4 今度は40年前のパラグアイの友達恵美ちゃんとの縁をつないで
くれた見ず知らずのいっこにこさんとの縁である。
彼女のメールによると、こうである。
移住する前は東京立川市で、ガソリンスタンドをやっていました。
その時のスタッフ二人が喜界島出身だったのです。
(喜界島は私フリムン徳さんの故郷です)。そんなこともあって、
なんとなく喜界島に親近感を持っていました。
それは、直島君と、吉山君という青年(当時)でした。
とても、とても、よい青年で、家族のように一緒にご飯を食べ、
同じお風呂に入ったものでした。移住して何年目かに、里帰りした時、
当時の従業員達が、歓迎会を開いてくれました。その時の話題で、
吉山君が「うちの田舎の近所の人がパラグアイに移住したけど、今は、
アメリカにいて本を書いたりしていると、話しました。
私はその時、へ~~~~、ソウなんだ~~~、なんて言っていましたけど、
その話は徳さんのことだったのですねえ。
吉山君の家は畳屋さんだったと言っていました。
ネッ、なんだかとても不思議ではありませんか。どう考えても
不思議でなりません。これは、どうしても一度はお目に
かからなければなりませんよね。
そうです、畳屋の吉山君は私の家の近所、直島君も私と同じ村の人間です。
それにしても、喜界島に縁がある鈴木さん、きっと遠い昔、
鈴木さんの祖先が喜界島に何かの縁があったに違いない。
レシピのブログで常時上位ランクされている”カリフォニアのばあさんブログ”
の知名度が世界中を駆け巡っているのには驚きと、毎日、
書き続けるカリフォニアのばあさんの忍耐には”継続の力”
という言葉が目に見えるようである。 フリムン徳さん。
終わり