約1年ぶりのエントリーです。
実は、今日、人生で初めて「お百度を踏み」ました。要するにお百度参りです。
お百度参りをしたと周囲の人に言ってしまうと御利益が逃げてしまいそうで、かといってめったにできない体験であり、その時の気持ちをどこかに書き残しておかないと、いずれ家族に話そうとしたときにも忘れてしまいそうってことで、ここに書き残してみます。
①なぜお百度参りをすることになったか
それは当たり前ですが、お百度を踏まなければならないほどに真剣な願掛けをしなければならなくなったからです。
ただ、今回お百度をしようと考えたときにふと思ったのですが、お百度って、普通は「自分のため」の願掛けじゃなくて他人の為の願掛けじゃないでしょうか。受験に合格するようにであれば、本人がお百度するんじゃなくて親がとか。本人は、お百度してる暇があったら勉強しろよ、ってなるわけです。
お百度って、それなりに時間がかかるので、やはり誰かのための願掛けなんでしょうね。私の場合、今回の願掛けの対象は妻とおなかの中の赤ちゃんでした。
妊娠中なのに軽い手術をすることになり、母子ともに安全であることを願ったのです。
②どうやってお百度をやるのか
お百度参りって、昔何かの映画化なんかのワンシーンで見た記憶があります。早朝か深夜かに境内の灯篭かなんかの上に1回お参りするごとに小さい石を置いて行って回数を数える…みたいな。
今回私は、妻の手術時間中に病院を出て、近所の神社でお百度を決行する作戦を立てました。
まず今回調べてびっくりしたのが、お百度参りって、正式には境内の外から入ってお参りして外へ出るまでが1回ということのようです。これだと1回に1分以上かかる?となると2時間以上かかるのかとびっくりしました。
回数のカウントについては、ネットでよいアイディアが書かれていて、小銭を100枚用意して1枚ずつ賽銭をあげれば小銭がなくなったところで100回になる、という作戦を借用しました。
銀行で手数料無料の両替機で1円玉100枚に両替し、トートバックに入れ、それを持ちつつ、お参りを繰り返したわけです。
③実際やってみると
午前中9時過ぎから開始しました。そんなに大きくない神社ですが、駅から近いこともあり、昼間もそれなりに一般参拝客はいて、お百度に要した100分弱の間に20~30人は他の参拝客と一緒になりました。
お参りして入口の鳥居まで戻って向き直って一礼してまた本殿に向かってくる私を見て、お百度参りかと思った人はどれくらいいるんでしょう。
幼児なんかは「なんでまたやってるの?」なんて親に問いかけている人もいましたが、お百度参りの途中で話すと御利益がなくなるなんて説もあるので、ずっと無言で続けていました。
ある行為をずっと続けることを「○○マラソン」なんていったりしますが、まさにその感覚で、初めの数回のお参りをしているうちは先は長いな~と途方もない気持ちになりましたが、脂がのってくると時間を気にすることなく続けていけます。変な比喩ですが、フィットネスクラブで1時間泳ぎ続けると決めて泳ぎ出した最初の数本がつらいというのと似た感覚でした。
が、そのうち、お百度参りでも水泳でも、気分がハイになってきて時間が過ぎるのがあっというまになってしまうのです。周囲の目もまったく気にならなくなる感じ。
そうこうして、お百度が終わりました。
親類の手術時に病院で待っている、っていう話はよくありますが、待ち時間が落ち着かないってこともよくあります。すぐに連絡が取れるということが条件ですが、手術時間の裏でお百度参りをして、①成功を祈る、②待っている人の精神の安定(気を紛らす)、③時間つぶし、というメリットを享受してみるのも悪くないという気がした1日でした。
病院の中に神社を作ってしまうのは宗教的中立の立場から良くないのでしょうが、病院の隣に神社があればなあ…と思いました。
ちなみに今日私がお百度を踏んだことは私は誰にも言っていません。病院にもちょっと外出すると言っただけですし、妻にも、職場の人にも誰にも。
お百度って、少なくとも願を掛ける相手に(願いが叶う前に)知られては御利益がなくなるような気がします。あるいは相手にプレッシャーになりますしね。
私も、子どもが無事生まれて落ち着いたころに笑い話として話すかどうかですね。そもそも証拠もないし信じてもらえるかさえ疑問ですが…。