アマミキヨ・アマテラスは何処から渡来したのか。 | さだー池城貞志のブログ

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琉球開闢(かいびゃく)の祖、アマミキヨは何処から渡来したのであろうか。
私に天孫氏のアマミキヨの沖縄渡来の話し教えたのは、霊能者ユタに歴史を教えていた佐渡山安珍氏である。
彼は私の遠縁にあたる方で沖縄の歴史にとても詳しい方でした、霊能者のユタ達も佐渡山氏に歴史の伝承いわれを聞きに来ると言われていた。
ユタ達は いがい と歴史を知らない。
以前、首里の本家の池城の当主の方と話し合った時、
当主の方が自分がユタや大学の教授に池城の歴史を教えていると語っていた。
佐渡山安珍氏によるとユタは霊と話しが出来ても、歴史には無知で歴史の云われ、繋がりが解らないと語っていた。
沖縄の原始時代は母系社会で、子供は母親の実家に属していた。
旦那は妻の実家に通っていた。
それを改めたのは、渡来人のアマミキヨ達であった。
アマミキヨの一団が大陸から渡来して来て、子供は旦那に属する者と改めさせ、沖縄に父系社会を根付かせた。
アマミキヨの一団は五穀と農業を教え、沖縄に王権を誕生させた。
佐渡山氏はアマミキヨの一団が大陸から沖縄に渡来した証拠は、孟宗竹を示した。沖縄に竹細工用の大きな中国原産の孟宗竹が有るのは、アマミキヨが五穀と共に竹細工用の孟宗竹を沖縄に持ち込んだ為と述べた。
又、佐渡山氏はアマミキヨは沖縄に長男、次男、三男を残して、東北の日本本土を目指してアマミキヨ一団は旅立った。
沖縄に残された長男系が天孫氏として王家を継ぎ。次男系が里の主、サムレー(サムライ)に成り。三男系が五穀を栽培する農家に成った。
私は沖縄に五穀の稲作をもたらせた弥生人のアマミキヨの一団は漠然と大陸系と思っていた。
日本を代表する、超能力者の秋山眞人氏が沖縄の開闢(かいびゃく)の祖、アマミキヨは紀元前700年頃に海洋ルートで渡来したユダヤ十支族の長と述べていた。
その説を聞いた時、直ぐに納得した。
沖縄の人々の顔立ちはどう見ても薄味の中国人顔と言うよりはゴッツイ中東アラブ系の顔立ちで有る。
体つきは太めで、顔立ちは彫りが深く、腕の体毛の多さは中国、東アジアと言うよりは中東のアラブ系で有る。
沖縄の人々の遺伝子はY 染色体で中東の人々と同じyap 遺伝子を持っている。
過去世アマミキヨの過去世を持つ、超能力者の吉澤尚夫氏が沖縄に来た時に話し合った事が有る。
吉澤氏にアマミキヨはユダヤ十支族の長ですかと聞いたら、そうだと述べていた。
沖縄に渡来したアマミキヨが日本本土に渡ったら、名前がアマテラスに成ったと思われる。
紀元前770年頃、中東でアッシリアに追い払われたユダヤ十支族の主力は海洋ルートで、伝説のエデンの東の神の国、日出る、日本を目指して、海わたる船で海洋ルートを渡って来た。
証拠として、弥生土器に外洋船の海わたる船が多数出没している。
海わたる船の土器の外見はエジプトの古代船と同じ概容で有る。
帆と 櫂 (かい)で進む事が出来る。
弥生人の海わたる船はエジプトの古代船と同じ。外洋に耐える船。
紀元前1000年前はインド洋は外洋貿易が栄えていた。
外洋貿易の事が仏典に良く出てくる。
如意宝珠を求める旅、龍の国、日本の事等。紀元前1000年頃はすでにインドの外洋商人・海洋民族は日本を認識していた。
紀元前660年頃
アマテラスの一団の弥生人、神武天皇によって日本が統一された後、
紀元後に陸上ルートの月氏のメンバーが朝鮮半島経由で渡来して来る。
その後の渡来メンバーは歴史の史実に成っている。
落合莞爾氏は陸上ルートのユダヤ十支族を持論にしている。

私の考えは
ユダヤ十支族の日本渡来は海洋ルートが先で、ずっと後に徐福の秦の日本来島と月氏の朝鮮半島経由が来る。
弥生人のアマミキヨ・アマテラス一団の外洋ルートが先で、陸上ルートの弥生人は日本統一の後に渡来している。

Yap 遺伝子の流れ。
ネパールのシャカ族が純血主義に堕ちた為、破瑠璃王(ハルリ王)の怒りを かい 滅亡した。
その時、城を抜け出す事の許された女や子供達の子孫が西に旅立ちダビデの祖に成る。
シャカ族のダビデ・ユダヤの王の子孫が紀元前722年頃アッシリアに攻められて、ペルシア湾から外洋ルートで伝説の国、エデンの東に旅立つ。
アマミキヨが沖縄に到達し、人員を回復してから、
名をアマテラスに変えて日本本土に上陸する。
神武天皇が鹿児島に上陸して神武の東征が始まる。
アマミキヨ・アマテラスの子孫の神武天皇が紀元前660年に日本を統一する。
現天皇家はユダヤ十支族の王家の血筋で有る。

もし、地球が統一されたら天皇家は世界の象徴に成る。