「フリムン徳さんは長生きし過ぎたくないが??」
「あんなにまでして、長生きしたくない」と、介護ホームの
寝たきりの老人を日本語テレビで見るたびに思う。
ベッドの上に寝かされた枯れ木のようにやせ衰えた身体。
骸骨の体が寝かされているみたいである。血の気のない皮膚の色、
目元がゴボンと凹んでいる、目は寝たままである。頬もゴボンと
やせ細って凹んでいる。口にはチューブが入れられている、
鼻にもチューブを入れられている人がいる。
これでも生きている人間である。
「こんな状態で何年も何十年も生きている」と、
テレビから声が流れてくる。思わず私は、
こんなになってまで長生きしたくはないと、気持ち悪くなり
テレのスイッチを切ってしまいそうになったり、実際にきった
事もある。NHKはこんな番組流さんでもいいのにと、想ったりした。
なぜこんなにまで長生きする人間が増えたのか?
人間の寿命が延びたからであろう。
病気を治すいい薬が出来たからであろう。
病院というものが出来たからであろう。
医学が向上したからであろう。私は自分で、自分の下の世話が
出来なくなってまで長生きしたくない。
下の世話ができなくなるまでには、ほとんどの人間が
「人間としての使命を終わっている」ようにも思う。
だから、周りの人も、本人も、自分で自分の下の世話が出来なく
なったら、あまり欲張らないで、「もうここらで、綺麗なお花畑の
ある天国へ旅に行こう」と、天国行きの切符を買ってもええやないですか。
続く