あなたも保育士の勉強を始めよう!資格マニアでも保育士志望でもない40代イクメンが保育士の勉強を始めた理由。そして合格に至るまで -6ページ目

あなたも保育士の勉強を始めよう!資格マニアでも保育士志望でもない40代イクメンが保育士の勉強を始めた理由。そして合格に至るまで

当ブログは元々、諸事情でなかなか子宝に恵まれず、40代でやっと父親になった手探り子育て体験を綴っていくものでしたが、2021年8月から、私の保育士試験受験体験を書き綴るブログとしてリニューアルすることにしました。(「40代とうさんイックメン日記」から改題)

約1年ぶりのエントリーです。

 

実は、今日、人生で初めて「お百度を踏み」ました。要するにお百度参りです。

 

お百度参りをしたと周囲の人に言ってしまうと御利益が逃げてしまいそうで、かといってめったにできない体験であり、その時の気持ちをどこかに書き残しておかないと、いずれ家族に話そうとしたときにも忘れてしまいそうってことで、ここに書き残してみます。

 

①なぜお百度参りをすることになったか

 

それは当たり前ですが、お百度を踏まなければならないほどに真剣な願掛けをしなければならなくなったからです。

 

ただ、今回お百度をしようと考えたときにふと思ったのですが、お百度って、普通は「自分のため」の願掛けじゃなくて他人の為の願掛けじゃないでしょうか。受験に合格するようにであれば、本人がお百度するんじゃなくて親がとか。本人は、お百度してる暇があったら勉強しろよ、ってなるわけです。

 

お百度って、それなりに時間がかかるので、やはり誰かのための願掛けなんでしょうね。私の場合、今回の願掛けの対象は妻とおなかの中の赤ちゃんでした。

妊娠中なのに軽い手術をすることになり、母子ともに安全であることを願ったのです。

 

②どうやってお百度をやるのか

 

お百度参りって、昔何かの映画化なんかのワンシーンで見た記憶があります。早朝か深夜かに境内の灯篭かなんかの上に1回お参りするごとに小さい石を置いて行って回数を数える…みたいな。

 

今回私は、妻の手術時間中に病院を出て、近所の神社でお百度を決行する作戦を立てました。

 

まず今回調べてびっくりしたのが、お百度参りって、正式には境内の外から入ってお参りして外へ出るまでが1回ということのようです。これだと1回に1分以上かかる?となると2時間以上かかるのかとびっくりしました。

 

回数のカウントについては、ネットでよいアイディアが書かれていて、小銭を100枚用意して1枚ずつ賽銭をあげれば小銭がなくなったところで100回になる、という作戦を借用しました。

 

銀行で手数料無料の両替機で1円玉100枚に両替し、トートバックに入れ、それを持ちつつ、お参りを繰り返したわけです。

 

③実際やってみると

 

午前中9時過ぎから開始しました。そんなに大きくない神社ですが、駅から近いこともあり、昼間もそれなりに一般参拝客はいて、お百度に要した100分弱の間に20~30人は他の参拝客と一緒になりました。

お参りして入口の鳥居まで戻って向き直って一礼してまた本殿に向かってくる私を見て、お百度参りかと思った人はどれくらいいるんでしょう。

幼児なんかは「なんでまたやってるの?」なんて親に問いかけている人もいましたが、お百度参りの途中で話すと御利益がなくなるなんて説もあるので、ずっと無言で続けていました。

 

ある行為をずっと続けることを「○○マラソン」なんていったりしますが、まさにその感覚で、初めの数回のお参りをしているうちは先は長いな~と途方もない気持ちになりましたが、脂がのってくると時間を気にすることなく続けていけます。変な比喩ですが、フィットネスクラブで1時間泳ぎ続けると決めて泳ぎ出した最初の数本がつらいというのと似た感覚でした。

が、そのうち、お百度参りでも水泳でも、気分がハイになってきて時間が過ぎるのがあっというまになってしまうのです。周囲の目もまったく気にならなくなる感じ。

 

そうこうして、お百度が終わりました。

親類の手術時に病院で待っている、っていう話はよくありますが、待ち時間が落ち着かないってこともよくあります。すぐに連絡が取れるということが条件ですが、手術時間の裏でお百度参りをして、①成功を祈る、②待っている人の精神の安定(気を紛らす)、③時間つぶし、というメリットを享受してみるのも悪くないという気がした1日でした。

