聖書箇所(新約聖書 エペソ人への手紙 5:1~14)の要約

聖徒は、神様に倣って愛の内に歩むべきです。
淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であり、そのため御国を受け継ぐことができず、神様の怒りが下ります。
光の子どもは善意と正義と真実の内に実を結び、主に喜ばれることをすべきです。
実を結ばない暗闇の業に加わらず、それを明るみに出すべきです。

 

 

【御言葉から】

愛の本質はイエス様の十字架です。
イエス様は私たちのために御自分の身体を宥めの捧げ物として神様に捧げることで、愛を示してくださいました。
ですから、私たちも愛の内に歩むのです。
愛されているクリスチャンに相応しい姿は、第一に、肉体的な聖さです。
淫らな行いや汚れ、貪りは、口にしてもいけません。
これは、偶像礼拝と同じなので、神様の御国を受け継ぐことができません。
第二に、品格のあることば遣いです。
猥褻なことや愚かなお喋り、下品な冗談を捨て、感謝の言葉を口にすることです。
第三に、空しい言葉を遠ざけなけることです。
空しい言葉で人を欺く者は、神様の怒りの対象です。
愛と聖さは、救われた人の印です。
クリスチャンは闇から光へ移された存在です。
イエス様を受け入れれば、誰でも「光の子ども」となります。
光の子どもは「あらゆる善意と正義と真実」を追い求めますが、これは神様にかたどられた人生です。
光の子どもは、神様に喜ばれることを見分け、吟味します。
闇の業に加わらず、寧ろ、それを明るみに出します。
闇は光に勝てません。
闇は光に照らされて、全て明らかになります。
光の子どもは、世の闇を明らかにし、人々を悔い改めに導く存在です。
イエス様が光を照らしている間、闇にいる者は霊的に死んだ者の中から起き上がらなければなりません。
イエス様が真の光として来られたのは、私たちが闇の業を捨て、光の人生を歩むようになるためです。

 

 

【祈り】

十字架の犠牲によるイエス様の愛が、私の人生に現れますように。
「あなたがたは聖なる者でなければならない」と言う御言葉ばを心に刻み、イエス様に喜ばれる礼拝者として歩めますように。
光の子どもとして偽りを見抜き、闇に勝利できる敬虔な力を注いでください。

ワクチンとは言えないコロナワクチンや地球温暖化、LGBTQ、昆虫食など、反キリストのサタニストどもの悪巧みが主イエス様の時に暴かれ、阻止され、裁かれ、罰せられますように。
一人でも多くの方が主イエス様と出会い、罪の悔い改めに導かれてイエス様を信じ罪赦され、救われますように。
主の御心がなりますように。 ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!