可能性をひきだす勇気づけカウンセラーの辻本絹代です。
昨日23日は、東大阪市鴻池リージョンセンターで、
「いきたひ」という自主上映のドキュメンタリー映画を観ました。
以前にも大阪での上映会があったのですが、
仕事の都合と合わず行けませんでした。
facebookのタイムラインで7月に和歌山での上映会があると知って、
詳細を検索すると、
なんと、私の住む隣の駅のリージョンセンターでも上映会があることがわかって、
それも23日!仕事の予定も調整させていただいて申込みました。
当初、一緒に行くつもりだった方とは行けなくなって、
地元で心から頼りにしているお姉さまの池畑さんをお誘いしたところ、
ご一緒いただけることになりました。
朝に小林麻央さんの訃報があり、より深く入ってきます。
病院での看取りではなく、家で家族を看取るというテーマです。
ひとりの人が命を終えるということ、
臨終と言いますが、
臨命終時 すなわち 生ききる 息切る ということだそうです。
その人が命の終わる時に臨むというとても自律的な表現であることも学びました。
私の両親は3月15日に父が脳梗塞からの闘病後に逝き、
その2日後の3月17日に母が子宮ガンからの闘病後に逝きました。
父も母の余命を「桜の花は見れないかも」と知っていたから、
「もうそろそろやな、この辺で」と自分で決めたのかも知れないと思いました。
ガンの末期でホスピスにいた私の母に、
28年間入退院をしていた父が亡くなったことを告げると、
安心したような表情になって涙を流しました。
そして、その2日後に亡くなったのは、
「お父ちゃんも亡くなって、もう安心した。ここで命を終える時がきた」と
自分で決めたのかも知れないと思いました。
両親二人一緒にお葬式を出しました。
不思議だったことが、不思議でなくなった。
ちゃんと二人は決めていたんだと。
そして、愛する家族を自分の手でしっかりと感じて看取ることで
亡くなっていく人のエネルギーが放出されて、
家族にバトンタッチされるのだと。
そのエネルギーは自由に、素直に生きた人ほど強いんだそうです。
この映画のタイトルの文字は「生」の最後の一画が「死」の最初の一画になっています。
私たちの「生」は「死」の上に成り立っている。
生まれて、死んでを繰り返す人間の営みの延長線上に生きている。
そして、生きとし生けるものの命をいただいて生きている。
そう考えると、私も自分の命を、今ここにいる自分を活かして生きたい。
そして、自分もまたエネルギーを残して終えたいと思いました。