農業の生き延びる道は多様にあるというのが私見です。
農業は実に多様ですが、その多様さだけ農業の可能性や活力があります。それだけ農業を元気にする手法があるのではないかと思っています。

それを「感性」と「仕組み」といった視角から考えてみたいと思います。
農業は都市化・工業化社会の終焉という時代状況にあって、農業の持つ根底的なものが受け入れられ始めています。それは、「感性」に基づく身体性の取り戻しといったことです。これからの農業はそれにあった「仕組み」を作っていけばいい、というのが内容です。
今、行政が唱える農業の「仕組み」は、工業化社会の仕組みでしかないというのも、残念なことです。

1,理性から感性へ
21世紀になってひしひしと感じるのは,これまで日本が目指してきたものが根底的に変わってきたということです。
我が国では、都市化社会への流れが、疑うべくもなく人々に受け入れられ、脱農業、脱農村が進んできました。しかしそんな社会的風潮が明らかに変わってきたのが、今日の農業を取り巻く状況です。
農村に住みたいという人が増え、農家でない人達が農業を始め、テレビ番組でも農業体験が人気を集めています。こうした風潮の背景には、一言でいえば、人間の「身体性」の取り戻しという行為があるのではないかと思っています。
自然には温暖な優しい自然もあれば、冷害や暴風のような人知を越えた厳しいものもあります。伝統的な共同体には、人々の暖かさもあればわずらわしさなどもあります。「身体性の確保」というコンセプトは、このような私たちを取り巻く諸々の事柄に対して、「理性」を超えて、実際に五感で感じ取ることを指しています。
我が国が、これまで営々として築きあげてきた「都市化社会」は、一言で言えば、科学が支配し、理性が中心となる社会でした。それは、要素還元主義に基づく規格化した価値観をベースに、世界に冠たる工業化社会を作り上げました。得たものは非常に大きかった様に思います。ただ、その分失ったものも大きかったのではないでしょうか。

2,感性や身体性
失ったものの一つに「感性」や、実際に体で感じとる「身体性」があっと思います。
たとえば、金融やITは、科学を最大限に信じた20世紀理性の最大の傑作です。
しかしその結果、リアリティに欠け、人間がどこにいるのか分からなくなってしまった分野ともいえるでしょう。食品業界も、冷凍食品や遺伝子組み換えなど、ヴァーチャルで「身体性」を欠く商品開発に突き進んでいます。定時・定格・定量などという流通業界の原則も、効率を最大限求めようとする「理性」の産物です。
「近代」は、理性によって観念が肥大化し、ヴァーチャルな迷路に迷い込んでしまった時代でもあるのです。「理性」が悪いと行っているのではありません。「理性」の独走が問題なのです。独走は、「感性」と「理性」の統合体である人間を分断せずにはおきません。
そんなとき、太陽に当たれば気持ちいいと感じ、雨が降れば生き生きするのに驚くことは人間として大切なことだと私は思うのです。
つまり五感を信じる「身体性」の取り戻しです。人々の「理性」は、こうした「身体性」に裏付けられ初めて健全な状態になると私は思っています。戦後進歩的知識人が求めてやまなかった「近代的個の確立」というのも、案外こうした他者との関係を作ることによって形作られていくのではないでしょうか。
抽象的な話から始めましたが、農業は、今日こういったところに位置していると言うことを認識すべきなのでしょう。

3、感性に訴える農業
農業に求められるものも劇的に変わってきています。
これからの「農業・農村」が目指すものは、「理性に彩られた価値観」の追求よりも、「上品な感性」で彩られた知的なハレを築くことだと、私は思います。コストダウンや生産の組織化、農地流動化といった、「理性」の限りを尽くして追求する農業よりも、「おいしい」、「楽しい」、「いやされる」といった「感性に訴える」農業が勢いを得ています。
「楽しい農業」は、行政に指示される啓蒙的・画一的な農業でもないようです。むしろ、現場の人々の発見をベースとした創造性あふれるもののようです。そこには、農に携わる人々のライフスタイルがあり、多様性に富んだ農業がみられます。
農のライフスタイルは、日常のささやかな感動を持続させる生活です。そうした生活が、人々に新たな生き方を提案し始めた様にさえ思えるのです。その流れは、「脱工業化」という社会状況にあってますます現実味を帯びてくるでしょう。
村を、丁寧に、じっくりと観察すると、そこには驚きに満ちた変化や自然の営みがあります。これからのむらや農は、体で感じるもの、いわゆる五感に訴えるものを主張していけばそれでいいのだと思います。これまでの農業がそうであったように、丁寧に、しかもじっくりと主張していくのがいいのです。それが明日の農業を作るのではないでしょうか。

