井戸端広場の必要性
 農村には刺激や互いのコミュニケーションが少ない。特に若者は刺激が欲しい。だから、東京へ行きたいという若者はどんどん都市へ出してやる。都市へ出すことはよいが、しかし、必ず戻ってくるように仕向ける。それは“さけ”と同じで大海を泳いで大きく成長し、生まれた川に産卵のために戻り、卵を生む。

 人間にも同じようなシステムをつくり、東京から戻ってきて子供を生み、育てるという回生できるようなシステムをつくってやることではないでしょうか。

 農村で一番大切なことはコミュニケーションの場がないということです。

我々日本人は集まって住むのに感性的に慣れている。もともと農村には日常的な付き合いの場があったが、現在では兼業が深化していく中で村人の付き合いもバラバラになっていった。バラバラになっていったその事自体は、これまでのウエットな集落付き合いが緩和されるわけだからそれ自体はいいことである。
 しかし、そうだとすると、今度は新たなコミュニケーションの場作りが要請される。日常的に昔であれば風呂場や長屋の路地裏、井戸端というところがあった。路地裏の縁台で将棋をする、世間話をする。おばちゃんたちも茶碗を洗い、洗濯をしながら互いに情報交換をして交流する。
 そうした井戸端空間が必要だ。

 特に目的があるわけではなく、何とはなしに集まって互いに楽しめるというところ。
 都市にはそういう何とはなしに集まれるような場所が仕組みとしてある。たとえば駅前広場とか盛り場とかいったようなものです。そして人が集まれば、喫茶点もできるし、本屋もできる。だからますます人が集まる。
駅まで散歩するなんて事もできる。途中いろいろな人と合ったり、店をのぞいたりできる。

 ところが農村にはそういったところがない。だから自分の家にいるしかない。散歩しようとしても、近所から「なぜぶらぶらしているのだろう」と訝しがられる。村の中にはちょっと出掛けていって誰かと話しをするといった場所がない。

 ところがヨーロッパはそうではないんです。これは日本とヨーロッパの農村の大きな違いなんですね。ヨーロッパの農村は必ず町の真ん中に広場があり、まわりには喫茶店や噴水がで、池があり、水が流れている。そんなところがあるんですね。
 ヨーロッパの農村は元々が個々人バラバラだったから、人が集まるための仕組みを意識的に作り上げたわけです。教会には週一度は集まろう。しかも家族連れで。

さらに日常的にもみんなの心の求心力となるような町のへそを作ろう。そこには、町の役場、商店街、公園、盛り場、広場、全ての機能を集中しよう。そこへいけば誰かがいる。そんな空間をヨーロッパ人は作った。

 ところが日本の場合には、家を単位としているから、大きな家になればなるほど他と空間をともにしない。塀で周りを囲ってしまい、確かに土塀の美しさはあるものの、人々が元々群れているのが集落だからそれ以上の交渉を閉ざしてしまう。できれば広場のようなヨーロッパ型井戸端空間は作らない方がいいということになってきた。

 だからわが国の農村計画では、井戸端空間作りが余り上手ではない。たとえば農村の役場周辺には確かに広場はできている。立派なものができているんです。
 農村環境改善センターもあり、周辺も整備されている。しかし、人が自然に集まるようなものではない。仮に集まって来ても6時か7時頃になると職員が帰り、灯が消え、真っ暗になる。そういうところですから農村の中に風穴をあけるということがなかなかできない。だからさびしい。

 しかし、井戸端空間、井戸端広場、というものが農村の中に全くないこともない。
 最近は温泉がひとつのブームになってきていて、多くの自治体で温泉を堀り当てている。温泉というのは人間、裸になって憩える。人が集まってくるからコミュニケーションが生まれてくるんですね。そういう所は実は人々が結構集まっている。人々の井戸端広場になっている。

 それから一生懸命やっている農協の集出荷場には人が集まっている。例えば、福岡県のJA朝倉が小ネギをJALを使って東京へ送っているんですが、そこにはおばちゃん達が選別、出荷の作業をしている。傍らには喫茶店があり憩えるところがある。目的意識なしでコミュニケーションができる。

 実はそういうところがあれば自然に人も集まってくるし、都市の人達も出掛けてくるんですね。そして、そこで何とはなしに交流が生まれるんだろう。

 ただ惜しむらくは、「こうしたらもっといいものになるのに」といった部分が結構ある。「町の真ん中に必ず“広場”のような町のへそを作ってほしい」ということですが、それは今のような新庁舎建設にみられるような、建物さえ作れば、そのために周辺敷地を充分にとっておけば、といった発想ではなく、町の中心として住民にどのような居心地のいい空間を提供するかといった視点にたって計画してもらいたいと思います。

自分達のためであるということは勿論だが、だからこそ相手のことを考えることによって楽しんでもらうことを考えて欲しい。
つまり、皆んなが何を求めているか。ホスピタリティ(もてなし、親切なお世話)なんですね。

仙台の銘菓として定着している“萩の月”の「菓匠三全」の田中社長さんは、お客さんが望むようなお菓子を作ってサービスしたいと日頃考えていて、お客さんにアンケート調査を行ったんですね。そうしたら“ましゅまろ”みたいなお菓子が欲しい、という答えを得たんです。それで相手の立場に立って、喜んでもらえるお菓子ということで、それが“萩の月”だったというんですね。そうしたら皆さんに大変喜んでいただいた。そして買ってくれた。その結果が儲かったという、この哲学を大事にして欲しい。
 これからの農村の中で、相手の事を考えたなら、後は、行動を起こすだけです。