病院の中に神社を作ってしまうのは宗教的中立の立場から良くないのでしょうが、病院の隣に神社があればなあ…と思いました。

 

ちなみに今日私がお百度を踏んだことは私は誰にも言っていません。病院にもちょっと外出すると言っただけですし、妻にも、職場の人にも誰にも。

お百度って、少なくとも願を掛ける相手に(願いが叶う前に)知られては御利益がなくなるような気がします。あるいは相手にプレッシャーになりますしね。

 

私も、子どもが無事生まれて落ち着いたころに笑い話として話すかどうかですね。そもそも証拠もないし信じてもらえるかさえ疑問ですが…。

 

 

 

 

小児科に限らず、子どもを主な客層としている医者(皮膚科、耳鼻咽喉科等)に行くと、絵本がたくさん置いてあります。

当然、待ち時間に読むことになるわけですが、うちの子は、本棚に突進し(笑)、自分で「これ」といって選び出してきます。

で、開いて読んできかせるわけですが、絵本って表紙や装丁である程度は何歳向きの本かわかるようにできているはずだ…と思いつつ、実際はそうでないことも多いと思いませんか?

うちの子はまだ2歳なんで、そんなに文字の多い本は理解できないし、読むほうも疲れます。

で、思うんですが、本の表紙に、絵本のランクつまり、全文字数が何文字かを表記することを絵本界のスタンダードにしてもらえないかな…と思うわけです。

本を開いてから、文字が多すぎて、ページが多すぎて、「これ、○○ちゃんには難しいからまた今度ね」というのでは、子どもをがっかりさせるし、何より親が楽をしたがっているように思われそう。
もちろんそういう面はゼロではないんですが、結果として子どもに消化不良を起こさせてしまうかもしれません。
私としては、本を開ける前に、表紙を見た段階で、これは難しそうだから別のを選ぼうね、といったほうがいいと思うんですね。

なんでそんなことにこだわっているかというと、そもそも最初の話に戻りますが、これは医者での待ち時間の話なんです。

通常、そろそろ呼ばれそうかなとかって、大体の見当がつくわけじゃないですか。じきに呼ばれそうなときにたまたま厚く文字も細かい本を手にとったら、途中で呼ばれてしまいます。まあ子どもの絵本なんて、途中で打ち切っても別にいいかもしれないんですしょうけど、個人的にはちょっときりが悪いのはね…。

待ち時間が長い場合、子どもから何冊も絵本をせがまれる場合が多いので、毎回毎回、それこそ背表紙を見るだけで読むのにどれくらい時間がかかる本かわかると、非常に助かるんですけどね…。
子どもが最近家でよく歌を歌うようになりました。
家で親が歌って聞かせている歌ではないので、保育園で覚えてくるんでしょうけど。

今は、ユーチューブという強い味方があるので、ちょっと確認するとどんな歌かはわかってしまいます。

今うちの子のマイブームは、「はたらくくるま」シリーズ。いまはなきポンキッキの曲のようです。

親もおぼえちゃうな~。ってことは、いい曲ってことですね!
我が家ではこどもを高さ50センチくらいのベビーサークルに入れているんですが、なんと、ついに今日、こどもが柵を乗り越えてしまいました。といっても、足をかけて上半身を乗り出してぐるんと外に飛び出す(とはいっても、まともにそれをやれば柵の外に転落してしまうので、正確には、壁際に柵がある位置を利用して、うまく壁と柵のあいだのスペースに滑り込ませる)感じなんですけどね。

いずれにせよ、これでついに自力で柵の外に出る方法をつかんでしまったことは間違いありません。

まさにタイトルのように、自由に移動するすべを得た、ということでしょうか。
子どものお気に入りの絵本の中に、色とりどりのボールが登場するシーンがありましてて、
そこで開口一番、「あか」と声を出しました。もちろん、赤いボールを指さして。

おお、と親は感激するわけですが、その数秒後に、今度は緑色のぼーるを指さして、
またもや「あか」と。

単に色全般を「あか」と称しているのか、それともボールを赤と称しているのかわかりませんが、
もしや赤と緑の区別がつかない(色弱)のではとハッとさせられました。

でもこればたぶん小学生にならないと判定できないのではないでしょうか…。
心配は尽きません。