先祖を運んだ、光の子(スフィア・ビィーイング)。 | さだー池城貞志のブログ

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先祖を運んだ、光の子(スフィア・ビーイング)。
何気なく空を見上げたら龍雲が出ていた。沖縄の空は浄化されて綺麗に成って来ている。
先祖に関係する城々に浄化用の水晶やタキオン水晶を埋設して来た。
私の先祖は、琉球の世がわりの時に現れる白ひげの爺の、神の託せん。「虎の子や(は)虎、犬の子や(は)犬。食(むぬ・もの)与(あた)ゆ者(す)ど、我御主、内間御鎖(す)*(内間金丸大蔵大臣)」の安里大親の鶴の一声で、第二尚氏の王に持ち上げられた。舜天王の末、内間金丸・尚円王。その尚円王の息子、尚真王。その尚真王と高級女神官、儀保大阿母志良礼の間に生まれた方が大新城親方池城安基で有る。その関係で首里城にもタキオン水晶を埋設して来た。
今までに浄化用水晶やタキオン水晶を埋設した城は、勝連城、越来城、知花城、中城城、浦添城。
池城殿内(武家屋敷)は首里城の真西に有るので、先祖の 社稷(しゃしょく)に挨拶に出掛けた。池城殿内の屋敷は現在はお城の様な豪勢のマンションが立ち、琉球王に年始め水を納めた井戸は道の拡張を無視するかの様に残され、文化財に認定されているかの様で有る。
マンションの裏庭に先祖を祀る立派な家が有る。元祖、大新城親方安基の位牌の仏壇と安基の500年前の姿を描いた 肖像画が置かれている。
この一軒家は位牌を祀る仏壇の為だけの家で有る。その裏側の月山に 社稷は有る。
私は夜半であったので池城駐車場から敷地に入り、隣の位牌の家と目の前の月山に、大新城親方池城安基と社稷の光の子に、法華経の読経をして来た。
昨日夢に、月山の 社稷が現れて私の事を書いてくれと言う。
首里の池城殿内には二つの宝が有る。 滝沢馬琴の南総里見八犬伝の珠のヒントと為った、珠の中に字が書き込まれた宝石の石の珠が有る。その石の中には琉と球と書かれている。
その一つは 那覇市の奥武山公園内にある護国神社に奉納された。
琉球の珠を見た事の有る私の父親は私に語った、里見八犬伝の八つの珠の文字は 仁 義 礼 智 信 忠 孝 悌(てい)だが、首里の池城殿内の珠には、中に一つ一つに琉と球の文字が記されている。色は沖縄の海の色、うすい青色、古老の話しでは昔は輝いていたそうで有る。
二つの内、一つは代々の王が持ち、一つは池城の当主が持つ事に成っていた。
現在は護国神社と首里の池城殿内がその琉球の珠を保持している。
もう一つの家宝は 謝名一族の乱を鎮め治めた槍で有る。
首里の池城殿内の家宝は、琉球と石の中に書かれた珠と、乱をおさめた槍で有る。
霊的な宝がもう一つ有る。
隠された宝は光の子で有る。
裏庭の月山に祀られている。
小さな祠(ほこら)で有る。
過日、その祠に祈ったら 何か透明な物が動いた。その存在に法華経の読経を贈った。
昨日、その祠の存在が私に夢で語った。光の子(光の珠)について書いてくれと頼んで来た。
私は承諾したが皆を納得させるのは難しいので粗筋だけを書きます。
首里の池城家は代々に王府の高官を輩出させるので、回りの高官に妬まれた。没落させようと策が張られた。首里の役人は地方の行政に指示を出す役目が有る。何月何日に行政文を地方の持って行き、渡して来たと言う書面を何月何日迄に王府に提出してくださいと言うのが有る。
この行政文担当の役人が池城の当主を没落させる為に提出日の期限が明日に為った時、この書面を沖縄本島北部の国頭に持って行って、受け取りましたと言う確認の書面を明日までに王府に提出してください。と言う難題を吹っ掛けた。時代は400年前の事で有る。馬で国頭に行っても往復3日掛かる。早船で出掛けても明日までに王府に提出出来ない。
仕事に失敗すると池城家の没落が始まる。午後遅くに王府の役人から書面を受け取って、首里城下の西に有る。池城殿内に帰る。位牌の仏壇に悔しい涙を流しながら、先祖の大新城親方池城安基の霊に、はめられた事を詫びながら状況を語る。今晩に旅立ちして、明日の午後までに書面を渡して、国頭の方から受け取りしましたと言う書面を、明日の午後までに王府の首里城に提出しないといけないと報告する。
旅支度して国頭に行こうと、家から出ると小さな光の珠が現れる。この小さな光の珠が大きく成って中に池城の当主を入れて、国頭まで飛んで行き、国頭で書面を渡して、確認の書面を貰って、首里の池城殿内まで送り届ける。首里の池城の当主は王府に書面を提出して没落を免れた。これ以後、池城の当主を陥(おとしい)れようとする役人は居なく成った。
首里の池城の裏庭の月山に光の子の祠が有る。
私は大学時代に池城の屋敷で光の子の石碑を見た時、光の子は小さな宇宙船かと思った。池城の未来は宇宙人と関わると感じた。私が宇宙に興味を持ったのは光の子の話しを知ったからで有る。
光の子はスフィア・ビーイングの事で有る。
参考資料を添付します。
謝名一族の乱について。
【四年、毛鳳儀等、謝名一族を征討す。】首里西州の謝名一族謀叛す。王、毛鳳儀(池城親雲上安頼)・毛継祖(東風平比嘉親雲上盛続) 
・金応照(摩文仁親雲上安恒)等に命じて、往きて之れを討誅せしむ。鳳儀等命を奉じ、義兵を率領して、行きて其の宅に至り、四面より環り攻め、 
水洩も通せず。謝名、固く家庭を守り防備甚だ密にして、敢へて出でて戦はず。是に於てか、鳳儀等力の施すべき無く、火を矢に繋ぎて彼の屋上に 
射るに、倏然として、火姻大いに起り、房屋を燼す。則ち其の一族、庭に出でて敵を迎ふること、数次にして勝敗未だ分れず。鳳儀等、鎗を揮ひ、剣を 
振ひ、力を励まし勇を奮ひて相戦ふこと、亦数合にして、遂に其の将一名を殺す。則ち族党殺戦、寡、衆に勝たず、尽く擒せらる。鳳儀等大いに捷功を 
得て以聞す。聖上大いに悦び、各々紫冠を賜ひて以て褒嘉を加ふ。

私の友人の大阪の石垣さんがスフィア・ビーイングに度々会っている。彼がスフィア・ビーイングに乗れる事を祈る。