ときどき思い出す新聞記事がある。それは明治21年7月21日の東京朝日新聞のものだ。

山岡鉄舟は胃がんを患っていた。かかりつけの医師が訪問した際に、山岡鉄舟は次のように語った。

「…世には種々の災難に遭ひて不幸にも死する者すらあるを拙者が如きは之と異り人力の及ぶ限りは治術を盡し而して其効なき時は佛家の所謂定命にて樂しむべき事にこそ拙者はお話を聞て喜びこそすれ聊かも歎くこと候はず」と。


また、それよりも前のこと、英子夫人が「せめて御教訓になることでも御殘し置き願ひ度うございます」(『おれの師匠』より)との求めに応じて、次のように認めた。

「積金以遺子孫 子孫未必守 積書以遺子孫 子孫未必讀 不如積陰德於冥々中 以爲子孫長久之計 此先賢之格言 乃後人之亀鑑」

牛山栄治氏は『定本 山岡鉄舟』の中で、これを司馬温公の句だとしている。同様のものが『和語陰隲録』の序文にある。最近では三浦尚司氏によって出版されていて、たいへん読みやすくなっている。この本は、江戸時代から平成まで、繰り返し出版されていて、ロングセラーだといえる。

また、大久保勇市氏は、その著『広瀬淡窓・万善簿の原点』(昭和46年、啓文社刊)の中で、広瀬淡窓が18歳のとき、この『和語陰隲録』を購入して読んだことが記されている。そして「善事を尽くして天助を祈らんことこいねがった」とある。


私はこの『和語陰隲録』を、山岡鉄舟も読んだに違いないと思っている。おすすめしたい一冊だ。