4, 生活と隣人を大切に
農業の保有する根源的なものが人々に受け入れられる時代が来たのです。それは、ビジネスでもいえることです。
農村の婦人が社長になる女性起業が増えています。
彼女たちのビジネスを見ていると、大変重要なことに気づきます。それは、生活を見つめ、隣人を大切にする考えが起業のベースになっていることです。むらの日常の中での「気づき」です。
農村の今後は、このような発見を増幅させ,付加価値を増大させていく、そんな社会になっていくように思うのです。これは、知恵や知識を大切にする知識創造社会ですが、そういうことがいとも簡単にできる社会となるでしょう。
先に、自然には冷害や暴風雨があると言いましたが、同時に、むらには、それに対処する老人の知恵や職人の知恵、さらには伝統があります。かつては「いらないもの」とされたそれらの要素も、新たな農業には必要となるでしょう。
農家以外の多くの人々に農村資源を解放し、有効に利用してもらうことも必要です。新たな人々とのコミュニケーションは、新たな知を生むものです。知恵は多くの人々が参加する中から生まれるものだからです。これらの点に関してもう少し知りたい方は、拙著『個の時代のむらと農』農林統計協会、をお読みいただければありがたいと思います。

5,「仕組み」はこれでいいのか
農業は家族で行うケースがほとんどです。しかし、家族経営はおしなべて苦戦しています。商店街も、チェーンシステム理論を駆使する大型専門店やSCにかないません。家族経営が成功するには、何らかの「仕組み」が必要なのだと思います。
農業出荷額がどんどん低下している県があります。いずれもコメ地帯といわれる東北・北陸の各県です。特に宮城県は、かつての3千億円が、一時1、8千億円まで落ち込んでしまいました。これはやはり「仕組み」がおかしいのだと思います。「コメ単作」という仕組みですが、これを底上げするために、「集落営農」にとりくんでいます。農水省も約107億円の予算をつけています。これは、面的拡大・コストダウンの工業化社会の事業モデルです。果たしてこの「仕組み」で本当に大丈夫なのでしょうか?

6,個々の農業経営者の台頭が必要
私が勝手にネーミングした「千葉県の奇跡」というのがあります。
千葉県は、昔から個々の農業経営者の力の強いところです。
しかし、「1~2の個々の経営が突出しても、県全体の産出額は上がらない」というのが80年代までの農業界の常識でした。ですから「小さな生産者を数多く集めて産地形成を」といってきたのです。茨城県はそうした考えで、いつも県別出荷額ではかなり高い水準を維持してきました。
ところが個々ばらばらの感があった千葉県は、いつの間にか茨城を抜き、我が国第一位の農業産出県(北海道をのぞく)になってしまったのです。
大量生産社会が転換し、成熟社会が実現し始めた90年代以降のことです。唐突な言い方ですが、ここにもやはり明治以来の都市化・工業化社会の終焉がみてとれます。
千葉の奇跡は、もはや奇跡ではなく法則といってもいいと思います。「個々の農業経営者の力が強ければ、県全体の売り上げも大きくなるという法則」です。さらにいえば、「個々の農業経営者が突出しないとその県の農業は衰退する」ともいえるのではないでしょうか。
これは、「機関車効果」や「一点突破」などといわれる「農業の仕組み」です。農業経営者の成長によって、雇用増や、直売所などの活性化がみられ、他の農家も触発され、地域の雰囲気も前向きになってきます。国内農業の再生には、成功する人が必要なのです。個々の経営がしっかりする、いわゆる個の台頭が必要なのです。関心のある方は、拙著『一点突破で元気農業』家の光協会などを読んでいただくとありがたいです。

7,販売の「仕組み」が命
農業の衰退は、よく、食料自給率の低下で語られることがあります。それは、競争過多の食品産業と市場を忌避する農業とが引き起こす齟齬に起因している、と私は主張しています。とすれば、我が国の農業の再編には、食品業界などの実需者との間に、インターフェースが必要になります。通常マーケット・イン型の農業といわれているもので、もう何度言われていることですが、なかなかうまくいかないのが現状のようです。
うまくいかない理由は、幾つかあるのですが、一口で言うと、「出荷・販売」組織の革新が必要なのです。実儒者ニーズに沿った、本格的な営業によって市場開拓する「販売組織」です。当たり前といえば当たり前ですが、これが思いの他難しいのです。
具体的なお客さんが見えなければなりません。需要創造や、商品開発が必要だからです。いわゆる「いちば」ではなく、実需者とつながっていることが最も大事です。「いちば」に営業は効きませんし、ニーズは間接的になってしまいます。
千葉の和郷園は、こうした営業販売組織で14億円の売り上げを上げています。徳島上勝の「彩り農業」も、老人世帯約100戸が専業としてやっていけるようになりました。甘楽富岡農協の「朝取り野菜」もそうした仕組みの一つです。
この「仕組み」を、日本全国の農村に如何に素早くビルトインするかが、これからの農業の生き残りに必要なように思います。
ただ、冒頭で述べたように方策は多様にあるのです。ここで述べたことだけが再生手法というのではありません。あらゆる可能性を試す度量や気風を取り入れること、この方がもっと必要なのかもしれません。