先日の日経新聞に、中学受験前に体育でケガ、母親の無念
という記事が出ていました。
リンク先はいつ消えてもおかしくないので、記事の要点をまとめると、
・ある小学校の、6年生の体育の授業(11月)で跳び箱(台上前転の練習)をやった。ある男子児童が、その際失敗(転落)して首をひねった。
・教師は、転落直後、その日の体育の授業は休ませた。体育の授業後と下校時に2度本人に確認したが大丈夫とのことなので、家庭に特段の連絡はしなかった。
・何日か後に本人が首の不調を訴え、首の脱臼が判明。一週間の入院と、その後長期の通院が必要となり、中学受験の難関校への受験勉強に集中できなくなり、本命校の受験を回避することとなった。(併願校に特待生で合格)
・ということで、親が学校(自治体)に対し、適切な注意義務を果たして授業をしていれば事故は起きておらず、志望校を受けられていたはずだとして訴えた。
・判決では、学校の注意義務違反を認定せず、受験との因果関係にも言及することなく、ただし首の事故という重要性にかんがみて家に連絡はしておくべきだったということで5万円の慰謝料にとどめた。(記事には正確に書いていないが、小6なので、本人が大丈夫だといったことが過失相殺にもなっていそうだ)
記事タイトルからすると、記者は母親に同情的なのかもしれませんが、私はこの記事の情報だけで判断する限り、判決が妥当だと思います。
よく、受験には平等・公平さが必要だという人がいます。確かに正しいです。一部の人だけが出題内容を事前に知っていたりしてはいけないとか、解答時間に長短があってはいけない、というような意味では。
でも、当日の体調が悪いとか、そういうことで運の良し悪し、めぐりあわせで有利不利が出てしまうのは、公平不公平の問題ではないと思うのです。もっとも、交通機関の遅延など、ある程度社会的に影響が大きいものはなるべく救済すべきですが、全部は救済しきれませんよ。
というか、受験を100%公平にしたとして、その後の人生の諸局面での競争をすべて同じように公平なものにできますか?できないんです。就職面接も、仕事の中での勝ち負けも。努力と運、スポーツも勉強も同じ。
でも、一回不運があっても、そのあと逆転もあるかもしれない。これが人生の面白さでもあるわけですよね。
この少年は、見事に特待生になっているわけです。勝手な想像ですが、それこそ、その学校の教員からは、「○○君は本当は開成に受かる人だったのだが、いろいろあってうちに来てくれた。東大か医学部に受かりうるわが校の宝だ」って思われて、大切にされるんじゃないでしょうか。
中学入試がダメだからって、人生終わりじゃないです。というか、この経験こそが、きっとこの少年を強くするはず。
変に裁判なんか起こさないで、こういうことも人生の糧だと親が子どもに教えたほうが、勉強では得られない財産になると思うのですがねえ。
私なら、そういう親になりたいと思います。
保育園に子どもを通わせるようになって最近痛感するようになったことがある。
保育園というのは、一人ひとりの子どもの情報を相当蓄積して、それに基づいて育児をしているということだ。
毎日毎日、交換日記のようにやり取りされる連絡帳。そのなかには「園での様子」「家庭での様子」を丁寧に書いて情報交換している。
○○ちゃんは、どんな性格で、どんな食べ物が好きか、○○君との相性は…などの情報も当然集められていく。そして、保育園ではそういった情報を踏まえて毎日の保育を行っている。すごいことだし、とても安心する。
それに比べて、親が何かの用事をするため数時間だけ、子どもを一時預かりする「託児所」は、ほとんど情報がない中で子どもを預かるのだから、よく考えるとすごく大変。というか安全なのか?という気もしなくもない。
まあ、食事をさせるでもなく、昼寝をさせるでもなく、2時間ほど様子を見ながら遊ばせてるだけだから問題ない、ということなのかもしれないけれども。
保育園というのは、一人ひとりの子どもの情報を相当蓄積して、それに基づいて育児をしているということだ。
毎日毎日、交換日記のようにやり取りされる連絡帳。そのなかには「園での様子」「家庭での様子」を丁寧に書いて情報交換している。
○○ちゃんは、どんな性格で、どんな食べ物が好きか、○○君との相性は…などの情報も当然集められていく。そして、保育園ではそういった情報を踏まえて毎日の保育を行っている。すごいことだし、とても安心する。
それに比べて、親が何かの用事をするため数時間だけ、子どもを一時預かりする「託児所」は、ほとんど情報がない中で子どもを預かるのだから、よく考えるとすごく大変。というか安全なのか?という気もしなくもない。
まあ、食事をさせるでもなく、昼寝をさせるでもなく、2時間ほど様子を見ながら遊ばせてるだけだから問題ない、ということなのかもしれないけれども。
多少の違いはあっても、タイトルのような言葉、どこかで聞いたことはないだろうか?
