288-足と因縁 2 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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私の人生は手よりも足にまつわる思い出の病気、

怪我が多いようである。

この足の話は21歳の頃の話である。

東京文京区小石川にあった、おばさんの小さな

印刷屋でアルバイトをしていた。

仕事が終わると仲間とすぐ近くの柳町商店街の

酒屋へ行って、立ち飲みしながら、

仕事の鬱憤を晴らすのが一番の楽しみであった。

そこでいい加減に酔って、次に、おばさんの家の横にあ

る2階の寮で思いっきり酔う。



 寮に住んでいるのは喜界島の私の小野津村出身の

若者が多かった。

中学を卒業すると私の村の多くの若者がこの東京文京区

小石川周辺の印刷屋に集団就職した。

東京の印刷業界では名の知れていた三晃印刷、慶昌堂、

そして、その下請けの小さな印刷屋、鉛版屋さんの多くが

私の村出身の先輩が経営していた。

三晃印刷の社長さんは日本印刷組合の組合長をしたことも

あるから、島では相当な有名人だった。

慶昌堂の社長は私の親父の腹違いの兄弟である。

その有名な先輩にあこがれて、頑張って独立して

印刷屋さんを経営している私の村の人は今でも東京に沢山いる。



 普通語(日本語)の苦手な島の若者は東京の酒屋の

親父さんを相手にはまだ日本語が流暢に口から出てこない。

まだよく知らない、慣れてない東京、そして、

すらすらと日本語が出てこないから、

バーやキャバレーへ行きたくても行けない。


英語に自信がないから、今だにアメリカのバーへ

行けない今の私と同じ心境だったと思う。

続く