次の日(2月7日)の朝、

モーニングコールが鳴りました。

 

 

おそるおそる電話に出たら

英語で何かを言うてます。

 

『YES』

 

「OK」

 

『サンキュー』

 

全く何かはわかりません。

 

 

そんな感じで英語で話しかけられても、

全くわからんので「OK」と「ナマステ」だけで

のりきる気でいました。

 

 

言葉が全然わからんのですが、

法妙さんが英語で言うてくることに

若干対応できてたのには驚きましたびっくり

 

 

『何言うてるかわかるんですか?』

 

 

法妙「何となくですよ」

 

 

私はヒンディー語で話しているのか

英語で話しているのかもわからん。

 

ホテルを出てデリーから飛行機に乗って

ヒンドゥー教の聖地であるバラナシへ向かいます。

 

 

到着して、最初に案内して頂いた仏跡は、

お釈迦様が初めて説法をされた地

(初転法輪の地)であるサールナートでした。

(左が仏塔で右奥の金色の塔はジャイナ教の寺院)

 

ブッダガヤの菩提樹の下で

悟りを開かれたお釈迦様は、

 

200㎞の距離を歩いてサールナートに向かい、

かつて苦行を共にした5人の修行者に

会い行くのですが、

 

スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養を受けた

お釈迦様を「苦行を捨てて堕落した者」として

口をきかないようにしておりました。

 

しかし、悟りを開かれたお釈迦さまの威厳に

打たれて説法を願い出た場所でもあります。

 

 

最初の説法によって、

仏陀の教えに帰依したことで、

 

仏(悟った人)と、

 

法(仏陀の教え)と、

 

僧(仏陀の教えに救われて実践する仲間)

僧とは仲間のことでサンガを指します。

 

という三宝が揃って、

仏教教団が生まれました。

 

そして、この場所から

仏教は広がっていったわけありますから

凄い場所なのでございます!!

 

 

その5人と出会った場所にも

案内して頂きましたが、

雲がええ感じでありましたびっくり

 

 

サールナートは『鹿野苑』という名でも

呼ばれているのですが、ここには沢山の鹿が

住んでいたことに由来しているとの説があって、

お釈迦様の最初の説法も、

この5人の弟子と森に住む鹿に対して

行われたと言われている場所です。

 

 

ちなみに奈良市に鹿野園という場所がありますが、

このサールナート(鹿野苑)の地に

よく似ているということで名付けなれたそうです。

 

 

祗園もそうですけど、

奈良や京都にはそういった場所があります。

 

 

そんなお釈迦様の初めて説法した

サールナートのストゥーパにて

法妙さんと共に勤行をさせて頂きましたお願い

 

感動笑い泣き

ストゥーパからは

 

「あらゆる現象は原因によって起こり、

その原因がなくなればそれらの現象はなくなる」

 

というお釈迦様の教えが刻まれた

石板が発見されました。

 

 

紀元前3世紀のアショカ王という王様が

インド統一や王位に就く過程で、

多くの血を流したことを悔いて、

仏教に帰依しました。



このアショカ王が多くの仏跡を訪れ、

その地に記念の石柱を建てて、

多くのストゥーパ(仏塔)を建てました。

 

 

そして、仏教に帰依したアショカ王は、

8万4千と言われるストゥーパを建てて、

お釈迦様の遺骨を分骨して納めていったそうです。

 

 

仏教が世界中に広がっていったのも、

このアショカ王のお蔭といっても

過言ではないのですな。

 

 

その仏塔の一つがここなのでありますお願い

 

観光の人も多いのですが、

静かで柔らかい気が充満する仏教遺跡でした照れ

 

 

つづく

 

金剛山 一光寺

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