幼いころから長男として、
家長として生きた92年の父の生涯です。
というわけでいじめに耐えた3か月。
1月10日に金沢連隊区に入隊して、
3月25日に金沢陸軍病院に入院する。
5月5日退院。
入院中の4月2日金沢師管区第52師団司令部が
金沢師管区司令部に改称。
それにより父の所属も4月2日付で
輜重補充隊に転属となる。
(これは父にはあまり関係ないけどね。)
晴れて何だったかよく本人もわからない重い病から
回復し5月5日、部隊に復帰。
ところが1ケ月半の入院期間中に
所属部隊は改称、
同期の桜は訓練期間を終了し、
日本全国へ散って行ってしまった後だった。
そんなこんなでそれから2ヶ月。
7月3日に見事、一等兵に昇進、
給金9円だぁ!
ところが7月4日帰休除隊となる。
帰休除隊の制度について私はよくわからないが
そのポストが定員に達していて空きがない。
とか、著しく健康を損なっていて任を全うできない。
と、いうような場合該当するらしい。
事前に入営の時の人事部の同郷、隣町の先輩兵士が父に
「しばらくしたら〇〇(父)を帰休除隊にしてやる。
ただそれは1ケ月くらいの間だけだ。
1ケ月すると再招集になる。
今度の帰省でしっかりと家族と過ごし、
別れを惜しんで来い。」
と告げたそうだ。
その言葉で父も大本営発表の裏を知る。
1ケ月経つが
再招集はかからない。
8月5日、元の職場に復職する。
昭和20年8月15日 名古屋郵便局で父は終戦の日を迎えた。
上に掲げた皇室ご近影や皇居の写真が
保管してあった写真の束の中にあった。
多分この写真は政府から全家庭に配布されたものとおもわれる。
笑顔のご尊顔を何人が思い浮かべて戦場で散ったのだろう。
市中で命を失うことになった非戦闘員は納得しえたのだろうか。
私は天皇制を否定はしない。
それこそ平成の時代は一般参賀まで行った。
でも今この写真を見ると当時、戦争で苦しんだ国民や散っていった兵士
がいることを知っているので暗い気持ちになる。
この御真影を拝して国民たちは矛盾と思うことさえ許されなっかた。
趣旨が違ってしまいそうなので機会があったら
これについては記しましょう。
というわけで
父は先の大戦をこうして生き延びたのだ!
(応仁の乱じゃないよ❤)


