天方城へ狐の小便桶を見に行く | 水石 一刻亮のちょっとしたコダワリ

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母上と遠州森町の天方城へ行ってきました。

先週の事ですけどね

 

 

 

 

 

 

赤松の古木が美しい静かな城跡です。

 

 天正7年(1579年)7月、家康の同盟者・織田信長に家康の正妻・築山殿と長男・松平信康が武田方に内通したとの報がもたらされた。

 この信憑性は非常に薄いものであったが、信長は家康にこの二人を処断するよう求めた。家康は悩んだ末まず築山殿を殺害、さらに9月15日、かねてから二俣城に幽閉させていた信康を切腹させた。

 このとき服部半蔵が介錯人を務め、天方通興の子、通綱が検分役であった。信康が切腹した際、服部正成が涙のあまり刀が振り下せず介錯できなかった為、通綱が代わりに介錯人をつとめた。 

 このため主君である家康の長男の首を落としたという自責の念にかりたてられ高野山に登り仏門に入った。そしてその後に、越前松平秀康(結城秀康・家康二男)に仕え、越前天方氏の宗家となり、その子孫は明治まで松平氏に仕えた。

 

と、言う事です。

 

 

 

山城なんでね、堀があります。

 

こちらが、狐の小便桶

 

正体はハルリンドウです。

リンドウ全般に狐の小便桶という呼び方があるそうです。

 

 

もう少し北上して一本桜も見てきました。