上野陽一という方を知っているだろうか。この上野氏の講演録『本當の働き方』を読んでみた。50頁ほどの薄い冊子だ。サブタイトルには「人を使ふ法・使はれる法」と書いてある。昭和10年(1935年)に発行されたものだから、もう80年も前のことになる。表紙には上野氏の肩書きが記されている。それは「商工省小賣業改善調査會委員、日本産業能率硏究所長」となっている。

 この本は、序によると、1935年7月17日に「三井合名會社の益田講演會で述べた主旨」だという。また、この序はわずか5行ばかりだけれど、なかなか面白い。「ミソもクソも一緒な冊子出版物の中へ、自分まで飛び込むといふことは、たまらなくイヤな氣がする。しかし、すゝめに來た者の熱心さは買つてやりたくなつた。彼は自分の年來主唱する人間的能率をいつぱいに出して、勇敢にぶつつかつて來てゐるからである」と。

 さて、この上野氏が主唱する「人間的能率」とはどんなことなのだろうか。いくつか印象に残った文章を引用してみたい。

「使ふとか使はれるとかいふ區別がなくなつてしまつたときに、始めて凡ての人の本當の働きが出て來る。」(36頁)

「能率といふものは、人間のみならず、すべてのものゝ本當の働き、そのものゝ持ち前がいつぱいに現はれたときをいふのである」(37頁)

「自分の持ち前は何であるか、それをハツキリ見つめて、その持ち前を全部出すことが人間の本當の働きである」(43頁)

「すべての人が一番になれる、メイメイの自分の持ち前がある。持ち前を殘りなく出したときがその人の一番である」(44頁)

「50人が50人自分の持ち前を出すと一番になれる世の中がほしい」(44頁)


 「一芸に秀でる」、「一点集中」などというと、意識的に、ある専門分野に特化したもののような印象だ。何かしらの努力を前提としているように思われる。しかし、「持ち前」となると、生得的であり、個性といわれるものに近いような気がする。いかがなものか。

 ところで、上野陽一氏とは、どんな人なのか。巻末の「上野陽一先生略歴」の冒頭に「明治16年10月28日、芝區南佐久間町に生る。父は幸馬といひて、祖父俊之丞、伯父彦馬と共に本邦寫眞術の祖として知らる」とある。上野彦馬といえば、坂本龍馬らの肖像写真で知られる。上野陽一氏について何も知らなかった私はびっくり。上野陽一氏は産業能率短期大学などの創始者といわれる。