本来的には、人材開発とか教育面からの格言で、人は他人に何かをなすための機会を与えることはできても、その機会を活かすかどうかは本人次第(機会を与えても、無理やりやらせることはできず、本人がやろうとしなければ事はなされない)、ということを比ゆ的にあらわしたものだ。
ただ、育児をやっていて、子どもがままならない場面で、この言葉を思い出してしまうのだ。
というわけで、ここでは、ちょっと違う意味で、この言葉を活用したいと思う。
つまり、育児には、
馬を水辺まで連れていく系の育児と、水を飲ませようとする系の育児があるってこと。
より分かりやすく言うと、親が(言葉は悪いが、力づくでも)主導してやってできてしまう育児と、親の独力では無理で子どもの意志が必要な育児(鳴くまで待とう、鳴かせてみよう、のいずれかで乗り切るしかない)があるということだ。
具体的に言おう。
着替え、おむつ替え、風呂、幼保育園通い、は、「水辺まで連れていく」育児。
一方、寝かしつけ、食事(摂食自体)は、子どもが嫌がるとどうしようもない。「水を飲ませることはできない」育児である。
(なお、そのほかに、食事の準備(搾乳・調乳含む)・片付け、洗濯等、そもそも子どもの行動とは無関係に行える育児もある)
もっとも、いやいや期になると、無理やり風呂に入れられなくなってきたりして多少のカテゴリー変化は出てくるだろうが、なんといっても、「水を飲ませる」系の最大の問題が、親が自分のペースで進行できないということだろう。
時間が限られている中、イライラするし…。
というわけで、イクメンの私としては、朝の食事の準備片付けは妻にやってもらっているが、摂食自体は自分が積極的に引き受けることで、実際の育児分担率(仕事量)が、2:8くらいであろうとも、妻の心証を良くするように心がけているのであった。こうすると、私が食べさしてる間に妻が自分の朝食と、保育園準備ができたりするわけ。
この運用、心理的にも大事だと思うんだけどなあ。
本来的には、人材開発とか教育面からの格言で、人は他人に何かをなすための機会を与えることはできても、その機会を活かすかどうかは本人次第(機会を与えても、無理やりやらせることはできず、本人がやろうとしなければ事はなされない)、ということを比ゆ的にあらわしたものだ。
ただ、育児をやっていて、子どもがままならない場面で、この言葉を思い出してしまうのだ。
というわけで、ここでは、ちょっと違う意味で、この言葉を活用したいと思う。
つまり、育児には、
馬を水辺まで連れていく系の育児と、水を飲ませようとする系の育児があるってこと。
より分かりやすく言うと、親が(言葉は悪いが、力づくでも)主導してやってできてしまう育児と、親の独力では無理で子どもの意志が必要な育児(鳴くまで待とう、鳴かせてみよう、のいずれかで乗り切るしかない)があるということだ。
具体的に言おう。
着替え、おむつ替え、風呂、幼保育園通い、は、「水辺まで連れていく」育児。
一方、寝かしつけ、食事(摂食自体)は、子どもが嫌がるとどうしようもない。「水を飲ませることはできない」育児である。
(なお、そのほかに、食事の準備(搾乳・調乳含む)・片付け、洗濯等、そもそも子どもの行動とは無関係に行える育児もある)
もっとも、いやいや期になると、無理やり風呂に入れられなくなってきたりして多少のカテゴリー変化は出てくるだろうが、なんといっても、「水を飲ませる」系の最大の問題が、親が自分のペースで進行できないということだろう。
時間が限られている中、イライラするし…。
というわけで、イクメンの私としては、朝の食事の準備片付けは妻にやってもらっているが、摂食自体は自分が積極的に引き受けることで、実際の育児分担率(仕事量)が、2:8くらいであろうとも、妻の心証を良くするように心がけているのであった。こうすると、私が食べさしてる間に妻が自分の朝食と、保育園準備ができたりするわけ。
この運用、心理的にも大事だと思うんだけどなあ。
離乳食から幼児食に移ろうとしているうちの子。
食事をするときに親が気を使うのは、食べこぼし。
特に、服への食べこぼしは、量によっては着替えを余儀なくされるのでなるべく避けたい。
そこで登場するのが、ビブスというかエプロンっていうか。
ただ、布製にせよプラスチック製にせよ、使ったら洗わないといけない。これが結構面倒。
割り切って使い捨てのものはないのだろうかと思っていたが、それなりのお値段はする。洗えるものなら繰り返し使えると思うと、楽だけど使い捨てはもったいない。そう考えていくと、布おむつか紙おむつかって話にも似てくるのが不思議だ。
そんな悩ましい状況の中、我が家ではいい方法を思いついた。
スーパーのレジ袋を使って、使い捨てビブスにしてしまうのだ!これなら、一枚2円だ(マイバッグ持参でくれるエコポイントを考えた場合)
やりかたは下記、図解の通り。
これだと、ビニール製なので汁物も受け止められるし、クビ回りもすきまができにくいし、最後は丸めてポイができる。お出かけの際にはかなり便利。それこそコンビニで買い物すれば調達できるしね。
皆さんもやってみてね!
