレビのニュースで交通事故のない日はめづらしい。

日本に住んでいる人でさえ、交通事故を起こすのだから、右側通行、左側通行と交通規則の違うアメリカに40年も住んでいた老人の私は、車を運転するたびに事故を起こしていたかもしれない。

 

でも日本はどこへ行くにも電車で行ける。便利である。

電車の中での人間観察が私にとっては面白い。電車に乗るとほとんどの人が申し合わせたように、携帯を出してのぞき込み、考える人間ではなく、携帯人間になる。私はその携帯人間を観察しながら、いろいろと想像する。アメリカの白人の顔は大体似た様な顔立ちが多いが、日本人の顔の形格好の多さに驚く。

鼻の低い人、高い人、目の大きな人目の細い人、実にさまざまである。

顔の次はその人の足に目が行く。中年の男性で、靴先が長い靴を履いているのを見ると、「あなたのその背丈には、靴の先がとんがりすぎではありませんかと、思うこともある。皆さん全員がピカピカに磨き上げられた皮靴やブーツを履いている。

家の玄関にはよっぽど立派な下駄箱、いや靴箱が置いてあるに違いない。