23年ぶりに帰って見た
故郷ののムナ屋敷
何もない
アノかやぶきの母屋もない
台風の日には小学生の私が
屋根の天辺に
手に力を入れて萱を握りながら
怖々這い登り
イッキャを風に飛ばされないように
風に飛ばされそうになりながら、、
雨にぬれながら
わら縄で縛りなおした
アノ母屋がない
寂しいのう
板の間の中家もない
硬い節のある松板の波打った板間だった
床下の冷たい風が松板の隙間から入り、冬は寒かった
古い長四角の飯台で兄妹弟5人父と母7人で
行儀良く正座してご飯を食べた
箸の色も、茶碗の柄も形覚えているが
はっきり、思い出せない
寂しいのう
門から入ってすぐ左にあった
馬屋もない
馬もいない
小屋から顔を出す馬の姿を思い出すことが出来る
がじまるの曲がった木で作った
鞍も思い出せる
一生懸命、荷物を運んでくれた
一生懸命、畑を耕してくれた
何もしない犬や猫には名前があるのに
昔の馬には名前がなかった
覚えているのは
キュジ(左)、ウッ(右)、ドッ(止まれ)と言う馬用語である
馬の顔が思い出せない
寂しいのう
傷んだ我が家を見るのは辛く悲しいと思うが、
痛んだままでもいい
残っていて欲しかった
でも傷んだ家を見たら、涙がこみ上げてくるだろう
遠い昔まで戻る道は複雑な涙道である。