食事をするときに親が気を使うのは、食べこぼし。
特に、服への食べこぼしは、量によっては着替えを余儀なくされるのでなるべく避けたい。
そこで登場するのが、ビブスというかエプロンっていうか。
ただ、布製にせよプラスチック製にせよ、使ったら洗わないといけない。これが結構面倒。
割り切って使い捨てのものはないのだろうかと思っていたが、それなりのお値段はする。洗えるものなら繰り返し使えると思うと、楽だけど使い捨てはもったいない。そう考えていくと、布おむつか紙おむつかって話にも似てくるのが不思議だ。
そんな悩ましい状況の中、我が家ではいい方法を思いついた。
スーパーのレジ袋を使って、使い捨てビブスにしてしまうのだ!これなら、一枚2円だ(マイバッグ持参でくれるエコポイントを考えた場合)
やりかたは下記、図解の通り。
これだと、ビニール製なので汁物も受け止められるし、クビ回りもすきまができにくいし、最後は丸めてポイができる。お出かけの際にはかなり便利。それこそコンビニで買い物すれば調達できるしね。
皆さんもやってみてね!
前回、ベビーカー嫌いの話を書いたわけだが、それもあって私は抱っこひもに子供を入れて電車に乗っている。
海外製の、しっかりした抱っこひもであることと、私が学生時代、重いものを身につけるガッチリ系のスポーツ経験者であったことから、10kgくらいまでは抱っこ上等、のスタンスなのである。
ただ、抱っこひもで乗っていて、座らないでいると、特に席が埋まっている場合、席を譲られそうになることがかなりある。
まあ自分も逆の立場ならそうするんだろうけど、現状、抱っこひもに1歳ちょっとの子どもを入れた状態では、通勤型車両(ロングシート)にはあまり座りたくないというのが本音だ。
なぜなら、抱っこひもにいる子どもが、手や足で周囲の人に何かしないか気になってしょうがないから。寝てればいいんだけれど、いつ起き出すかもわからない。
せいぜい、端っこの席ならば片側だけに集中できるし、妻が同行していて端よりの2席がそろって空けば、左右をブロックできる。それなら座ってもよいのだが…。
自分が逆の立場の場合、おそらく自分が親になる前なら、「なんだよこのガキ、この親」と間違いなく思っていたのだが、自分が親になると、隣に座った子ども(ただし、聞き分けがまだない赤ちゃん)が手を伸ばしても、「気にしないでいいですよ」と親に言えるようになった。そういう人の横ならわりと遠慮せずに座れるわけだが、実際にはそんなことはわからない。
マタニティマーク見たいのがあればいいのだが…。
で、最初の話に戻って、席を譲られて、「もうじきおりますから」と断るのも譲ろうとした人に失礼なので、まあ受けざるを得ない。
譲られたくないなら、最初から譲られたくないアピール、というか、譲られそうなシチュエーションに入らないことが逆に礼儀なのではないかと思っている。
最近どうしているかというと、邪魔かもしれないが、ドアの近くに立つことにしている。
ロングシートに正対する位置、つまり奥まで入るということは、結局、空いたら座りたいという風に受け取られてもおかしくないからだ。
ただ、たまに、こっち空いてますから~と呼びかけてくる人がいないでもない。なんとも、困ったものだな~。
海外製の、しっかりした抱っこひもであることと、私が学生時代、重いものを身につけるガッチリ系のスポーツ経験者であったことから、10kgくらいまでは抱っこ上等、のスタンスなのである。
ただ、抱っこひもで乗っていて、座らないでいると、特に席が埋まっている場合、席を譲られそうになることがかなりある。
まあ自分も逆の立場ならそうするんだろうけど、現状、抱っこひもに1歳ちょっとの子どもを入れた状態では、通勤型車両(ロングシート)にはあまり座りたくないというのが本音だ。
なぜなら、抱っこひもにいる子どもが、手や足で周囲の人に何かしないか気になってしょうがないから。寝てればいいんだけれど、いつ起き出すかもわからない。
せいぜい、端っこの席ならば片側だけに集中できるし、妻が同行していて端よりの2席がそろって空けば、左右をブロックできる。それなら座ってもよいのだが…。
自分が逆の立場の場合、おそらく自分が親になる前なら、「なんだよこのガキ、この親」と間違いなく思っていたのだが、自分が親になると、隣に座った子ども(ただし、聞き分けがまだない赤ちゃん)が手を伸ばしても、「気にしないでいいですよ」と親に言えるようになった。そういう人の横ならわりと遠慮せずに座れるわけだが、実際にはそんなことはわからない。
マタニティマーク見たいのがあればいいのだが…。
で、最初の話に戻って、席を譲られて、「もうじきおりますから」と断るのも譲ろうとした人に失礼なので、まあ受けざるを得ない。
譲られたくないなら、最初から譲られたくないアピール、というか、譲られそうなシチュエーションに入らないことが逆に礼儀なのではないかと思っている。
最近どうしているかというと、邪魔かもしれないが、ドアの近くに立つことにしている。
ロングシートに正対する位置、つまり奥まで入るということは、結局、空いたら座りたいという風に受け取られてもおかしくないからだ。
ただ、たまに、こっち空いてますから~と呼びかけてくる人がいないでもない。なんとも、困ったものだな~。