聖書箇所(旧約聖書 哀歌 5:15~22)の要約

ユダの人々は、心から喜びが消え、冠も頭から落ち、罪ある者となりました。
荒れ果てたシオンの山の上を、狐が歩き回ります。
エレミヤは、自分たちは主の御元に帰るので、主が本当に自分たちに怒っておられるのでなければ、昔のように自分たちの日々を新しくしてくださるようにと願い求めます。

 

 

【御言葉から】

国の滅亡によって主権を失った民の人生には、喜びがありません。
エレミヤは、バビロンの過酷な統治が日常から喜びと踊りを奪ったと嘆きます。
祭りの時に礼拝者が捧げていた喜びの讃美と踊りも、止んでしまいました。
王の栄華と権威を象徴する「冠」が地に落ちたというのは、ユダの国が主権を失った悲惨な状況を意味しています。
その結果、ユダの民は悲しみの余り、目と心が弱り果て、巡礼者たちで混み合っていたエルサレムは廃墟となり、狐の住まいとなってしまいました。
ユダの滅亡により、ユダの全ての栄光が消え去ってしまったのです。
エレミヤは、これらの悲劇は全て自分たちの罪のためだと告白します。
神様の裁きと滅亡は、罪の結果です。
エルサレムの惨状を述べたエレミヤは、今度は万物の主権者であられる神様を讃美します。
エルサレムは燃えてしまっても神様は永遠におられ、神殿は残骸しか残っていなくても主の御座は代々に続くと告白します。
エレミヤは、ユダの民を永遠に捨てず、忘れないでくださいと神様に訴えます。
神様の憐れみだけが、惨憺たる現実から抜け出させてくださるからです。
「あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります」という嘆願は、私たちを立ち返らせる神様の恵みが先にあってこそ、私たちが主の下に立ち返る力と機会を得られるという告白です。
人間は腐敗し、無力なので、自分では神様を見付けることができません。
神様の恵みだけが私たちを新しくします。

 

 

【祈り】

荒れ果てた私の人生を新しくしてくださり、もう一度主の御前に立たせてください。
荒廃したのは、私の罪の故であることを深く悟り、悔い改めさせてください。
主イエス様は怒りの中でも憐れみを忘れない御方であると信じ、大胆に主の御座の前に出て行けるようにしてください。

ワクチンとは言えないコロナワクチンや地球温暖化、LGBTQ、昆虫食など、反キリストのサタニストどもの悪巧みが主イエス様の時に暴かれ、阻止され、裁かれ、罰せられますように。
一人でも多くの方が主イエス様と出会い、罪の悔い改めに導かれてイエス様を信じ罪赦され、救われますように。
主の御心がなりますように。 ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!