352-野うさぎに呪われた | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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101   「野ウサギ」

 人生で初めての体験だった。

野ウサギに強烈に呪われた。

私だけではない、私の長男と二人一緒である。

ロスアンジェルスからシアトル近郊のグラハムという

山の中へ引越して2年目だったと思う。

空高く、見上げるほど高いクリスマストゥリー(ダグラスファー)

が生い茂る森に囲まれた4エーカー(1万6千平方メートル)

が私の土地であった。

4千平方メートルほど敷地をブルドーザーで整地させて、

新しいモービルホームを入れた。
 


 こんな山の中なら自給自足の生活が出来ると思い、

卵を産ませるために、鶏を5羽ほど飼った。

放し飼いにしたら、隣の犬にやられるので小屋に飼った。

餌代が高くついてしょうがない。

家族で食べきれないほどの卵の処分に困り、

前の道を通りかかるアメリカ人に、「卵を上げますよ」

と言っても、コレストロールが高いから要らんという。

ヤギも飼った。庭の芝をヤギに食べさせて、

芝刈りを怠けようと思ったからである。

ところが、ヤギはおいしそうな新芽の芝は食べないで、

禿げた所のあまり伸びない古い芝ばかり食べるのであった。

芝刈りをヤギに期待したのは失敗だった。



その次にしたのは裏庭に10畳位の広さの野菜畑を

作って野菜を植えた。

人参、ほうれん草、キャベツ、大根など。

種はタコマの仏教会のメンバーである昔百姓をしていた

日系2世の方から分けてもらった。

鶏のフンを肥やしに入れて、水をかけ、毎日楽しみにして育てた。

酔っ払いの大工の徳さんが、バッドワイザーのビールを

片手に飲みながら、野菜の成長を眺めるのは、

大工仕事をして家に帰ってからの楽しみであった。

鶏の糞と水がよく効いたのか、見事に野菜は育った。

もうすぐ食べられると思いながら、楽しみにしていたら、

ある日から野菜が何物かに食べられ始めた。



犯人は山の中に住んでいる野ウサギ達である。

1匹だけなら、そうも腹が立たなかったが、

5匹、6匹に集団で食べられるから、腹が立った。

一人のどろぼうに盗まれるのと、集団の泥棒に

盗まれる憎しみの違いは、泥棒の数だけ、

憎さが増えるようだった。

真っ白、黒、茶色、黒白の斑と色とりどりの

ウサギ達であった。


もう我慢ができなかった。畑の半分ほどの

野菜が食べつくされた。

高校生なりたての息子と二人で空気銃で撃つことにした。

ある日、3匹ほどで野菜を食べていた。

家の中にいる息子を呼んで、空気銃を持ってきてもらった。

腰をかがめて、そーっと近くへ行ってもなかなか逃げない

。何年か前に近くに住んでいたアメリカ人が

100匹以上のウサギを飼っていたが、

ウサギを山の中に放して、どこかへ引越ししたらしい。

そのウサギたちが野生化したのである。

もともとが野生のウサギでないから、

そう人間を怖がらないようであった。

7、8メートル近くまで近づいたら、2匹は逃げていった。

残って堂々と食べているのは真っ白いウサギ1匹だった。


 私は、狙いを定めて撃った。

今までは空気銃で撃つのは、遠くに置いたビールの

空き缶に狙いを定めて撃つ稽古をするぐらいであった。



アメリカへ来て、生き物を撃ったのは初めてである。

ウサギの御尻辺りに当たったが、死なない。

息子がもう1発撃った。やっと動かなくなった。

傍に行ったら、じーっと食い入るように眺められずには

おられなかった。

真っ白いウサギの真っ赤で透き通るような

目が開いたままだ。

”私は何も悪いことをしていない、もっと生きたい”と、

それは哀れな目で訴えているようだった。

涙で濡れた透き通るような真っ赤な目が、真っ赤な眼が。

「かわいそうなことをした」という思いが胸に焼き付けられた。

「野菜を食べられたぐらいで、動物の命を撃ち殺す」。

でも日本で畑を荒らすシカを撃つ人の気持ちは

