先日のメルマガで

 

禅語「即今当処自己(そっこんとうしょじこ)」

 

という言葉をご紹介したのですが、

 

反響が大きかったのでこちらにもアップしておきます。 

 

 

人には自分で掴むことができるものと、

 

自分では掴めないものがある。 

 

例えば「明日になったら必ずうまくいく」とか 

 

「あそこに行けば何とかなる」とか 

 

「あれはあの人に頼めばうまくいく」という言い方があります。

 

 

 それを禅では、人には明日も掴めなければ、あそこも掴めない、

 

ましてや他人にやってもらったら、何も自分は掴むことができない、と。

 

では自分が掴むことができるものは何か?

 

というとそれが「即今当処自己」である、と。 

 

つまり人は、今しか生きられない、ここでしかやれない、

 

誰に頼むでもなく自分でしかできない、ということ。

 

 

明日は先のことですが、

 

明日になってしまえば「今」となります。

 

あそこは離れた場所かもしれませんが、

 

あそこに行ってしまえば「ここ」になります。 

 

だから人は、「今、ここ、自分」でしか生きられない、

 

それを「即今当処自己」というのです。

 

 

 これを理解しているならば明日やります、とか、

 

あそこに行ったらやります、ということは言えないわけで、

 

いつどんな時でも「はい、やります」と言って、

 

今、ここ、自分でやるしかないのです。

 

 

過去と未来は今ここでは、両方とも掴むことができない。

 

今しか掴めないということは、

 

言い換えれば「今を大切にして、目一杯全力で生きる」ということ。

 

 やはり大切なことは今目の前のこの瞬間を

 

真剣に生きることではないか?と改めて思う次第です。

 

 

大抵のものは1度や2度手放したり失ったとしても、

 

取り戻すことができることもありますが、

 

唯一取り戻すことができないのが命と時間なのですから。

 



それにしても最近は背中の写真が多い気がします。

 

気のせいか、、、。(笑)