あれから4年が経ちました。
4年前、私が故郷、気仙沼へやっと帰れたときに目の当たりにした光景を今も忘れることができません。
自分が暮らしていた町がなくなってしまうことなど想像もしたことがなかったですから。
しかし、日本人の強さで
建物はなくなっても人々の強さと青い空、
青い海がまた戻ってきていることを感じます。
いま、気仙沼でも防潮堤の議論が盛んに行われていますが、津波があったとはいえ、気仙沼の人々には海と共に生きてきた歴史があります。
自然と共に生きてきた歴史があるのです。
人間の力で自然に抗おうとするのではなく、自然の脅威に対して常に危機感をもって生きていく。
海が見えるからこそ常に危機感を持って対処していく。
そういう「ソフト面」での対策に力を入れていくべきだと私は感じます。
そしてそれが地元 気仙沼の人々の意志であるならば、行政が足枷を作るようなことがあってはいけません。
そう思います。
そして。
震災後、日本人の中で変わったことのひとつに「自衛隊に対する思い」があるように思います。
内閣府が7日に公表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」において、
92.2%の人が「自衛隊に対して好印象を持つ」
という結果が得られました。
これは昭和44年の調査開始以来、最高の数字です。
自衛隊の存在目的では災害派遣が81.9%と最も高かったことから、東日本大震災を機に自衛隊という存在に対して日本人が大きな関心を持ってくれたのだと感じます。
そしてそれに次いで「(島嶼(とうしょ)部防衛など)国の安全確保」という項目が74.3%という高い数字を示してくれたことに、国民の中国などへの危機感も合わせて高まっている。
そう感じる結果になっています。
では、国民の意識の高まりに対して自衛隊の体制はなにか変ったのか?
実は、「防衛計画の大綱」などで国家の防衛という観点だけではなく、「大災害に対応できる防衛力」
という意識を加えて編成がされてきました。
(これは小野寺五典前防衛大臣が被災地である気仙沼出身であることも少なからず影響しているのではないでしょうか)
大きく報じられることはありませんでしたが、
たとえば、潜水艦の事故が起こった際に救出することを目的とした「潜水艦救難艦」があります。
(実際に潜水艦事故はなく、使われたことはないそうです)
平成26年予算の中にこの老朽化した救難船を新造する計画がありました。
それを潜水艦を救助するだけではなく、災害時にも医療・生活支援の拠点として活用できるように多目的艦として新造することになり、
これにより災害時には「病院船」として活躍できるようになったわけです。
また、気仙沼の大島では港湾が津波で破壊されてしまったために通常の船舶では上陸できず、物資輸送を米海兵隊に頼らざるを得ませんでした。
そのため、水陸両用能力を強化する特殊部隊を構築し、被災した離島への物資輸送も可能とできるように防衛計画に盛り込まれ、
平成26年度から5年間で、オスプレイ17機、水陸両用車「AAV7」52両を導入されることになりました。
この部隊は、離島防衛に加え、災害時には救援任務に当たることになります。
これは、世論調査で多くの期待が寄せられている「島嶼部防衛」にも繋がる部分にもなります。
震災から4年が過ぎてもまだまだ課題は多いものがありますが、
国民の意識が変わり、それに応えて自衛隊の体制も変わっていく。
それにより全体の災害や安全保障に対する備えが強化されているのであれば。
嬉しいことだと思います。
そして、各被災地においても。
多くの被災者の方々が、一日も早く自立し、自らの足で歩んでいける、生きていく。
そういう環境が来てくれることを強く望んでいます。
そして、東日本大震災で亡くなられた方々に対し、心よりご冥福をお祈り致します。
2015年3月11日 小野寺一貴