アマミキヨはアマテラスと同一神か。 | さだー池城貞志のブログ

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アマミキヨはアマテラスと同一神か、琉球 開闢 ( かいびゃく ) の女神アマミキヨは日本建国の女神 天照太神と同一人物なのか。
中城城等の聖域に浄化用の水晶を埋設したら、この数日間、琉球の古代の意識体とリンクした。古代の意識体との関係が緊張から融合に変わった時、中城城の聖域の古代の神が語って来た。中城城から眼下に見える、久高島の事を語ってくれと頼んで来た。
東海岸側は久高島、津堅島、浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島等が連なる。久高島の回りには珊瑚礁が発達している。自然の生け簀が久高島を囲っている。東海岸側の中城湾は外洋に向かって海底が深いが、海流が速い為に珊瑚礁が発達している。その為に珊瑚礁の内は良い漁場で有る。古代の宝であった宝貝や 螺鈿(らでん)の材料の夜光貝や黒蝶貝が取れる。
古代エジプトでは天然真珠は価千金の宝石であった。ペルシア湾のバーレーン真珠採取業の漁業(漁民)の人々は、ユーラシア大陸を囲む島々を風を巧み操る、ペルシア帆船で往来していたで有ろう。
日本の南の燐国のフィリピンに頑固のイスラム教徒が存在する事実は、古代からペルシア帆船で商人や漁民は通商か貝の採取でフィリピンに渡来していた事を意味する。
その上に位置する、沖縄の八重山地方には世界最大級の珊瑚礁が存在する。石垣島の川平湾は黒真珠の産地で有る。古代に於てペルシアのバーレーンと八重山の 石西礁湖(せきせいしょうこ)は黒真珠の黒蝶貝 で繋がっていたで有ろう。
約、紀元前1000年前、インドの暴君、波瑠璃王によって滅亡しネパールから追い出された釈迦族の子供達は、西の果てに流れ、イスラエルの祖と合流する。ダビデは流動の民と成った釈迦族の血筋と思う。
出エジプトのモーぜに導かれたユダヤの民はアラビア半島界隈に古代イスラエル国を建国する。燐国のアッシリアに攻められて古代イスラエル国は崩壊する。ペルシア海洋民族の手引きでユーラシア大陸の東の果ての琉球に船団で来島したのがユダヤ十支族のアマミキヨ(アマテラス)の一団で有る。
アマミキヨは神なのか、人間なのか。
古代琉球の久高島に渡来したユダヤの女王アマミキヨは古代イスラエルの王妃なのか、娘なのか、それともモーゼに十戒の石板を渡した、アヌンナキの女王アンか王女のニンティなのか、そこが眼目で有る。
私の考えでは、
出エジプトのモーゼを導き、戒律の十戒の石板を授与したのは人類の遺伝子操作の父アヌンナキのアヌ王で有る。
アヌンナキの女王アンか王女のニンティ(アマミキヨ)がペルシアの船団でユダヤの十支族を琉球、日本本土に導いたと思う。古代ユダヤの神(アヌンナキのアヌ王かアン女王)がアマテラスに成ったと思う。
古代琉球はアマミキヨが渡来する前までは母系社会であった。アマミキヨが父系社会を教えた。アマミキヨが農業の五穀を教えた。アマミキヨは古琉球で子をもうけた。長男を琉球の王にさせ、次男を武人(里主サトヌシ)にさせ、三男を農民にさせた。古琉球に於て、代々の王家を天孫氏と言う。日本本土の 天孫降臨(てんそんこうりん)と同じ意味で有る。
大きな島に上陸する為に、手始めに小さな島に上陸して支配下に置く。小島が城塞の役目を果たす。
私は琉球の久高島の役目を果たしたのが鹿児島の甑島と、大阪湾の 淡路島だと思う。
古琉球の神々はアマミキヨの子孫、天孫氏の王達で有る。琉球第一王統の舜天王の父は 天孫降臨の末の清和源氏の源為朝。琉球第二の王統の英祖王の祖父は南走平家(桓武平氏)の平資盛。 アマテラス(アマミキヨ)の子孫が琉球に舞い戻って来た。
中城城の神はこの事を書いてくれと夢で語った。

資料を添付します。
Face Book より、
{ 淡路島より、古代イスラエルの遺跡が発掘される。
■出土した丸石と指輪に込められた思い
2017年5月14日に淡路菰江古代ユダヤ遺跡発掘65周年記念式典に参加したときに、阿波剣山顕造学会の井上正氏が所有しているイスラエルの遺跡から出土した指輪と文字が書かれた丸石を拝見しました。
指輪については、これまで報告されていましたが、丸石については初見でした。
聖書の研究家である藤森三千雄先生の解読に5月20日に立ち会いましたので報告します。
聖トウラア拝学日本公會の藤森三千雄氏は、ヘブル語で聖書を読み解き、現教会の間違った聖書解釈に異議を唱えられている方です。

