皆さ~~~ん、共に祈りましょう❗

韓国のために、

     また戦争中のイスラエルとパレスチナのために、

そして、ロシアとウクライナのためにも祈ります‼️🙏アーメン‼️

 

【6月26日世界宣教祈祷課題:🇰🇷韓国🇰🇷

「歴史的視点から見る朝鮮半島の福音化(2)」

 朝鮮半島にカトリック信仰が芽生えた初期の頃から、カトリックへの弾圧は激しさを極めた。

そのような困難の中で、初期のカトリック信者たちは、中国の司教に司祭の派遣を求めた。この要求に応え、1795年に中国人司祭が密かに招かれると、しばらくの間この司祭は裕福な貴族女性である姜完淑(カン・ワンスク)によって保護された。彼女はカトリック教徒としての共同体生活を始め、独身生活を実践した。ところが当局は彼女を捕えたのだ。彼女は司祭の居場所を白状するように強要され拷問を受けたが、最後まで司祭の居場所を明かすことはなかった。

しかし当局は、司祭の居場所を突き止め、結局この司祭は逮捕された。彼女と司祭、その他多くの教会指導者たちは、キリスト教を厳しく弾圧する政府によって処刑された。これが後に1801年の辛酉(しんゆう)迫害として知られるようになったものである。これにより、李氏朝鮮は、キリスト教信仰を全国的に禁止することとなった。

貴族階級である両班(やんばん)の男性によって始められたにもかかわらず、最初の朝鮮のキリスト教会は、キリストの教えは一部の上流階級に属する人々のためのものではなく、すべての人々のためであることを理解していた。

祖先や家系、姓などによって、身分や家柄が分けられ、女性蔑視が強かった当時の階級社会において、初期のキリスト教共同体には、女性や異なる階級の人々、さらには賎民とされるアウトカーストの人々も含まれていた。朝鮮半島で教会が植えられた初期の頃、これらの信者たちは、より遠隔地の山岳地帯や島々に追いやられていた。しかしその厳しい迫害や差別にもかかわらず、彼らの信仰は広がりを見せていた。当局はこれに対してさらに警戒を深めたのである。

1866年に始まった丙寅教難(へいいんきょうなん)は、李氏朝鮮時代に公式に記録された最後の大規模迫害であった。これによって推定8,000人のカトリック信者が殺害された。一説によると、この数は当時のカトリック教徒の半数以上に及んだとされている。

外国の宣教師ではなく、国内の現地人信者が中心になって産声をあげた朝鮮半島におけるカトリック信仰は、激しい迫害の中を通らされたのである。この地でプロテスタント信仰が始まったのは、まさにこのような時だった。

「歴史的視点から見る朝鮮半島の福音化(3)」に続く。

(プロテスタント35.3%, カトリック9.2%, 仏教23.7%, 儒教2.7%,イスラム0.3%,他)

 

 

※リブログ、拡散してください❗q|゚Д゚|p✨

【10時のお祈り運動】参加者募集中~!!!

あなたの願いが叶う!10時か!(十字架✞)【10時のお祈り運動】~!!!

〇クチン接種するよりも・・・( ^ω^)・・・★10時のお祈り運動★

10時になったよw、10時か(十字架✟)運動~~~❗❗❗

願いを叶えたい

み~なさん!こちらにも「コメント」、又は「いいね」で、ご参加ください。

   

10時前でも、10時過ぎてもいいので、是非是非ご参加くださいねっ(⋈◍>◡<◍)。✨💖

 

又は、、、
10時か!運動は、こちらからでも参加できます!

https://ameblo.jp/ikoi236/entry-12811319549.html

 

私たちにはどうすることもできないこと、理不尽に思えることでも、文句の言えない、理解できない、理解を超えた意味や理由があり、遥かに偉大な主の御心がある。
私たち人間にできることは祈ることのみである。

 

なお、[コメント欄は閉じています]が、祈ってくださったら、「いいね」をしてください。

祈って、いいねをくださった皆さんの上に、リブログ拡散してくださった方々の上に、また、この記事を覗いてくださった全ての皆さんの上にイエス様の祝福が豊かにありますように。
ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!