「思い出のアーケディア」 フリムン徳さん
① ロサンゼルスから東へ車でおよそ30分のところに
アーケイデイアという町がある。
ロスの住宅地よりは敷地が広くゆったりとしている。
かえでの並木通りが多く、秋には深紅の紅葉が、
焚き火のように通る人の心を赤く焦がしてくれる。
風情のあるいい町である。
12年前にシアトルへ引っ越すまでの12年間、
私はこのアーケデイアの町に住んでいた。
私の生涯でも思い出の多い町である。
娘は小学校、中学校、高校まで、息子は小学校、中学校までこの町で学校に通った。
年に1度、同じストリートの家族同士が家の前のストリートに繰り出してするストリートバーべキューも楽しかった。
私の家の敷地はおよそ500坪ぐらいあったと思う。
隣近所もだいたい同じ大きさの敷地。
ほとんどの隣近所が裏庭には大きなプールがあったが、
うちだけにはなかった。
プールの代わり大きな芝生の庭だった。
それはゴルフの打ちっぱなしができるほどだった。
息子は2軒隣のEDDYの家のプールでよく泳がしてもらっていた。
息子が泳ぎを覚えたのはEDDYの家のプールだった。
この通りに東洋人として初めて移って来たのが私の家族だった。
一軒の黒人の医者の家族を除いて周りは全部白人の家族だった。
人種差別を受けるんじゃないかと内心警戒していたが、
それは取り越し苦労というものだった。
逆に、皆さんに親切にしてもらった。
引越しの初日には隣の人が 手伝いにも来てくれた。
特に親しく付き合ったのはリタイヤーしたEDDYと
オデッサの夫婦だった。
あまり 英語のわからなかった初美であったが、
オデッサとはバラとランの花の趣味が合い、
英語じゃなく花言葉でしゃべって、意思疎通は十分だったようだ。
二人は競走するみたいに花を増やしていた。
日本からお客さんが来ると、彼らの家に案内し、
これがアメリカ人の住まいだと、家の内外を見せてもらった。
オデッサはドイツ系の優しそうな白人婦人で、
家の中はいつも掃除が行き届いていて、
家具も絨毯もカーテンも新品のようで気持よかった。
無駄な飾りはなく質素で、ほんまに、
質素の美をかもし出す部屋の飾り付けが上手だった。
彼女は、ルネッサンス風の椅子の張替えも生地を買ってきて自分でやる。
その出来映えはプロがやったとしか思えない。②に続く