■丸石に書かれた文字の解読
1996年頃に漬物石として採取。淡路島古茂江小路谷(オロダニ)付近から拾ったものと説明されています。
淡路島小路谷のユダヤ遺跡は、昭和9年に森重吉が営業する旅館(四州園)の拡張工事で掘り出してしまいましたが(1回目発掘)、森重吉の急死により祟りを恐れて埋め戻されました。
昭和27年に、白山義高がイスラエル人の遺跡であるとの自説を発表し、再び発掘されました(2回目発掘)。イスラエルのローゼン大司教や日本イスラエル協会長小林孝一らが立会う大規模なものでした。
発掘後埋め戻されましたが、1996年ごろに剣山顕彰学会によって再発掘されているようです(3回目発掘)。剣山顕彰学会は、剣山にアークが埋まっているとして、剣山の発掘を行った高根正教によって作られた学会です。
この丸石は、3回目の発掘後に埋め戻された後、海岸から石を持ち帰り、漬物石として利用していたものということです。
なお、現在見ることができる遺跡はレプリカであり、本物の遺跡は地中に埋まっています。

表面に黒い顔料で文字と絵が書かれています。表面を見る限り、彫られているのではなく書かれています。黒い顔料は、墨ではないかと考えられますが成分分析をしないと断定はできません。
私の考え(ホームページで2014年に発表)では、この遺跡が造られたのは紀元前660年頃で、今から2700年前となのます。石に顔料等で書かれたものが2700年後に残るには、かなり好条件が揃わないといけないと思います。これに対し、漬物石は覆われていて、ある日割れて中から現れたという未確認情報もあります。粘土のようなもので覆っていたとしたら信憑性は高まります。

さて、その書かれている内容ですが、図のように上部に文字が書かれ、下部に絵が描かれています。

 【イスラエル遺跡から出土した丸石に描かれた文字と絵】

文字は5文字書かれていて、藤森三千雄はヘブル語であるといいます。これは会場にいたエリ・エリアフコーヘン氏(元駐日イスラエル大使)も確認しており間違いがないと思います。

右から2文字をA群、左から3文字をB群とします。
藤森三千雄氏の解読は以下の様なものです。
●文字A群
ガルと読む。
heap of stone(積み重なった石)といった意味もあるが、
to evacuate a country つまり、国を避難させるという意味が最も適している。
●文字B群
カドゥシュと読む。
to select(選択する),to seclude(隠す);to declare hoty(熱く宣言する)といった意味もあるが、
to be consecrated.つまり、聖別される・ささげる・奉献するという意味が最も適している。

また、楕円型の真ん中に線の入った絵も描かれています。
●絵C 文字群の下の絵
私は女性器を象徴的に描いたものと推測しますが、藤森氏も同意見です。
これは、ユダヤ遺跡内部の女陰の石造物と同じ目的で描かれたものと思います。

●小石に書かれた文字と絵の解読結果
藤森三千雄氏の解読によると、文字は、
「苦難を乗り越えて、われわれをこの国に導いてくれた方にささげる。」
と言う意味であり、その主導者が女性であったがために、その下に女性器の模様を書いたのではないかというのが藤森氏の推測です。

■指輪に書かれた文字の解読
1996年ごろに剣山顕彰学会によって3回目の発掘が行われたときに、発掘に参加した人夫が熊手に淡路島古茂江小路谷の海岸から盛土を付着させて会社に帰ってきた。土が乾くと中から出てきたのがこの2つの指輪だといいます。

●指輪1
六芒星の中心に文字が彫られてて、ダビテ紋の中に彫られた文字はチオンと読み、Sion(チオン)は、ユダヤ教の聖地であるシオンの丘のことであり、広くイスラエル国及びイスラエル国民のことを指します。 

●指輪2
鹿が彫られています。
これについて私は、失われた十部族の一つであるナフタリ族の紋章と考えていましたが、藤森氏も同じ考えです。
藤森三千雄氏によると、ナフタリ族の首長の指にあったが、日本で律令制が整備されていくにつれ、国府の統治に謀反を疑われないように、イスラエルの証となるこの指輪を遺跡の中に隠したのではないかと推測されています。
一方、このイスラエルの遺跡の管理継承者である湊格氏は2回目の発掘に立ち会ったローゼン氏が、遺跡を埋め戻すときに埋めたものではないかと推測されています。

■まとめ
指輪は、2700年前から遺跡の中にあったのか、あるいは1回目の発掘までにナフタリ族が隠したものなのか、さらに2回目の発掘時にローゼン大佐が埋めたものなのか、今のところわかりません。
一方、丸石について私は、2700年前から遺跡の中にあった可能性が高いと考えています。2回目の発掘時にヘブル語を使える者はローゼン大佐以外にも日本にいたと考えられますが、藤森氏によると普段は使わない単語が使われていること、またイスラエルからはるばる旅をしてきた一族が奉じる文章として意味がとおっていること、さらに、女陰の絵の発想は昭和の日本人には浮かばないのではないかと思うのです。
したがって、淡路島にイスラエルの遺跡が存在した信憑性はさらに高まったのではないでしょうか。
(古代史探索家 平津豊)}
歴史は繰り返すと言うが、沖縄にYAP 遺伝子の同朋のネパール人が多数、日本語修得の留学で来島している。
何故、沖縄に集中するので有ろうか。
たぶん、同じ血筋を感じるので有ろう。琉球美人は中東の雰囲気を持っている。