聖書箇所(旧約聖書 哀歌 5:1~14)の要約

エレミヤは、ユダの譲りの地が他国人の手に渡り、自分たちは孤児となり、憩いがないと告白します。
罪を犯した先祖はいなくなり、彼らの咎は自分たちが負いました。
飢饉によって皮膚は熱くなり、若い男たちはひき臼をひかされて楽器を鳴らすことを止め、幼い者たちは薪を背負ってよろめきました。

 

 

【御言葉から】

信仰の人は、汚名を着せられた状況でも神様の御前に出て行きます。
エレミヤは、敗北したユダの「残りの者」に神様が心を留められ、顧みてくださることを嘆願します。
神様から譲りとして受け取った土地と家を異邦人に奪われたユダの民は、孤児ややもめと変わりません。
水や薪を求めるために金を払い、皮膚が黒ずむほど飢え、食物を得るためにエジプトやアッシリアに屈服しなければなりませんでした。
命の源である神様を捨てた結果、ユダの民はバビロンの手から自分たちを救い出してくれる救い主のいない現実に絶望することになりました。
エレミヤは、民族の没落の原因が先祖の罪にあることを明らかにしながらも、「私たちは、罪ある者」となったと言い、自分たちに責任があることを認めます。
征服者バビロンは、ユダを憐れみませんでした。
彼らが経験した悲劇を神様が顧み、憐れんでくださることを願ったからです。
バビロン軍は女たちと乙女たちを辱めました。
バビロンに抵抗したユダの指導者たちは処刑され、長老たちは尊ばれませんでした。
若い男たちは強制労働に連れて行かれ、城門で民の訴えを裁いていた長老たちはいなくなりました。
喜びを失った若者たちは、最早歌わず沈黙します。
怒りの裁きによって、エルサレムは恥辱と不幸に満ちています。
裁きの主権者である神様に対する嘆願だけが、確実で唯一の望みです。

 

 

【祈り】

真の安息を得られない人間の嘆きの中で主の慈しみを求めます。
永遠におられる神様が私の父であられるのに、孤児のように生きている私の弱さを憐れんでください。
荒んだ人生の中でも信仰の目を上げて、主イエス様の御前に出て行くことができますように。

ワクチンとは言えないコロナワクチンや地球温暖化、LGBTQ、昆虫食など、反キリストのサタニストどもの悪巧みが主イエス様の時に暴かれ、阻止され、裁かれ、罰せられますように。
一人でも多くの方が主イエス様と出会い、罪の悔い改めに導かれてイエス様を信じ罪赦され、救われますように。
主の御心がなりますように。 ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!