676-虹色の涙④ | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ブログの説明を入力します。

臨時パスポートの再発行の申請書をもらい、

ロビーのカウンターで見本を見ながら書きこむ。

でも、見本を見てもわからないややこしいところが沢山ある。

時間は過ぎる、飛行機に間に合うか、焦ってくる。

難渋しているのが見えたのか、ロビーで書類作成の手助けを

してくれる人がやってきて丁寧に教えてくれた。

こんなに、ありがたい事はない。

 

うれしくてたまらなかった。

最後に嫁はんがサインをした。

サインの中に「ウエソノダ」を見つけたその男性は

「ウエソノダ徳市」のエッセイをロスアンジェルスのTVファン誌で

よく読んでいると言うではないか。

世の中悪いことはできまへんなあ。

またしても義母は偶然を起こしてくれたのだ。

 

書いた書類を先ほどの窓口の女性に渡すと、

「順序は逆ですけど、審査する間に、

この書類を書いてください」ともう1つの書類を

先回りして書かせてくれる。

1分でも早くと、頭を360度回転させてのサービス振りに

心が揺さぶられた。

 

ついに30分でパスポートを再発行をしてくれた。

5時間と比べたら信じられない速さだ。

再発行されたパスポートを手にして、領事館のドアを出た

あの時のうれしい気持ち、言葉には言い表せませんでした。

義母の死の悲しみも忘れてルンルン気分でした。

 

おかげで嫁はんは1時55分のJALに間に合った。

ただ、やっと喜界島にたどり着いた時には、

葬式は終わっていた。

ところが、葬式は終わっても、死んだ母親はまだ娘の帰りを

待っていた。

 

火葬場で待っていたのだ。

嫁はんは喜界島空港からタクシーで母親の待っている

火葬場へ息せき切って駆けつけ、きれいに死化粧した母親に

最後の対面を果たした。

「死んでもアメリカから帰ってくる娘を待っていた母親」と

島の人達は涙を流して感激してくれた。

嫁はんも電話の向こうで泣いていた。

 

お金で助けてくれたマキコ、パスポートの再発行で

助けてくれた領事館の人達、

涙を流して感激してくれた喜界島の人達、

死んでもアメリカの娘を待ちつづけた義母さん。

次々と私の脳裏に現れ、

私の頬にはまたしても大粒の虹色の涙が流れた。