291話 光があれば影がある |  荒磯に立つ一竿子

291話 光があれば影がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいは自宅のある集合住宅を出て、団地に隣接する緩い坂道を下っていた。すると、どこからともなく、わいの名が呼ばれたような気がした。立ち止まって見まわすと、坂道には人っ子一人歩いていなかった。また、猫の子一匹、自転車1台走っていなかった。

気のせいだったかと再び歩き始めると、今度ははっきり「お~い。」という呼び声が植え込みの陰から聞こえてきた。ひょっこり現れたのは囲碁クラブのメンバーで、当年84才になる元気なじいさんだった。じいさんは首にタオルを巻いて、ジャージの上下にスニーカーといういで立ちだったから、ジョギングにでも出かけるところだったのだろう。

息を切らして小走りに近づいて来たじいさんは、「悪いけど、今度の例会は欠席するからね。」と告げたので、どこか具合でも悪いのと訊いてみた。   
このところ、囲碁クラブのメンバーは体調不良や物故者が相次いで、櫛の歯が抜け落ちるように数を減らしていた。じいさんの年齢を考えれば、いつ不都合が生じてもおかしくない。わいの心配をよそに、「いや、別にどこも悪くないよ。家内と北海道旅行に行くんだよ。」と聞かされて、杞憂であったかとわいは胸をなでおろした。

で、これからジョギングですかと尋ねると、「図書館に行って旅行先の情報を調べておこうと思ってね。」と旅行の準備に余念がないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その日は気持ちよく晴れ上がって日差しは滅法つよかったが、北寄りのひんやりした風が吹いていたので暑くは感じられなかった。小畔川の下流3キロにあるカフェコモドまで、あと30分、一番乗りで薫り高いコモドコーヒーにありつこうと目論んでいたが、自宅からコモドまでの道程で、坂道を下る辺りからは人通りはほとんどない。しかし、その日に限ってじいさんに足止めを食らってしまった。

 

坂道を下りおえて水鳥の郷公園の外周を回ると、左手に鯨井新田の水田が展がる農道に出る。そこには田植えを終えたばかりの早苗が、まるで幼稚園児の運動会のように行儀よく並んでいた。

軽トラ1台がやっと通れる農道のアスファルトには、年輪のように無数の亀裂が走っていた。路面には至るところに窪みやひび割れが出来ていて、前日降った雨があちこちに水溜まりを作っていた。わいが足元に気を取られながら歩いていると、踏み出した左足のすぐ前に千切れたカラフルなストラップが落ちていた。

ストラップは鮮やか色の赤黒斑で、真田紐のような織りになっていた。幅1センチ、長さ30センチほどに千切れていたが、なぜ、千切れたのだろうか。ストラップが切れたら、スマホはただでは済まないだろう。おかしな切れ方をしていたので、念入りに観察してみると、それはストラップではなく、蛇の皮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノシイカ状になっていたので見間違えたが、色や模様、形から見て、ヤマカガシの子どもではなかろうか。ヤマカガシの子が水田にアマガエルを食いに来て、農道で、あえなく軽トラに轢かれてしまったのかもしれない。

 

最近はほとんど見かけないが、以前は川沿いの径を歩いているとしょっちゅう蛇に出くわしたものだ。生い茂った夏草の陰に荒縄が落ちていると思って、その荒縄を跨いだ時、突然、荒縄が動き出してびっくりさせられたことは何度もある。やはり、草むらの小径で荒縄を踏んづけたと思ったらぐにゃりとして、それが動きだして、蛇だと分かった時にはぞっとした。蛇のことを昔は「くちなわ」と呼んだそうだが、くちなわとはよく言ったもので、朽ちて黒ずんだ荒縄は蛇にそっくりである。


水田にはたくさんの小動物がいるので、それを狙って様々な鳥がやってくる。

特に田起こし後の水田には、ミミズやオケラが掘り起こされて姿を現すからツグミやカラス、シラサギなどが群れを成してやって来る。また、代掻きの後、水田に水が張られると、オタマジャクシやカエル、ゲンゴロウが一斉に繁殖し、それを捕食するため蛇やカメまでやって来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナが蔓延する数年前、この農道で出会ったのは甲羅が25センチ大のカメである。いつものようにコモドに向かう道を歩いていたら、前方の路面に平べったい石が置いてあった。水路から田んぼに引き込む水を止める時、止水栓代わりに石やぼろ布を使ったりするので、農家の人が置き忘れたのだと思っていたら、その石がゆっくり動き出した。

石のように見えたものは実はカメで、。そのカメは50メートル以上も離れた小畔川の水辺から、広い河川敷を乗り越え、堤防の斜面を登り、密生した夏草をかき分けて、やっとのことで農道まで辿り着いたのだ。田んぼまであとひと踏ん張りである。

カメは苦労に苦労を重ねて田んぼにやってくるが、田んぼにはその苦労が報われるだけの多くの御馳走がある。ドジョウにゲンゴロウにオタマジャクシ、カメにとって涎が出るような御馳走の山なのだ。カメは本能的にそれを知っているのだ。

 

この水田地帯は鯨井新田といって、新田という呼称からして、近年、開発された水田のようだ。以前は水利が悪くてこの辺では畑作しか出来なかったようだ。
それは、この辺りが小畔川より6~7メートルも高い台地になっていたため、小畔川からの取水が出来なかったからだ。近年、ポンプで地下水を汲み上げることが出来るようになって、初めて稲作が可能になったのだ。


真夏の炎天下、堤防天端の道を辿っていて、桜並木の木陰に入ると、涼しさのあまり極楽に来たような気持ちになる。しかし、桜の木にはまもなく無数の桜毛虫が発生する。

木の下を通るだけで、帽子からTシャツまで毛虫だらけになることがある。

何事も光があれば影があり、功罪は相半ばするものなのだ。とは言え、森の中でヒグマに出遭えば食い殺さされるかもしれないが、桜並木の毛虫なら、いくらたかられても食い殺されることはないだろう。