もっと複雑かも知れない。

鹿はウサギの何倍も大きいからである。

考えてみれば大の男がアホなことをしたものだ。

息子もきっときっと同じ思いだったかもしれない。



 真っ白いウサギの赤い目が私の脳裏にまでも焼きついた。

雪のように真っ白いウサギの透き通るような

真っ赤な二つの目から涙を出していた姿を

まだはっきり思い出せる。

涙を流さんばかりの重たい悲しい、

すまないことをしたという気持ちで、

土地の奥の森の中に穴を掘って埋めた。



故郷喜界島のうちの村では小さい頃、年に1回豚肉を

作るために豚を殺すのは何回も見て、慣れていたから、

ちっともかわいそうとは思わなかった。

南米のパラグアイでも、食用に肉にするため飼い豚を

2回ほど自分で殺したが、そうかわいそうとは思わなかった。

飼い豚を食肉用に殺すのは、「仕方がない」「あたりまえ」

と思うから、そう、かわいそうとも思わなかった。

ところが豚よりも小さいウサギを撃ち殺したのは

かわいそうだった、悲しかった。

食用でない動物を殺す惨めさが強烈にわかった。

自分の愚かさも怖くもなった。



それから二日後にウサギに息子も私も呪われた。

正月の第1日曜日だった。タコマの仏教会に行った。

その日の坊さんの話がウサギがいじめられて、

鉄砲で撃たれ、無残に死んでいく話だった。

二日前に息子と二人で殺したウサギの話と瓜二つの話だった。

ウサギの色まで同じ白色だった。

隣に坐っていた息子と思わず顔を見合わせた。

世の中にこんなことがあるんだろうか。

それから長い間、私の気持ちは沈んだ曇り空だった。

これが人間の泥棒でも殺したら、一生、ざんげの思いで

生きていかなければならなかっただろう。

 
 あれから10年近く、私の反省の気持ちが通じたのだろう。

ウヤフジは今度は野うさぎを大事にしなさいと、

また野ウサギとの出会いを作ってくれたらしい。

今住んでいるモントレーの山の砂漠と呼ばれる

ブラッドレーの私の土地には野うさぎが沢山いる。

庭先に来る。今は撃つのじゃなく、餌を毎朝毎晩与えている。

朝はお日様の昇る前ぐらいから、

夕方はお日様が沈みそうになる頃から、

庭に1匹、2匹と餌を待って集まってくる。

馴れ馴れしいウサギは玄関のドアの前にちょこんと

待っているのもいる。

なんともほほえましく、かわいらしい風景でもある。

手元にカメラがあったら撮りたくなる。

たまにうちに尋ねてくるアメリカ人達も珍しがって、

野ウサギを見つめている

 

この野うさぎ達はフリムン徳さんに恩返しをしてくれる。

前庭の芝生を綺麗に食べるから、芝刈り機で芝を刈る必要がない。

せっかく買った芝刈り機は倉庫で埃を被っている。

それは根元まで短く綺麗に食べてくれる。

ゴルフ場のホールのある芝以上に短かく綺麗である。

芝生を食べて綺麗にするだけではない、一瞬、

芝生の庭いっぱいに正露丸が蒔かれているのかと

勘違いするぐらい沢山のウサギの糞が散らばっている。

肥やしを撒く必要がない。

私が撃ち殺したウサギの罪滅ぼしをしたので、

今度はウサギが恩返しをしていると思うことにしている。




ここ山の中に住むアメリカ人は用心のために

玄関にライフル銃を立てている人達がいっぱいおる。

カヨーテ、いのしし、リス、野うさぎ、鹿を撃つためである。

私は1本のゴルフクラブを立ててある。

撃つより叩いたほうが後での悔やみ方が違うと思っている。

 相手が悪人の泥棒でも銃で撃って、一生悔やむより、

自分が撃たれた方がましだと思っている。

そこに銃があるから撃つ、銃がなければ撃たない。

どんな理由でも、生き物、人間も撃ってはいけないと

フリムン徳さんは思う。

アメリカは日本みたいに銃の販売を禁止したらええと思う。

銃があるから使うのである。

人間は生き物は撃つべきではない。

 庭に来る野兎は天気予報までも教えてくれるような気がする。

朝晩、餌をやる同じ時間に庭先にやってくるが、

雨が降りそうな時は必ず雨の降り出す前にやってくる。 

フリムン徳さん 2011年2月5日